バニラとビターチョコ
鏡の中の自分を見つめる。そこに映っているのは、間違いなく私自身の顔だ。けれど、同時にそれは妹の仁奈の顔でもある。私たち双子は、誰もがすれ違いざまに振り返るほど整った顔立ちをしており、そして、恐ろしいほどに瓜二つだった。髪の毛一本の癖から、笑った時にできる目尻のシワまで、私たちは鏡合わせのように同じだった。
私たちの「入れ替わり」の歴史は、ほんの子供の時分から始まっていた。最初は、親や学校の教師をからかうだけの、他愛のない無邪気な遊びだった。双子という特権を生かして、面倒な掃除当番を押し付け合ったり、苦手な科目のテストを代わりに受けたりした。私たちが服を交換し、髪型を揃えさえすれば、両親でさえ見分けることはできなかった。
成長するにつれ、そのゲームは私たちの人生そのものに深く根を下ろしていった。思春期を迎える頃、私たちはある取り決めをした。
『中途半端はつまらない。極端なキャラを演じた方が、人生は二倍楽しい』
私たちは意図的に、正反対の人間になった。
真奈は「真面目で優秀な自慢の女の子」
仁奈は「流行に敏感で自由奔放な女の子」
真奈のときは優等生として振る舞い、仁奈のときはイケてる女子として遊ぶ。でも、それは仮の姿にすぎない。私たちは定期的に服とメイク、そして身分をすり替えた。真面目な「真奈」として息が詰まれば、私は派手なメイクで、「仁奈」として男の子たちと遊びまわった。
「真奈はいい子ねえ。仁奈は昨日も夜遅くまで遊び呆けていて、心配だわ」
それ、どっちも私だよ。
笑いを噛み殺し、「そのうち落ち着いてくるよ」って私は返した。
入れ替わりの精度を維持するため、私たちの努力は並大抵のものではなかった。分厚い共有ノートを作り、お互いの毎日を克明に記録して、ボロがでないようにした。スマートフォンが普及してからは、クラウド上で共有して、随分楽になった。幼い頃から息を合わせ、何十年と続けてきたこの完璧な入れ替わりを、これまで誰一人として見抜けた者はいなかった。
すべては完璧。私たちは一人で二人分の人生を楽しんでいる。まるで甘いバニラとビターチョコがくるくると混じりあったソフトクリーム。
社会人になっても、真面目なOL「真奈」として息が詰まれば、私は派手なドレスに身を包み、夜の街で「仁奈」として男たちを狂わせる。逆に、夜の生活に疲れた仁奈は、すっぴんに近いメイクと地味なスーツで「真奈」となり、昼の世界で知的なキャリアウーマンとして振る舞って、真面目な男の人と大人のデートを楽しんだ。何人かの男からプロポーズもされたけど、仁奈にも相談して、丁重に断った。結婚すれば入れ替わりの生活も難しくなる。私たちは二人分の人生を捨てたくはなかった。
だけど、秘密の二重生活は突然、終わりを告げる。
事の発端は、仁奈の突然の妊娠だった。
相手は、彼女が「仁奈」として働いていたキャバクラの客で春樹といった。誰もが名を知る大手企業に勤務する、若きエリート男性だった。いわゆる「出来ちゃった結婚」である。
どうして、そんなエリートを仁奈が掴まえることができたのかというと、会社の付き合いで嫌々キャバクラにやって来て手持ち無沙汰にしていた春樹を仁奈が相手をしたのがきっかけということらしい。真奈としての生活でビジネスに対する知識があり、自分のビジネスの話を理解することができる仁奈に興味をもったというのが馴れ初めらしい。
「お姉ちゃん、ごめんね。私、結婚することになったの」
あっけらかんと言い放った仁奈の左手には、ティファニーの指輪が輝いていた。
いくら瓜二つだとしても、さすがに妊婦に偽装することまではできない。仁奈が出産するまでは、真奈としての生活を続けるしかなかった。
私たちの周囲の空気は劇的に、そして残酷なまでに変化した。両親の手のひら返しが始まったのだ。
「ねえ。アンタ。職場にいい人はいないの?」
「女が若くいられる間なんてあっという間よ。……選り好みしてないでさ」
「相手がいないなら、春樹さんに友だちを紹介してもらって――」
ふざけるな。私だってプロポーズの一つや二つ受けていたんだ。それを仁奈のために我慢したんだ。
真奈として、何人もの男とデートしたが、どの男もピンとこない。
あの春樹以上の男でなければ私のプライドが許さない。
かつては「しっかり者の真奈、遊んでばかりで困った仁奈」だったはずの評価。夜職について眉をひそめられていた仁奈は、一夜にして「エリートの妻となり、母となる立派な女性」へと昇格した。一方で、真面目に働いているだけの私はいつも不機嫌な困った娘。
「良い子」の真奈という強固な土台を作り上げ、血を吐くような努力で勉強し、一流大学に入り、大企業の内定を勝ち取ったのだ。今になって、遊んでばかりだった仁奈のほうが評価されるなんてありえない。
私が何十年もかけて築き上げた「真奈」としての自信は、仁奈がたまたま捕まえた「エリートの妻」という座の前に、いとも簡単に崩れさった。私の胸の奥底で、どす黒い憎悪の炎が静かに、けれど確実に燃え広がり、日増しにその熱を帯びていった。
仁奈は元気な男の子を無事出産し、祐真と名付けた。
祐真が一歳を迎えようとする頃、決定的な出来事が起きた。高級なベビーカーを押して実家に遊びに来た仁奈が、私たちが使っていた部屋で、冷たいお茶を飲みながらこう切り出したのだ。
「ねえ、お姉ちゃん。子供に手がかかるし……もう『入れ替わり』は終わりにしようと思うの」
私は持っていたマグカップを落としそうになるのを必死に堪えた。
「これからは母親として、ちゃんとあの子と、そして春樹と向き合って生きていきたいから。嘘をつき続けるのは、やっぱり子供に良くないと思うしさ」
どの口がそれを言うのか。散々私の努力の上で、人生を楽しんでおいて、自分が幸せを掴んだ途端に辞めるというのか。私をこの「行き遅れの真奈」という惨めな檻の中に永遠に閉じ込めて、自分だけが光の当たる場所へ行くというのか。
私は、沸点に達した怒りを、何十年もかけて培ってきた「完璧な笑顔」の裏に深く隠し込み、静かに頷いた。
「……ええ、そうね。母親だものね、仁奈。これくらいが、潮時かもね」
その日から、私は感情を完全に切り離し、冷徹な機械のように周到な準備を始めた。
まず、手を付けたのは、軍資金を手に入れること。
私は社内の経理システムにアクセスする権限があり、大口の取引先の振込口座を、裏サイトで入手したダミー口座に変更した。この取引先は循環取引に使っている会社だ。一億くらいの支払は定期的にある。いずれバレるだろうが、構いはしない。
ダミー口座に振り込まれたお金は、換金しやすく持ち運びの容易な宝石やブランド品を買い漁り、銀行の貸金庫に入れておいた。
そして、最後に自室の机の上に、便箋を一枚だけ置いた。
『人生に疲れました。探さないでください』
これで真奈が姿を消しても、会社の金を横領して失踪したことになるだろう。
準備がすべて完了した週末、私は仁奈に連絡を取った。
「最後のお願い。もう二度としないし、これからは絶対に迷惑をかけないから。今夜だけ、独身最後の思い出として『真奈』になってくれないかな。最後に一日だけ、『仁奈』になってみたいの」
私が電話口で涙ながらに泣き落とすように頼み込むと、これまでの借りがある仁奈は、渋々ながらも同意した。
翌朝、祐真をベビーカーに乗せて、仁奈は私の住むマンションにやって来た。
「ごめんね、無理を言っちゃって。あ、祐真くんも連れて来たんだね」
「預け先が見つからなくて……ごめんね、連れてきちゃった。ほら、祐真。真奈お姉ちゃんだよ」
私は柔和な笑みを顔に貼り付けて、手を振るが、祐真は無反応だった。いつもと違う場所に戸惑っているのかもしれない。
「でも、これで本当に最後だからね。真奈」
「ええ、もちろんよ。ありがとう」
いつもどおり、わたしたちは互いの衣服や持ち物を交換し、メイクを済ます。
私が笑顔で差し出したコーヒーには、睡眠薬をたっぷりと仕込んでおいた。
「ちょっと変な味がする」と言いつつもカップを飲み干した仁奈が、数分後には糸が切れた操り人形のようにソファに崩れ落ちるのを見届け、私はその体を冷たい目で見下ろした。
私は再び真奈としてメイクし直すと、眠りこける仁奈をスーツケースに押し込んだ。会社には体調が悪くなったのでと休みの連絡を入れる。
私は昏睡状態の仁奈を引きずり、車のトランクに押し込んだ。幼い子供を部屋に残していくわけにもいかず、祐真をベビーカーに乗せて、後部座席のチャイルドシートにしっかりと括り付けた。
カーナビの目的地は設定しない。私はただ、県境にある人けのない深い山奥へと向かって、ひたすらに車を走らせた。
あらかじめ下見をし、深く掘っておいた穴の前に車を停める。
トランクを開け、ぐったりとした仁奈の体を冷たい土の上へと引きずり出した。無抵抗な妹の頭に重いシャベルを何度も振り下ろす。
私は私を殺した。
静寂の戻った山林に、私自身の荒い息遣いだけが白く濁って消えていく。私はゆっくりとシャベルを下ろすと、冷たくなり始めた妹の体をビニールシートで包み込み、その上から冷たい土を被せていった。野犬に掘り返されないよう、念入りに、深く。
重労働に荒い息を吐くと、ふと、背後に突き刺さるような強い視線を感じた。
振り返ると、開け放たれた車のドアの向こう、後部座席のチャイルドシートに座る息子が目を覚ましていた。その幼い瞳はじっと、穴の底から這い上がってきた私を見つめていた。瞬き一つせず、ただ静かに、私の凶行のすべてを目に焼き付けていた。
背筋に冷たい汗が伝ったが、私はすぐに首を振って己を落ち着かせた。
……まあいい。どうせまだ言葉もまともに話せない、一歳にもなっていない赤ん坊だ。記憶など残るはずがない。
私はシャベルを握り直し、一心不乱に土を被せ、落ち葉でカモフラージュをして、誰も知らない完璧な墓標を作り上げた。
これで、すべての計画は完遂された。
消えたのは『横領を働いた犯罪者の真奈』
そして今、この冷たい山道を下り、あたたかい家へと帰るのは『エリートの妻で、幸せな母親である仁奈』なのだ。
――それから、数ヶ月の月日が流れた。
私は『仁奈』として、誰もが羨むようなタワーマンションで、完璧な妻、そして完璧な母を演じていた。
真奈がやった横領は会社の知ることとなったようで、上司の男から何度も真奈がどこに行ったか知らないかと執拗に連絡がきた。もともとは後ろ暗い循環取引だ。いまのところ警察沙汰にする気はないらしい。両親が失踪届を出したことにより、警察もやってきたが、私がそれとなく誘導した結果、仕事やプライベートでのストレスが原因と判断して、あまり真剣に捜索してはいないようだ。
時折、夫や親戚たちから「真奈ちゃんのこと心配ね」と声をかけられるたび、私は「気が済んだら戻ってくるんじゃない。きっと、第二の人生を楽しんでると思うよ」とうそぶいた。
私の心は微塵も揺るがなかった。手に入れた一億の隠し財産は、貸金庫の中に安全に眠っている。優しくて高収入の夫、そして何不自由ない生活。私が長年待ち望んでいた「勝者の人生」が、ここにあった。
そんな、ある秋の休日の午後だった。
春樹が、異常なほど興奮した様子で、リビングへと駆け込んできた。その腕には、よちよち歩きがすっかり上達し、自我が芽生え始めてきた息子が抱きかかえられていた。
「仁奈! おい、凄いぞ! こいつ、今喋ったんだ!」
「えっ、本当?」
私はソファから立ち上がり、『仁奈』としての完璧で優しい微笑みを顔に貼り付けて、愛する夫と息子のもとへ駆け寄った。
「ほら、ママにも言ってごらん? さっき、お庭でパパって言ったよな? ほら、ママだよ!」
夫に促され、息子はくりくりとした無垢な大きな瞳で、私をじっと見つめた。
その瞬間、息子の目が、あの深夜の暗い山奥でチャイルドシートから私を見下ろしていた、あの時の冷たく静かな瞳と重なったような気がした。錯覚だ。そう自分に言い聞かせる。
息子は、私に向かって小さな腕を伸ばし、その幼い唇をゆっくりと動かした。
「マナ」
【あとがき】
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短編のほうがよく読まれるとのことなので、連載長編の宣伝がてら書いてみました。
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