2.夢を追う者
コッパーの町外れ。その訓練場は、人気のない鬱蒼とした山道を抜けた先にあった。
城壁のような高い壁に囲われたそれは、まるで牢獄のような重苦しい印象を与えている。
その入口には『第※回 入校式』と書かれた、粗雑な看板が立てかけられているが、上書きに上書きを重ねられたその数字は、もはや読む事すら難しい。
そんな古めかしい訓練場に、一人……二人……と、“入学希望者”が足を踏み入れてゆく。
彼らの目は、夢と希望でキラキラと輝いていたが、受付カウンターに立つ女を見るや、更にその輝きを増していた。
「――はい、申請書の確認が済みました。
時間になれば教官が来られますので、それまであちらの待合室でお待ちください」
「は、はいっ」
視線の先にいる女――優しい笑顔で迎えたシェイラに、“新入生”は声を弾ませてしまう。
灰色の訓練服を着ているところから、彼女も同じ訓練生であり、恐らく自分と同等かそれ以下……そうと分かった瞬間、“新入生”の目が“獣”のように光った。
シェイラの横に立っていたはずの、宿屋の女将には一瞥もせず、口元をだらしなく緩ませる。
胸を張り、自信に満ちた足取りで消えてゆくその後ろ姿に、女将は思わず、はぁ……と、重いため息を吐いた。
「――全く、どいつもこいつも……入学早々、何を期待してるんだい。
これは、今年も期待できそうにないね……はぁ……」
「ふぇ? 何がですか?」
「シェイラちゃんが、悪い狼に狙われやしないか、と思っただけだよ。
いや、あんな軟弱者ならまだ、“狼”の方がマシだろうさね……。
――ところで、シェイラちゃんは、訓練に行かなくて良いのかい?」
「はい! 今日から“新入生”の訓練があるため、一週間ほどお休みなんです。
だから、これが終わりましたらお店手伝いますね」
「おや、そうかい? シェイラちゃんが居てくれると助かるよ。
それ目当てにお客さんも来てくれるし、多めに仕込んでおこうかね」
「そ、そんな事ないですよっ!?」
恰幅と愛想が良い女将は、『そんな事あるんだよ』とニマリと笑みを浮かべた。
数か月前、コッパーの訓練場に“転校”して来たシェイラは、宿屋に住込みと言う形で、食堂のアルバイトとして働いているのである。
入学式の日は、女将が臨時の手伝いとして受付をしていたのだが、“従業員”としてシェイラも参加しているようだ。
女将もシェイラ同様、やって来た“新入生”に対応していたが、その列もすぐに途絶えてしまう。
「――こ、今年はこれだけかい?」
番号が書かれた“新入生”用のハート型のバッヂは、ついに“十番”すら到達しなかった――。
とりあえず“三十番”まで用意してあったのだが、昨年は“二十番”近くまであったはずである。
“二十三番”のバッヂだけは紛失したままであるが、その心配はもう必要ないだろう。
確かに、“新入生”の数は減り続けていた。だが、今年は昨年よりも、十以上減らしてしまっているのだ。
女将も多少の覚悟はしていたものの、想定を大きく下回ったそれに、茫然と立ち尽くしていた。
「……それもこれもッ、全部あの陰険オヤジのせいだよ……ッ!!」
「お、女将さんっ!? こ、声が大きいですっ!」
こうなった原因――ケヴィンの行いが全てであった。
それを思い返すたび、女将のふくよかな腹の底から、ふつふつと怒りが湧き上がる。
思わず口に出してしまった所で、女将は口を押え、聞かれてやしないかと慌てて二人で周りを見渡す。……幸いにも、ロビーには二人の女の他、誰も居ないようだ。
ほっと胸をなで下ろしたものの、女将の心中は穏やかではなかった。
(うちも、そろそろ年貢の納め時かね――)
もう誰も来る気配のない、ガラン……とした玄関口に目を向けた。
訓練場があるがゆえに、この町はやって来られたと言っても過言ではない。
“新入生”が落として行く金は、この町にとっても重要な収入源でもあったのだが、今年の“新入生”は、過去ワーストとなる八人だ――。
ケヴィンが来てからと言うもの、卒業生がゼロに近いため、町の財政は悪化の一途を辿り続けている。そこに加えて、収入が昨年の半分の見込みでは、どこも採算がとれなくなってしまう。
(あの人が遺した大事な店だけど、もう潮時が来たかもしれないよ……)
と、女将は腹を括ったような、重いため息を吐いたその時であった。
これで終わりかと思っていた、最後の“希望”が、ぬっとロビーに姿を現したのである。
「ひっ……!」
「あんれぇ……今年もまた、風変りなのが来たねぇ」
それは、ローブをまとい、頭には覆面のように布袋を被った、不気味な男であった。
正しい性別は不明であるが、大きく屈強な体躯からして恐らくは“男”であろう。
小さく震えるシェイラに封筒を渡すと、その者は身じろぎ一つせず、静かに佇んでいた。
初めは、その異様さに目を見開いた女将だったが、布袋の前が飛び出ているのを見て、
(恐らく“被り物”でもしているんだろう。今年はこれが生贄――脱落者一号かねぇ)
女将はそう思い、小さく息を吐いた。
“怪物”かと思えるほどの体躯だ、そのような被り物も似合うだろう。
一人はこうして、“おふざけ”を披露する者が居る。しかし、そのような目立ちたがりは、この訓練場が廃れる原因となった教官の“訓練”によって、真っ先に叩きのめされてしまうのが定番であった。
若気の至り――初めこそ、そのような彼らを哀れんでいた女将だったものの、
(ま、こればっかは、やられる方も自業自得さね)
今ではもう、同情もする気すら失われている。
手や脚を震わせる、気の弱いシェイラに代わり、女将は“九番”のカードを渡しながら、チラり……と、一言も発さない男に目をやった。
その瞬間、女将は思わずハッと息を呑んだ。
――この眼は、決しておふざけではない。
シェイラは、この眼を直視してしまったのだろう。
布袋の黒い闇の奥底で、恐ろしく鋭い獣のような眼が、ギラリ――と覗いていたのである。
先ほど起きたばかりなのか、まだ若干の眠たさを残しているものの、その澄んだ瞳からは逃れられぬ“何か”が窺えていた。
無言のまま番号札を受け取り、待合室に向かう男の背中を見送った女将とシェイラは、すぐさま提出された書類に目を落とした。
名前の欄には【ベルグ・スリーライン・ミュート】と記されている。
「スリーライン――?」
聞き覚えのあるそれに、シェイラはポツリと呟いた。
◆ ◆ ◆
一方で、“新入生”が控える待合室の中は、異様であった。
椅子も机も無い、ガラン……とした空間の中で十五~十七歳の幼さが残る青年たちは、じっと佇んでいる。
ある者は目を伏せたまま、ある者は横の者と目をやり合う。一部を除いた“新入生”たちの視線と興味は、不気味なほど静かに、壁にもたれ掛っているだけの覆面男・ベルグに集められていた。
しかし、そのせいで、待合室の入口に差しかかかった影に気づいた者は少なかった。
「――これから訓練を始めるぞッ!!」
待合室に入って来たのは、教官・ケヴィンである。
待合室の扉が力任せに叩きつけるように開かれ、意識を別の所に向けていた“新入生”の多くは、その音に不意を突かれ、身体をビクリと震わせてしまう。
その反応に、ケヴィンはそれに気を良くした。
眉間にシワを寄せながら、威圧的に一人一人の“新入生”の顔を、睨みつけるように覗き込む――弱者が緊張・恐怖・不安を感じている顔を見るほどに、己の愚かな自尊心が満たされてゆく。
その時ふと、壁にもたれ掛った“覆面男”の存在に気づくと、眉間のシワを更に中央に寄せた。
しかし、その者……ベルグは何も感じていない。布から覗く鋭い眼は、ただ虚勢を張りたい、弱者をいたぶりたいだけの男だと見抜いているのだ。
逆に軽く、ギロリと睨み返してやると、ケヴィンは顔を強張らせ、たじろいでしまう。
「ふ、ふん、まぁいい……これから早速訓練に入るッ、全員外に出ろッ」
「そ、外に?」
「まだ何の説明も……」
「アァッ? 俺のやり方に文句あんのかオラッ!」
再び己を大きく見せようと、ケヴィンは酷く口を歪ませ、弱そうな“新入生”の胸倉を掴みあげた。
「ひぃっ、な、何もありませぇんっ!」
「俺の前では『はい。分かりました』だけだ。分かったなッ!」
「は、はいっ、分かりましたっ」
訓練生のビビリ顔を見た教官は、それに口角を上げ、顔を歪ませながら汚い笑みを浮かべる。
だが、ベルグだけはそんな“イビリ”も意に介せず、
(ぶん殴る時は、ついでにあのホクロを毟り取りたいな……)
と、覆面の下で大あくびをし、その布地を盛り上げていた。
しかし、優先順位を誤ってはいけない――と、しばらく様子を見るにとどまっている。