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歴史短編小説群

古今無双の後家

作者: 塔野武衛


 小田原城を見下ろす笠懸山の陣城、後に『石垣山城』と呼ばれるその城に、北方鎮定を命ぜられた前田利家らの軍勢が粛々と入城する。前田・上杉らの北越大名の他、彼らに同心した北関東諸侯の旗も少なからず見受けられた。

 その中に五三桐紋の旗もある。上野国人由良家の家紋である。上野国人の常として、上杉・北条の間を巧みに泳ぎながら家名を保って来た。今回の小田原参陣もその一環と言える。

 だが秀吉への拝謁に際し平伏する者の中に、場違いにも思える人物が居た。それは七十を過ぎたと思しき尼であったが、彼女の法衣の下からはなんと鎧が見えていたのだ。尋常な後家とは思われなかった。

「面を上げよ」

 秀吉の声に従い、三人が顔を上げる。秀吉と正対する後家に、畏怖の感情は見られない。見事な態度と言えた。隣に控える壮年の男が霞んでしまうほどだ。事実、由良三百の手勢を率いる実質的な大将はこの尼であった。このいびつとも思える構図はある意味、豊臣と北条の狭間で右往左往させられる関東諸侯の悲哀を象徴していると言えた。





 上州に名を成した由良信濃守成繁がこの世を去ったのは天正六年の事である。彼は主君岩松守純に対する下剋上を行って独立し、情勢に応じて旗色を変えつつ勢力を拡大した一代の傑物であり、由良家(横瀬より改姓)の全盛期を築いた。

 しかし嫡子由良国繁が家督を継承するや否や、上野国は相次ぐ戦乱に見舞われる。上杉謙信の急逝に伴う御館の乱と本能寺の変によって勃発した天正壬午の乱である。由良家はこの二つの大乱で、前者では景勝・武田方に与するか景虎・北条方に与するかの危うい綱渡りを強いられ、後者においても北条・徳川・上杉三つ巴の抗争に対して備えなければならなかった。

 結局徳川家康との和睦によって上野国は北条家切り取り次第と定められ、天正十一年には離反した北条高広の籠る要衝厩橋城を奪い、北条家の優位は決定的なものとなった。そして由良国繁とその弟長尾顕長に対する厩橋城への招請状が届けられるのに、時は掛からなかった。

「そは、まことの話かえ」

 桐生城の一室。仏壇に手を合わせていた尼が、驚いたように家臣に振り向いている。その顔には皺が深々と刻まれ、長い年月を生きて来た証を示していた。

「左様でございます。重臣達の多くは反対したとの事ですが、殿のご決心は固く……」

 その言葉に、尼は鋭い眼光を家臣に向ける。思わず彼はたじろいだ。尼の顔には、明確な怒りの表情が浮かんでいたからである。

「新六郎は何を考えておるのじゃ! 殿のご遺言を忘れたと申すか! 敵中に二人して分け入って、捕えられでもしたらなんとする!」

 老尼は憤懣やるかたないとばかりに吐き捨てた。俗名は輝子、剃髪して妙印尼と名乗るこの老尼は、由良成繁の正室にして由良国繁・長尾顕長らの生母に当たる。成繁が隠居して桐生城に移った際に同行し、夫の死後そのまま桐生に留まり、日々亡夫の菩提を弔う毎日を過ごしている。

 彼女は元より政の表舞台に立つ類の人間ではない。そんな彼女が怒りを露わにするのは理由がある。成繁が死に際して二人の兄弟に与えた遺言を、細大漏らさず記憶している為だ。彼はこう説諭した。

(よいか、そなた達二人は血を分けた兄弟。例え由良と長尾で家は違おうと、共に力を合わせて家名を保たねばならぬ。万事兄弟で相談し、決して仲を違えるべからず。繁詮出奔の如き事態は二度と起こしてはならぬ。また仮に誰かの誘いを受けたとしても、必ず一人で赴き、片方はその留守を預かるべし。決して二人連れ立って他人を訪れるな。万一我が忠告を蔑ろにする事あらば、そは由良の滅亡と心得よ)

 二人連れ立って他人を訪れるなとは、相手方の謀略の存在を懸念したが故の言葉であろう事は、妙印尼も理解している。だが兄弟はその禁を犯してしまった。北条氏直が発した『二人連れ立っての』厩橋城出頭要請に従い、揃って城を出てしまったというのだ。

「急ぎ金山に参る。出立の用意を致せ」

 衝き動かされるように妙印尼が立ち上がる。心中でざわつく何かが、彼女に座視する事を許さなかった。

「その際、一つ用意して貰わねばならぬ物がある。遺漏なく整えるのじゃ」




 金山城に集う重臣達の顔色は悪い。焦燥と憤激が入り混じった不穏な空気が、彼らの心をより一層暗いものにさせている。

 国繁が氏直からの招請話を切り出した時、彼らの多くはこれに猛反対した。罠だから出向くなと言い募ったのだ。それは被害妄想の類ではない。由良家は国人領主の性として、佐竹や宇都宮といった反北条勢力ともかねてより気脈を通じていた。御館の乱の時などは、北条を裏切って佐竹らと結ぶ算段が実行寸前にまで至っている。直前の心変わりによってそれは破談となったが、北条家にとって不愉快極まる話には違いない。

 だが最終的に国繁と顕長は自分の意見を押し通した。北条が自分達を警戒しているのならば、尚更出向いて警戒心を解かねばなるまいと思い至った為だ。

 しかし厩橋城に入った彼らに対し、氏直は冷然とした態度で告げた。

「お二人には当分の間小田原にご逗留願おう。何故とは問うまいな。佐竹と気脈を通じておる事はとうに存じておるのだ。言い逃れは出来ぬと心得よ」

 兄弟は弁明も空しく小田原に護送の上幽閉され、間髪を入れず金山城に使者が遣わされた。その要求は兄弟の釈放と引き換えに金山、館林、桐生、足利の四城を明け渡せという法外なものだった。これを受け入れれば由良家は滅びたも同然になる。だが簡単には撥ねつけられなかった。金山城に残る国繁の嫡子はまだ十歳であり、皆を纏め上げるべき指揮官が存在しなかったからだ。

「妙印尼様、お越しにございます」

 その言葉で、重臣達の顔に少しばかり光が差す。妙印尼が出立の準備を整えるのと、金山の重臣達が彼女に金山入りを要請したのはほぼ同じ時期だった。彼らは最後の手段として、妙印尼を担ぎ上げる決意を固めたのである。それが無事果たされた事で何とか抵抗の目途が立つかも知れぬ。

 だが、やがて現れた妙印尼の姿に重臣一同は驚愕させられた。法衣の下には具足が垣間見え、手にはなんと薙刀が携えられている。まこと見事な戦支度だが、その中身が七十過ぎの隠居した老尼だと考えると、二の句を継ぐ事が出来ない。

「役目大儀に存じます」

 上座に座る戦支度の妙印尼は、不思議なほどに貫録が漂っている。成繁生前の折に一度として表舞台に立つ事のなかった女人とはとても思われぬ。

「北条の心底が明らかになった以上、合戦は免れぬものと考えるしかありませぬ。ひいてはこの妙印尼、陣代として暫し由良の指揮を執らせて頂きます。不服の者あらば今ここで言上あれ」

 口調こそ女人らしい柔らかなものだったが、その眼光は女人のそれではなかった。成繁以来の歴戦の老臣でさえ、気圧されるような迫力がその眼差しにはあった。威風を払うように家臣を見渡し、異存がないと判断した妙印尼は、ふっと息をつく。

「では早速わらわの存念を申し上げる。もし提案を拒めば、早晩北条の侵攻あるは必定。急ぎ佐竹、宇都宮、佐野らと連絡を密にし、単独で戦う事態を避けねばなりませぬ。特に佐竹との連絡が最も肝心。佐竹はなんとしても味方につけねばならぬでしょう」

 その上で妙印尼は重臣達が協議の為に用いていた北関東地図のある場所を扇で指す。上野国小泉城と下野国小山城、そしてその中間に位置する沼尻という場所だった。

「北条に勝つには先手を打つしかありませぬ。我らは小泉城を攻め、佐竹、宇都宮には先年北条の手に落ちた小山城を攻撃するように要請するのです。さすれば北条と佐竹は各々の進路上沼尻あたりで対峙する事になりましょう。我々由良が単独で矢面に立つのではなく、佐竹らを用いて北条を牽制するのが肝要と存ずる。ただ金山に籠城し座して滅びを待つくらいなら、敢えて打って出て事態の打開を図るべきです」

 その滑らかな語り口は、とても戦場に出た事のない女人とは思えない。それは長年連れ添った由良成繁の影響があるだろう。北関東の情勢を注視し、その変化に応じて戦略を練って巧みに泳ぎ切った策士を支え続けた事が、彼女をして事態に対処する能力を養わせたのだと思える。

 かくて由良勢は妙印尼の作戦に従って行動を開始した。反北条諸侯と緊密に連絡を取りながら準備を整え、拒否の返答代わりに佐野宗綱と共に小泉城への攻撃を敢行したのだ。これに呼応して佐竹義重と宇都宮国綱は兵を挙げ、小山に軍を進めた。全ては北条に対抗すべく入念に協議を重ねた成果だった。

 小田原に戻っていた北条氏直は思わぬ反撃に驚きを隠せなかった。当主とその弟を拘束すれば由良は屈服するだろうと読んでいたのだ。まさか由良が老いた隠居のご母堂を担ぎ上げてまで抵抗するとは想像の外である。

 だが流石に関八州太守北条家を継いだ男である。直ちに大軍を率いて上野に急行した。一隊を金山と足利に差し向けて牽制しつつ、佐竹・宇都宮連合軍と沼尻で対峙する形となる。こうして事態は妙印尼の思い描いた通り、北条と由良の単独の戦いから北条と反北条の全面衝突という大掛かりなものに変貌を遂げたのである。

 こうなると、北条・佐竹共に迂闊な行動は取れない。沼尻の対陣は自然長陣となり、互いに遠交近攻の外交戦に軸足を移した。佐竹ら反北条勢力が上方の羽柴秀吉と連絡を取り、既にその従属下にあった上杉景勝の牽制攻撃を促せば、北条方は梶原政景の調略に取り掛かって連合軍の切り崩し工作を実行に移した。

 その間包囲下にある金山城では、妙印尼自らが将兵を見て回り、士気を維持する事に心を砕いていた。甲斐甲斐しく将兵の世話をする様はさながら老いた母親のそれに思える。

(これは根競べ。根を上げれば全て終わりじゃ)

 疲労を自覚しながら彼女は想う。北条と反北条連合の国力の差は隔絶している。沼尻に布陣した北条の兵力は佐竹・宇都宮連合のそれを圧倒するものだと伝わっていた。もしそれが由良に差し向けられればひとたまりもなく揉み潰される事だろう。

(最後には北条に膝を屈するよりあるまい)

 打てる手は全て打った。だがそれでも北条にはまだ余裕があるように思える。沼尻の長陣にありながら金山、足利にも兵を出して身動きを封じたのがその証だ。佐竹・宇都宮に対しても攻め手を与えていない。こうなれば遠からず北条有利の和睦が結ばれる流れとなろう。最悪の場合、由良は梯子を外される。

 それでも、強気を崩す事は許されない。北条の要求を丸呑みすれば由良の命運は尽き、再起の芽も摘まれてしまう。相手に妥協させるには容易に屈しない姿勢を貫く以外にない。その想い一つで、老婆には過酷な籠城戦を導いて来た。だがそれでも疲労と悲観的観測が重なれば、弱気になる事もある。

「せめて繁詮がおればの」

 ぽつりと、そう漏らした。それは勇ましさとは無縁の、一人の老いた母親の嘆きを含む声だった。




 天正十二年七月十五日、岩船山城が北条軍の攻撃で陥落した。この城は佐竹・宇都宮連合軍の退路であり、両陣営が講和を模索する決定的な一撃となった。同二十二日には正式な講和が成立。佐竹・宇都宮勢はこの一件から手を引き、由良家は孤立の危地に立った。

 だが北条氏直としても、いつまでも北関東だけに専心する訳には行かなかった。同盟者たる徳川家康が、羽柴秀吉との戦いで劣勢に立たされたからだ。直接の干戈でこそ勝利を得たものの、秀吉は外堀を埋めるように織田信雄の領土を侵食し、戦略上で優位を築きつつあった。万が一家康が秀吉に降伏しようものなら、最悪の場合北条家は徳川と佐竹ら反北条諸侯の挟撃を受ける事になる。

 やがて金山城に和睦の使者が訪れた。その内容は国繁と顕長を国許に返す事を引き換えに、北条家への服属と金山・館林の明け渡しを要求するものだった。

(潮時じゃな)

 妙印尼はそう悟る。恐らくこれが北条家から引き出せる最大の譲歩であろう。既に佐竹・宇都宮の支援を失っている事から考えれば破格の条件と言うべきだった。

 こうして、遂に北条と由良の間に和議が結ばれた。国繁・顕長兄弟は無事返され、それぞれ桐生、足利に移る事になった。役目を終えた妙印尼は隠居の身に戻り、再び亡き夫を弔う日々に帰っていった。

 今一度表舞台に立たねばならなくなる事など、考えも出来ずに。




 それから五年の月日が流れた。北条家は着々と上野の支配を固め、嘗て由良と共闘した佐野家も事実上の従属下に置くに至った。関東における優位は動かず、このまま北条家が関東の覇者として君臨するかに思われた。

 しかし、それを許さぬ者が居た。関白豊臣秀吉である。徳川家康を屈服させ、四国・九州を制覇した今、北条家は秀吉にとって最後の障害になるに至った。一度は氏政・氏直父子の上洛を行うと約して服属を誓った北条家であったが、上野に領土を有する真田家との間に領土紛争を起こしており、遂に天正十七年十一月、秀吉の仲裁で真田領と取り決められた名胡桃城を攻撃し占領するという挙に出てしまう。これは惣無事令を大義名分にして諸大名を服属させんとする秀吉に対する重大な挑戦であり、北条と豊臣の関係は急激に悪化。いつ戦端が開かれてもおかしくない状況にあった。

 そんな中、静かな隠居生活を送る妙印尼宛に、一通の密書がもたらされた。国繁でも顕長でもなく、妙印尼宛という話を聞いて彼女は訝しんだが、その差出人を見るや、驚きと納得でそれを受け入れた。差出人の名は渡瀬繁詮。由良成繁の次男であり、妙印尼の実子にあたる人物だった。若くして父や兄弟と対立し、逐電したきり消息が掴めなかった不肖の息子である。

「今に至って連絡が来るとはの」

 そう独りごちる妙印尼の表情は複雑だった。長年音信不通の倅からの突然の手紙とあれば無理からぬ話だ。しかも手紙は遠く上方からのものだという。その上方という言葉に、妙印尼は引っ掛かりを覚えていた。心機一転しての詫び状の類でない事は明らかに思えた。

 果たしてその書状は詫び状の類ではなかった。近く執り行われるであろう関東征伐に際して、由良家を豊臣に帰順せしめよとする調略の文書だったのである。彼は由良家を出奔して上方に赴き、やがて当時織田信長の腹心として播磨平定に取り掛かっていた羽柴秀吉に仕え、現在に至るという。彼の手紙の背後には、当然関白秀吉の意志がある筈だった。

 本来ならこの密書は隠居の妙印尼ではなく、実の兄であり由良家の当主たる国繁に対して発せられるべきものだ。それを妙印尼に宛てる所に、繁詮の複雑な感情が見えるように妙印尼には感じられた。そもそも彼と成繁、国繁が対立したのは北条家への服属の是非を巡る議論がきっかけだった。繁詮は強硬な反北条派だったのである。だが父と兄に意見を退けられ、それを理由に退転している。兄国繁に対する印象が良かろう筈はない。

(一体どこまで、この婆に骨を折らせるつもりなのじゃ)

 手紙にはこうあった。自分が兄に意見を述べたとて兄がそれに従う筈はないから、母上の名で豊臣への帰順を提案する形にして欲しいと。受け取る側にしてみれば甚だ図々しい要求だった。しかも受取人は八十に手が届かんとする老婆なのである。

 だが、妙印尼は感情一つで物事を決せられる単純な人間ではなかった。由良が豊臣に帰順すべきである事は認めざるを得なかったからだ。いかな北条が関東に覇を唱えていようとも、天下に号令を掛ける公儀に対して勝てる訳がない。下手をすれば秀吉は朝廷に工作して北条家を朝敵認定するかも知れなかった。そうなれば、それに与する者もまた朝敵扱いされかねない。由良家は自らを新田義貞の末裔と称している。その由良家が逆賊認定されるなど、沙汰の限りと言えた。

(周旋はする他ない。しかし……)

 溜め息をつきながら、妙印尼は目を閉じる。その心は晴れぬままだった。実際に関東征伐が行われたらどういう事になるのか、彼女にはおおよその見当がついていたのだ。

(恐らく国繁が関白様に謁するのは、叶わぬ事であろう)

 暗澹たる気持ちを表すかのように、今一度彼女は深々と溜め息をついた。




 天正十七年十二月十三日、関白豊臣秀吉は関東征伐の陣触れを発した。北条氏直もこれに敏感に反応し、各地の兵力を小田原と箱根山付近の城砦、それに八王子や松井田、鉢形といった北関東の要所に結集してこれに備えた。当然それは配下の国人衆にも当て嵌まり、多くの諸侯が小田原への籠城を余儀なくされた。そしてその中に、由良国繁と長尾顕長の名も含まれていた。

 妙印尼の危惧した通り、国繁と顕長は豊臣家に服属する事が出来なかった。早々と北条家の圧力が掛かり、小田原への籠城を強く要求して来た為である。既に金山城には北条家の城代が置かれ、厳重な監視体制が敷かれていた事から、抵抗は不可能だった。

(やはり、こうなってしもうたか)

 国繁らを見送りながら、妙印尼は深く考え込む。無論好き好んで小田原に参陣する訳ではないが、事実としては由良家が豊臣に敵対した事に変わりない。もし豊臣が戦に勝った暁には良くて所領没収、最悪の場合国繁と顕長は腹を切る事になろう。

(このままでは駄目じゃ)

 嘗て息子二人が囚われの身になった時と同じく、彼女の内から衝き動かすようななにかが湧き出している。その正体を彼女は知らぬ。だが、あの時と同じく行動を起こさねば必ず後悔するであろう事だけはわかっていた。

「貞繁や」

「はい、お祖母様」

 今や元服し、十七の凛々しい青年になった孫の貞繁が祖母に振り向く。

「すぐにそなたの名で城の留守居に戦支度をさせるのじゃ」

「越後からの攻撃に備える為でございますか」

「いや、さにあらず」

 貞繁は怪訝そうに祖母を見つめる。その様にはどこか年頃の幼さが残っている。

「上越諸侯の率いる討伐軍に馳せ参じる為じゃ」

 貞繁は思わず口をぽかんと開けた。それが一層、この青年の幼い所を引き出しているように妙印尼には感じられた。

「し、しかし。父上や叔父上は既に」

「無論承知しておる。だが忌憚なく申せば、この戦豊臣の勝ちじゃ。北条には万に一つも勝ち目はあるまい。さすれば北条に与した由良の滅亡は必定。そなたの父や叔父も腹を召さねばならぬやも知れぬ。それでは亡き大殿に対して申し訳が立たぬ」

 そして、貞繁を更に驚かせる行動を彼女は為した。地べたに額を擦りつけるように、深々と平伏して見せたのである。

「老い先短い婆の我儘じゃ。どうかわらわの言う事を聞いてたもれ」

 貞繁には最早、眼前の老尼を止める術が見つからなかった。




 上野国松井田城。嘗て安中一族が治めていたこの城は、紆余曲折の果てに北条家の所領となり、秀吉の関東征伐に備えた大改築が施されている。そしてその目算通り、この城を夥しい数の軍勢が囲んでいた。北越より侵入した前田利家・上杉景勝を中心とした豊臣軍である。

 そしてこの日、北越軍に一つの報せが届いた。桐生を治める由良三百の手勢が馳せ参じたとするものである。三百の兵が加わったとてさしたる違いもないが、味方が多いに越した事はない。前田利家は同行していた渡瀬繁詮をして対応に当たらせる事にした。無論彼が由良家の縁者であるが為だ。

 由良軍を直接出迎えたのは三十ばかりの若々しい鋭気に満ちた男だった。若いながらもその風格は歴戦のそれであり、勇壮たる雰囲気を醸し出している。

 だが眼前に姿を現した由良家の代表者を見て、男は一瞬絶句した。一人は若殿と思しき十七、八の若武者であったのだが、もう一人は薙刀を携え、法衣の下に鎧を着込んだ七十過ぎの老婆だったのである。

「……よくぞお越し下された。それがし渡瀬繁詮が家臣有馬万助豊氏と申す者です」

 豊氏が辛うじてそう絞り出すのに応え、老尼は深々と頭を下げた。

「わざわざのお出迎え、恐縮に存じます。これなるは由良信濃守が嫡子貞繁、わたくしは信濃守が母妙印尼と申す者にございます。関白殿下の北条征伐に際し、手勢三百を率いて罷り越した次第。取り急ぎ、加賀宰相様にお目通り致したく存じます」

 その老女の眼光あくまで鋭く、さしもの豊氏が一瞬息を呑んだ。彼は戸惑いながらも彼女と貞繁を主君繁詮の下に送り届けた。

 繁詮もまた、母の姿を見て驚愕に目を見開いた。

「な、何故母上がかようなお姿で……兄上や顕長はどうしたというのです」

「小田原じゃ」

 妙印尼は甚だ不機嫌そうにそう返した。顔色を変える繁詮に対し、妙印尼はより厳しい表情で親不孝の倅を見据える。

「国繁と顕長がどんな立場にあったかは、そなたもよく存じておった筈ではないかえ? わざわざこの婆宛に書状を送りつけて来たのじゃからな」

 それを言われると、繁詮としても返す言葉がない。

「貞繁は確かに元服を済ませておる。若く未熟な所はあるが、一人前の武士として扱っても大過あるまい。だがそれだけでは足りぬ。こんな婆でも、身を粉にして奉公致さねば、国繁と顕長、そして由良の家名を残すのはおぼつかぬのじゃ。なればこそ、分不相応とは百も承知でわらわも戦支度をして参った。帰れと言われても帰らぬ」

 その断固たる態度に繁詮も根負けし、彼女も利家への謁見に同席出来るように利家らを説得した。当然利家は難色を示したが、繁詮決死の説得によって遂にそれを差し許した。

「加賀宰相様におかれましては謁見をお認め頂き、恐悦至極に存じ奉りまする」

 利家との謁見に臨んだ二人の態度は対照的だった。年若い貞繁は錚々たる顔触れを前にして明らかに緊張していたのに対し、妙印尼の側は堂々たる立ち居振る舞いだった。これではどちらが主人かわかりはしないが、年輪の違いを考えればそれもやむを得ない所ではある。利家も貞繁の未熟よりは、むしろ妙印尼の勇姿に強い関心を寄せたらしい。問いは彼女に集中した。

「由良信濃守、長尾但馬守が参上せず、そなたが参上したのは如何なる理由あっての事か」

「恐れながら申し上げます。去る天正十二年より由良家は北条の攻撃により服属を余儀なくされました。此度の戦役においても、北条は強い調子で小田原への籠城を要求して参ったのです。拒否すれば宰相様ご到着の前に城は陥ち、こうしてわたくしと貞繁が参上仕るのも叶わなかった事でございましょう」

「豊臣と北条の旗色を見て、どちらが勝ってもよいように手勢を分けたのではないのか」

「滅相もなき事でございます。倅繁詮よりわたくしに書状が参って以来、家臣一同公儀へのご奉公を行うよう国繁らを説得し、彼らもその気になっておりました。此度の小田原参陣は甚だ不本意な成り行きによるもの。由良の心は公儀への忠誠にこそあります」

 媚びるでもない堂々たる答弁である。それを見た利家が、これまでの厳しい表情を僅かに和らげたように彼女には見えた。

「よかろう、それは関白殿下に言上致す。しかし何もそなたの如き老婆が戦支度などして馳せ参じる事はなかったのではないか? 齢を考えれば甚だ大儀であろうに」

 利家の質問に対し、初めて妙印尼の表情に変化が訪れる。それを見た利家は、微かに顔色を変えた。

「倅の命がかかっておるのに、大儀などと言っておられましょうか」

 それは勇ましい女武者の顔ではなかった。子を心配する一人の母親の顔だった。利家が沈黙したのを見て取った彼女は、畳みかけるように続けた。

「分不相応な頼みとは存じております。女風情が言うべき事ではないのだとも。ですが恥を忍んで申し上げます。どうか関白様に謁見の折に、倅二人の助命をお口添え頂きたい。如何なる成り行きがあろうとも、倅が殿下に刃を向けたのは事実。どう覆しようもございませぬ。なれど我が由良勢身を粉にしてご奉公仕りまする故、どうぞその功績をもって倅の罪一等を減じて下さいませ。もし必要とあらば……」

 ぷつりと言葉を切った。諸侯の視線を浴びる中、彼女は暫く黙りこんだ後、はっきりと言った。

「もし必要とあらば、この妙印尼の首級を差し出してお詫びの証とさせて頂きまする」

 誰もが言葉を失っていた。繁詮は蒼ざめ、貞繁に至っては開いた口を塞ぐ事すら忘れる有様だった。

「……その覚悟やよし!」

 重い沈黙を破ったのは利家の鋭い一言だった。全員が利家を凝視する。

「妙印尼殿、そなた達を疑うた事はこの前田又左衛門の恥じゃ。心よりお詫び申し上げる。ならばその言葉通り、武勲によって忠義を示されるがよい。その奉公次第ではわしも関白殿下に取り成し、そなた達が殿下にお会い出来るように取り計らってもよい。しかと励まれよ!」

「……勿体なきお言葉に、ございます」

 妙印尼は地面に頭を擦りつけて謝意を示した。慌てて貞繁と繁詮がこれに続く。

「役目、大儀」

 利家の表情は、今度こそはっきりと和らいでいた。




 かくて従軍を許された妙印尼率いる由良勢は、その後の松井田、八王子、鉢形といった北条方の要害攻略に北越勢の一員として加わり、少なからぬ功績を立てた。そして妙印尼の予測した通り、天正二十年七月五日に北条氏直は城を出て降伏。豊臣と北条の戦は豊臣の勝利に終わった。利家は約束を守り、由良勢の秀吉への謁見を取り計らった。そしてその工作実って、遂に秀吉との対面が実現する事になったのである。

「そちが妙印尼とやらか。前田殿から話は聞いておるぞ」

 秀吉の視線は妙印尼に集中している。利家と同じく貞繁など眼中にないかのようだった。天下人に見据えられれば普通の人間では恐懼し縮み上がる所であろうが、この尼はあくまで堂々としていた。

「わたくしの如き者の名を殿下が存じておられるとは勿体なき事。恐懼の極みでございます」

「前田殿が手紙で知らせて参ったからな。大した後家が居ると。成程、それもあながち嘘偽りではないようだな?」

「滅相もございませぬ、わたくしの如き婆なぞ」

「ほう、自分の功なぞ大したものではないと?」

 秀吉が些か意地悪そうに言う。この後に続くであろう言葉を、彼女は一言一句暗唱出来る思いがした。

「ならば、そなたの願いについても考え直さねばならぬかも知れぬのう」

 利家がちらりと秀吉を見た。繁詮と貞繁の顔色も変わっている。だが妙印尼のみ、決然と秀吉を見据えて動じなかった。

「もし由良が働きにご不満あらば、どうぞこの場でわたくしめをお斬り下さいませ」

 秀吉の表情から笑みが消える。それを見た諸侯に焦りの色が浮かぶ。妙印尼は動かない。変わりなく秀吉を見据えている。その所作に恐れの類は感じられなかった。永遠にも思える、だが短い沈黙の後、それに根負けしたかのように秀吉は大きく息を吐いた。

「……冗談じゃ、妙印尼殿。前田殿からそなたの功績は十分に聞いておる」

 秀吉が再び笑みを浮かべる。但し今度は苦笑いといった態だ。

「前田殿にも、似たような啖呵を切ったそうじゃな。大胆不敵な事よ。聞けば何年か前にも北条の侵攻に対し自ら軍配を握ったとか。その胆力はいにしえの巴御前に勝るとも劣るまい」

 秀吉は笑みを浮かべながら二度、三度と大仰に頷いて見せる。

「その女丈夫でも、倅二人の命は惜しいと申すのか」

 今一度、じろりと利家が秀吉を見やる。その後に妙印尼を見た。彼女の顔は、松井田で初めて会った時と同じくしていた。当然それは、秀吉も目敏く見抜いている。その顔からは再び、笑みが消えていた。

「……由良を滅亡の淵に立たせる愚か者であろうとも、上方に逐電して碌に文も寄越さぬ親不孝者であろうとも、我が腹を痛めた大事な子に違いはありませぬ」

「その倅を助ける事で由良の本領が安堵されなくなるとしても、同じ事が言えるか」

 ぞっとする冷たい口調で秀吉が問う。氷のような眼差しは妙印尼を捉えて離さない。これは暗に、二人の助命と本領安堵は両立し得ない事を示している。古来武士という生き物は『一所懸命』に己が本領を守ろうとするものだ。それ故に秀吉の命令に反して本貫の地に固執し、攻め滅ぼされた国人領主は少なくない。秀吉の問いはそれを踏まえたものだと言える。

 だが妙印尼は、一切の躊躇いなく言い切った。

「倅二人の助命が叶うならば、例え桐生の地を失ったとしても悔いは致しませぬ」

 二人の視線が火花を散らすかのように重なり合う。利家は互いを険しい表情で見比べ、繁詮と貞繁に至っては蒼白に近い表情で息を詰めて見守っていた。

 やがて静寂を破るように、大きな溜め息が吐き出される。吐き出したのは秀吉の側だった。それまでの冷徹な表情は消え去っている。

「よかろう。そなたの願いは我が心にしかと留め置く。追って沙汰をする故、下がってゆるりと休むがよい」

 さながら老母を労わるような口調での言葉に、その場の全員が大きく息をついた。年若い貞繁などはあまりの緊張にへたり込むようにしている。だがそれ以上に安堵の意を態度で示したのは、他ならぬ妙印尼自身だった。

「ありがたき……ありがたき、お言葉」

 その身は嗚咽に震え、謝意を言葉に上手く表せない。それまで自らに強いて来た緊張の糸がぷつりと切れたのだ。秀吉を憚り、顔を覆って声を抑えながらも、迸る感情まで抑える事は出来なかった。

「繁詮、それに貞繁と申したか。妙印尼殿を送って差し上げよ」

 秀吉の言葉に弾かれたように反応し、二人が両脇に寄り添うように妙印尼を抱き起して退出してゆく。その様を諸将は感慨深げに見送った。

「又左」

 小声で秀吉が言う。利家は顔を近づけるように身を傾ける。

「どえりゃあ後家だがや」

 天下人になって以来、公の場で秀吉が尾張弁を用いる事はまずない。それだけ感銘を受けた証に違いなかった。

「まるでおっかあを見とるようだのん」

 利家は無言で頷いた。それでこの話は終わりだった。




 その後妙印尼の嘆願によって桐生・足利の本領と引き換えに国繁と顕長は一命を助けられ、由良家の人々はそれぞれ違う道を歩む事になった。

妙印尼は常陸国牛久に五千四百石の堪忍料を与えられ、その後継という形で国繁が実質的に当地を治める事になった。後に関ヶ原合戦が起こった際には家康に味方し、江戸城守備の功績で七千石に加増。また国繁の後を継いだ貞繁は大坂の陣で自ら手傷を負うほどの奮戦を見せている。こうした功績から由良宗家は高家の格式を有する上級旗本として、明治維新までその家名を保つ事となる。

渡瀬繁詮は功績が認められて遠江国横須賀三万石の大名となり、秀吉の後継者として関白に叙せられた豊臣秀次の付家老となる。だが秀次事件の際に彼を弁護した事によって秀吉の勘気を蒙り、自害を命じられた。その遺領は彼の子ではなく家老有馬豊氏に改めて与えられる形で引き継がれ、渡瀬一族は没落し遠江の地に帰農したとされている。また長尾顕長は流浪の身となり、佐竹義宣に一時仕えた後に再び浪人。その子孫は土井家や幕府旗本として仕えたとされる。

そして牛久に移った妙印尼は、今度こそ亡夫を弔う安寧の日々を過ごした。文禄三年にその波乱に満ちた生涯を閉じる。この時八十一歳。一度目の戦いは七十一歳、松井田城に馳せ参じた時には実に七十七歳であった。

 由良国繁が母を偲んで作らせた得月院には、妙印尼を偲ぶ五輪塔が今も残されている。また寺には、由良成繁の絵画と共に、軍配を持つ妙印尼の勇姿が描かれた絵画が寺宝の一つとして伝わっている。足掛け六年、二度に渡る彼女の苦闘は、死後も夫と寄り添う形で確かに報われたのである。




 戦国の世にあって、女が陣代として臨時に城主を務めたり、夫の籠城に従って軍装を纏い督戦したりする例は少なくありません。しかしこれだけ老齢の人物が、それも二度に渡って兵権を一時的にせよ掌握するのは稀な事でしょう。しかも二度目の場合孫の貞繁は成人しているのです。並々ならぬ覚悟がなければ出来る事ではありません。前田利家は彼女を『天晴な後家』として称えたとされます。

 伝承による彼女、特に一度目の戦いにおける彼女は、甲斐姫かと思わせる勇猛で峻烈極まる烈女として語られる事があります。降伏を促す北条軍に対して大砲を撃って返事の代わりにしただとか、幾度と寄せる敵軍を悉く退けただとか様々な武勇伝が語られます。

もっともそれは誇張に過ぎる話で、実際には由良単独の戦いではなく北条対反北条、それも弓矢の戦いよりは権謀術数の戦いと言った方が相応しい熾烈な外交戦争(特に反北条側は秀吉とも連絡を取っていた)の様相を呈しており、金山や足利は主戦場ではありませんでした。また由良家が北条家と戦争に入り、兄弟が拘束されたのは留守居の家臣達が兄弟の親北条路線に嫌気が差し、妙印尼を担ぎ上げてクーデターを起こした為だとする説もあります。

いずれにせよ彼女はあくまでお飾りの存在でしかなかった筈ですが、二度目の戦いで彼女が貞繁(当時十七歳なので既に元服している)の後見人として普通に同行し、利家・秀吉からも名指しで褒められている事から、彼女に合戦や人心掌握の才覚があった事は事実だと思われます。但し干戈を交える才覚より、夫譲りの策謀や交渉の才覚でしょうが。

 武士と言う生き物は所領、特に本領に異常なまでの執着を示します。九州などは、秀吉の転封命令に反発した多くの国人達が反乱を起こし、その結果凄惨な殺戮を招く事になりました。そんな中妙印尼は、桐生(この地は本来由良家ではなく桐生佐野家の本貫ですが)の地を失ってでも息子達を助けようと運動しました。戦で活躍した女丈夫、肝っ玉婆さんというイメージが独り歩きしているように思えますが、実際の彼女は家族に対する情の深い、本来ごく普通の『母』だったのだろうというのが筆者の個人的な見解です。

 なお、妙印尼の孫にはかの甲斐姫が居るとされています。彼女の武勇伝は半ば伝説的な話な訳ですが、その活躍を記した『成田記』が作られるにあたって、多くの軍記物が参考にされています。そしてその中には、妙印尼の活躍を参考にしたものも含まれていたのではないでしょうか。二人の活躍を比較すると、そうであっても不思議はないと思います。

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