1-1 邂逅、そして始まり
その日、真っ白い流れ星が街の外れに落下した。その流れ星は、街の人間のほとんどに目撃されることはなかったが、極一部の人間たちには目撃されていた。その人間たちは、暗視ゴーグルとマシンガン、手榴弾等武装した集団だった。
その人間たちのリーダーと思しき人間が合図を出すと、黒い武装集団を乗せたジープが三台走り出した。
一方、流れ星の落下地点。そこには、半径一メートルほどのクレーターが出来上がっていた。クレーターの中心には白銀に輝く何か。それは幾層かの板に包まれているように見て取れた。それはまるで、翼で体を覆い隠している鳥のようにも見える。白銀のそれが僅かに震える。それを合図に、翼にも見て取れる板が展開する。
開ききった板は、天使の羽を思わせるシルエットだった。その羽を背に携え、立ち上がったそれは白銀の装甲を纏った人型だった。頭全体を覆う仮面の所為で表情はつかめないが、胸周りのふくよかなラインから女性である事がわかる。その白銀の天使は、腕に一人の少女を抱いていた。薄蒼い長いロングの髪に整った顔立ちで美少女と呼んでも差しさわりの無い少女だった。
天使はその少女を抱いたまま、その場を離れるようにゆっくりと歩き出した。ふらふらと、幽鬼のようにクレーターを出ると、街の灯りに誘われるようにそこへ向かって一直線に進んでいった。
一時間後、クレーターの周りに三台のジープが止まった。ジープから降りる人間たち。全員がライフルを構え、クレーターに銃口を向けるが、そこには何も無かった。
「探せ!まだ遠くには行っていないはずだ!」
リーダーらしき人間が指示を出すと、人間たちはすぐさまジープに乗り込み、散っていった。
その日の空は厚い雲に覆われて薄暗く、唸りを上げ続け、今にも空は泣き出しそうだった。そんな中を行きかう人々は、傘を片手に足早に歩を進めていた。そんな人の中を、傘も持たずに歩く少年が居た。季節外れのコートを着込み、両手をポケットに突っ込み、足早にどこかへ向かっていた。日系の端正な顔立ちをしたその少年は、どこか嬉しそうな表情だった。
少年は足を止めると、ポケットから二枚の写真を取り出した。その写真には、二人の少女が映し出されていた。一人は薄蒼い髪をセミロングに切り揃え、少年をイメージさせるようなジャケットを着込んだ少女。もう一人は薄蒼く美しいロングストレートの少女。どちらも、少年と歳も殆ど変わらないくらいで、美形と言って差し支えないほどの顔立ちをしていた。
話は一時間程前に遡る。少年が食料の買出しから戻ってくると、十階建てアパートの最上階にある彼の自宅兼事務所の前に、時代錯誤にも思えるシルクハットを被った老紳士が立っていた。
「倭 一輝さん…ですね?」
老紳士はシルクハットを軽くあげながら尋ねた。
「ああ、その通りだ。お客さんかい?」
少年―一輝はニッと笑うと、その老紳士を中へと招いた。
自宅兼事務所に招き入れると、老紳士をソファーに座らせ、買ってきた食糧を自分の机の上に置いた。部屋の中は少々散らかっていた。部屋の数箇所に分厚い書物が積み上げられ、机の上には書類がタワーを作っていた。
「すいませんね、暫らく遠出していたもので」
一輝は苦笑いを浮かべると、老紳士の向かいのソファーに腰を降ろした。
「それで、どういったご用件で?」
キッと真面目な表情で老紳士を見る。
「あなたはこの辺りでは腕の立つ“何でも屋”と聞いておりますが…?」
「他人の評価なんて興味ないね。俺は俺で飯を食うために仕事をしているだけさ」
「ははっ、頼もしいですな。では本題に入りましょう」
そう言うと、老紳士はモーニングの内ポケットから二枚の写真を取り出し、一輝に渡した。
「うおっ!可愛いじゃないですか」
「ははっ、お恥ずかしい」
「お孫さんで?」
「まぁ、そんなところです」
「それで、俺は何をすればいいんですか?」
「その二人を見つけ出し、保護してもらいたいのです」
「保護?何のために?」
写真から視線を離し、老紳士を見る。老紳士は何も言わなかった。
「理由ありですか……まぁ、いい。何も聞かなくても金さえ払ってもらえれば仕事はしますよ」
「ありがたいことです。代金は前金でよろしいですかな?」
老紳士はソファーの傍らに置いたジュラルミンケースをソファーの間に置かれたカラス製のテーブルの上に置き、ケースを開いた。
「……羽振りが良いですね?いいでしょう、引き受けます」
「ありがとうございます。では、保護できましたらここに連絡をお願いします」
老紳士は一枚のメモを渡す。
「わかりました、連絡します」
「では、私はこれから用があるのでこれで失礼させていただきます」
老紳士は腰を上げると軽く会釈した。一輝は慌てて立ち上がると、老紳士を見送った。
そういった経緯で、一輝は現在街を歩き回っていた。しかし、手掛かりは二枚の写真だけとあっては、いくら腕の立つといわれる一輝でも見つけ出すのは困難なようだった。
一輝は足を止めると、しばし考え込むと、細い人気の無い路地に入っていく。そして、通りを離れたところで再び足を止め、コートの中から一冊の本を取り出した。薄緑をした不思議な雰囲気のその書物には、英語で『Celaeno Fragments(セラエノ断章)』と書かれていた。
「目を覚ませ、我が魔導書!セラエノ断章よ!」
一輝がその書物をかざすと、淡い光を放ち、ページが舞い踊る。そのページたちは一つに集まり、人の形を成す。そしてそれは肉を得て、命を得た。外見は人に近いが、その背には翼が生え、足は鳥のような肌と爪を持ち、全身は淡い緑色でなんとも中性的な顔立ちをしていいて、胸には乳房とも逞しい胸筋ともとれる厚さを持っていた。
「呼んだか?我が主、一輝よ」
地面に降り立つと、一輝の前に膝をおり跪いた。
「セラエノ、久しぶりだな。早速だが、お前にやってもらいたいことがある」
そう言って、魔導書の精―セラエノに写真を見せる。
「これは?」
「歩いていたんじゃいつまで経っても見つけられん。空から探してくれ」
「御意」
一度頭を下げると、セラエノはその翼を羽ばたかせて、空へと飛び去っていった。
魔導書―それは、宇宙的視野での様々なおぞましく、素晴らしく、退廃的で嗚咽感を覚えるような外道の知識などが書かれた書物である。強力な魔導書はその魔力で、セラエノの様に自身の肉体を得る事が出来る。そして、魔導書は自身と契約した主に傅き、力を与えるのである。
その魔導書と契約したものを魔導師と呼び、人々は恐れた。魔導師の前には、全ての法則が捻じ曲がる。そのため、魔導師の中には精神を歪め、力を間違った方向に使う者も少なくなかった。それを止めるために、魔導師たちが作り上げた組織があるのだが、今はその事には触れないでおく。
一輝は魔導師の中でも精神を歪めず、魔導師である事をひた隠しにして、この街で生活している。そのため、普段セラエノを目覚めさせるような事は無いのだが、稀に仕事に行き詰ったときに助っ人として目覚めさせていた。
一輝はセラエノが飛び去るのを見届けると、また通りに出て当ても無く、写真の少女たちを探し始めた。
鼻をつく異臭。それは、嘔吐感を呼び起こさせるほど不快で、少女は目を開けた。目の前には薄暗い空が映る。辺りを見回して、少女は自分がゴミ捨て場に倒れている事に気がつく。その不快さから早く逃げたいのか、上半身を起こす。そして、自分の下に何かがあることに気がついた。
「お、お姉ちゃん!?」
慌てて上から降りると、自分の姉を抱き上げる。姉は、気を失っているのかまったく反応を示さない。それでも、息があることにホッと胸を撫で下ろした。
「ここ……どこ?」
改めて回りを見回すが、まったく記憶に無い場所。しかもゴミ捨て場である。少女は不安が募り始めた。
「お、お姉ちゃん……目覚まして…お姉ちゃん!」
姉の体を揺するが、一向に目を覚まさない。少女は更に不安に苛まれた。
そのときだった。少女の前に影が降りた。振り返ると、そこに一人の少年が立っていた。自分と殆ど歳も変わらないような少年。少年はニッと笑うと手を差し伸べた。
少女は、縋る様にその手をとった。
セラエノが空から探査してくれたお陰で、目的の少女たちを保護する事が出来た一輝。現在は少女と気を失っている少女の姉を自分の自宅兼事務所に連れて行き、姉のほうを自分のベッドに寝かせ、少女にはシャワーを貸していた。
一輝は、とりあえず少女の服を洗濯機に叩き込むと、適当に自分の服を見繕って少女に代えの服として提供した。
「思いの外早く見つかったな…さて、連絡を入れておくかな」
机の上に置かれた携帯電話を手に取る。すると、ちょうど少女がシャワーから出てきて、一輝の居る事務所に顔を出した。
「あの……?」
「もう出たのか?まぁ、座りな。何もお構いできないけどさ」
携帯電話をポケットに押し込み、ソファーに少女を座らせる。そして、一輝自身も向かいのソファーに腰を降ろした。
「さて、何から聞こうか……っと、自己紹介がまだだったね。俺は倭 一輝。この辺りで『何でも屋』をやってる。一輝って呼んでくれて構わないから」
「わ…私はフィン・ウィンドパークと言います…私もフィンで結構です」
軽く頭を下げるフィン。その仕草がどこか可愛らしく、一輝は少し見惚れてしまった。
「そ、それで、何でフィンたちはあんなところに居たんだ?」
「……わかりません。お姉ちゃんなら何か知っていると思うんですが……」
「お姉ちゃん…か。早く目を覚ましてくれるといいな」
そう言っていると、呻き声と共に、寝室のドアが開いた。壁に寄りかかり、フラフラとした足取りで、ドアに体重を預ける姉。
「お姉ちゃん!?」
「フィン…?」
虚ろな目でフィンの姿を探す。
「フィン…」
フィンの姿を見つけ、ホッとした表情になる。だが、フィンの傍の一輝の姿を捉えた瞬間、何かスイッチが入った。
「私のフィンに近づくな!!」
それは一瞬だった。
「うがっ!?」
見事な跳躍。そして、見事な飛び蹴りだった。一輝の顔面にヒットした蹴りの威力は凄まじかった様で、そのままフィンの座るソファーまで吹っ飛ばされた。
「か、一輝さん!?」
慌てて一輝を抱き起こすフィン。一輝の顔には真っ赤な靴の痕がついていた。
「お姉ちゃん!何てことするの!?」
「な、なんでフィンが怒るのよ?私はただ……」
「この人が私たちを助けてくれたのに…!」
「……え?」
姉は首を傾げた。
「いっつ……ったく、酷いな」
顔を冷えたタオルで覆う一輝。一輝の座るソファーの向かいにはフィンと一緒に姉が腰を降ろして苦笑いを浮かべていた。
「あはは……ごめんね?」
「お姉ちゃんったら……一輝さん、申し訳ありませんでした。お姉ちゃん、昔からこうなんです」
申し訳なさそうに話すフィン。その横で姉も一緒に頭を下げていた。
「お姉ちゃん、自己紹介」
「そうね。私はエイラ。エイラ・ウィンドパーク。エイラって呼んでくれて構わないわ。よろしくね」
手を差し出すエイラ。一輝はその手を握り返した。
「で、何であんなところに倒れていたんだ?」
「あんなところ?」
エイラは首を傾げた。
「覚えてないのか?ゴミ捨て場で気を失ってたんだぞ?」
「え?」
「うん。私が目を覚ましたときはもうゴミ捨て場だったよ?」
「そう……どうりでなんか臭い筈ね。一輝、シャワー借りるわよ?」
一輝の返答も聞かず、シャワーを探して部屋を出て行くエイラ。一輝とフィンは同時に溜息をついた。
「随分豪快なお姉さんだな」
「は、はは……お恥ずかしいです」
「まぁ、退屈しなさそうでいいじゃないか。さて、何か適当に着替えでも用意するかな?」
「すいません、お姉ちゃんにまで着替えを……」
「なに、気にする事無いさ。ついでに、何か飲み物も持ってこよう」
そういうと、一輝は腰を上げ、部屋を出て行った。
「っと、そうだ、連絡忘れるところだった」
エイラの分の着替えをシャワー室の前に置き、キッチンでコーヒーを淹れている途中で、依頼人に連絡をいれていない事を思い出す。ポケットから携帯電話を取り出し、履歴から依頼人の番号を呼び出し、コールする。
「あ、もしもし?ご依頼の件、片付きました。それで、迎えに来られるんで?」
依頼人とフィンたちの迎えについて話し始める。二分ほど話をして、一輝は電話を切った。
「あーあ、勿体無いかなぁ…まぁ、これも仕事だ。諦めよう」
溜息を一つつくと、二つのカップにコーヒーを注ぎこんだ。
事務所に戻ると、いつの間にかシャワーを終えたエイラがソファーに座って寛いでいた。
「あら?飲み物持って来てくれたの?ありがと」
一輝の姿を確認すると、二つのカップを引ったくりフィンに一つを手渡す。そして、当たり前のようにそれを喉に流し込んだ。
「……俺の分だったのに」
「すいません……」
フィンが申し訳なく頭を下げる。
「まぁ、いいさ……で、サイズは合ってるか?」
「んー、少し大きいかな?やっぱ、男の子の物って感じね」
「小さいよりマシだろ」
一輝が小さく溜息をつくと、事務所のドアをノックする乾いた音が響いた。
「何?お客?」
「まぁ、そんなところだ」
「私たち、奥に引っ込もうか?」
「いや、別にそこに居て構わないよ。どうせ、二人にも関係あることだ」
「「え?」」
一輝は首を傾げる二人をよそに、ドアを開ける。すると、マシンガンや手榴弾等で武装した黒服の集団が事務所に流れ込み、フィンとエイラの二人にその銃口を向けた。
「お、おい!」
慌てて割って入ろうとする一輝の肩を誰かが止めた。振り返ると、一輝に依頼を持ってきた老紳士が立っていた。
「ご苦労様です。まさか依頼した当日に見つけていただけるとは……いやはや、なかなかの腕のようですな」
老紳士は、怪しい笑みを浮かべた。
「ちょ、一輝!どういうことなの!?」
「一輝さん!」
「悪い二人とも。俺はこの人の依頼で二人を保護したんだ」
キッと一輝を睨むエイラ。一輝は肩を竦めて返した。
「あんた!こいつらがどういう奴らか知ってるの!?」
「さぁ?深く顧客の情報は聞かないことにしてるんでな。何も知らないよ」
「さて、お話はもうよろしいですかな?おい、連れて行け」
老紳士が黒服の一人に命令する。黒服たちは、マシンガンを構えなおすとジリジリと二人を囲む円を縮めていく。エイラの頬を一筋の汗が流れた。
「くっ!」
エイラの体に光が筋となって走る。それは誰も知らない文字―魔術文字を描き、幾何学模様を描く。それを見て、一輝は目を細めた。
光が物質化し、装甲となりエイラの足元からその体を包み込む。だが、エイラの息が上がり、膝を折ると同時に、中途半端に物質化した状態で止まった。
「お姉ちゃん!」
エイラの体を支えるフィン。エイラは大量の汗を滲ませながらも、黒服たちを睨みつけていた。
「どうやら、体力は回復しきっていないようですね」
老紳士が笑った。
「ところで、俺の仕事はもう終わったとみて良いんですかね?」
一輝が老紳士に尋ねた。
「ええ。ありがとうございました。それと、騒がしくして申し訳ありませんね。すぐに終わらせますので」
老紳士は一輝に振り返り、シルクハットを少しあげた。
「ああ、いえ。お気になさらずに」
老紳士がエイラたちに向き直る。一輝は小さく笑った。
そうしている間にも、黒服たちとフィンたちの距離は縮まっていく。そして、黒服の一人がフィンの腕を掴んだ。その直後だった。
「吹き荒れろ!荒々しき恵の風よ!いあ!はすたー!」
一輝の声と共に、黒服を押しのけるように荒々しい風が室内に吹き荒れた。一輝はその中で駆け出すと、二人の腕を掴んだ。
「しっかり掴まってろよ!」
「「えっ?」」
「セラエノ!」
セラエノが顕現し、窓を突き破る。一輝は二人の腕を引いたまま、そこから飛び出した。
「悪いな!仕事は終わったんだから、俺の好きなようにさせてもらうぜ!」
一輝は室内の老紳士たちにそう言うと、そのまま落下していく。
「ちょっ!一輝!?どうするのよ!」
「一輝さん!落ちてます!落ちてますよ!」
「大丈夫だって!セラエノ!バイアクヘーを呼べ!」
「言われなくてももう呼び出した、案ずるな主」
セラエノが答えると同時に、何かの上に落ちる三人。足元を見ると、巨大な昆虫のような奇怪な生物の背の上だった。
「うわっ!何これ!?」
「大きい……」
「紹介は後でたっぷりしてやるよ、行け!」
バイアクヘーと呼ばれたその奇怪な生物は、羽ばたくわけでもないのに前進する。その光景は、この世のものとは思えない不思議な光景だった。
「ちっ!もう追って来たか」
耳を刺す爆音に振り返ると、戦闘ヘリが一機、一輝たちを追ってきていた。
「反応が早すぎだな…だが、バイアクヘーをなめてもらっては困るな」
一輝がニヤッと笑うと、バイアクヘーの進路上に巨大な光りの陣が描き出される。その陣の中には頂点の無い五芒星が描かれていた。
「二人ともしっかり掴まれよ。今から空間を越えるぞ!」
一輝の言葉に従い、フィンは一輝の体に腕を回し、エイラはバイアクヘーの硬く艶のある不思議な触り心地の体毛を数本掴んだ。
バイアクヘーの体が五芒星へ飛び込む。弾き返されそうは反作用。手を放せば主である一輝ですら吹き飛ばされそうな衝撃。一輝は片手でバイアクヘーの体毛を掴み、片手でフィンをしっかりと掴んだ。
「きゃああああああ!」
叫び声に振り返ると、エイラが衝撃で弾き飛ばされていた。
「エイラ!」
「お姉ちゃん!?」
フィンが手を伸ばす。エイラは首を横に振った。
「一輝!フィンの事、頼むわよ!絶対に!あいつらに渡しちゃ駄目よ!渡したら、承知しないからね!」
バイアクヘーの体の殆どが五芒星の中に消える。もう、エイラを迎えにいくには遅かった。エイラがニッと笑うのを最後に、五芒星は消えた。
「一輝……頼むわよ……」
落下しながら、エイラは笑みを浮かべていた。
「は……はは……また、なのね」
ゴミ捨て場に顔と足を出し、くの字に曲がって埋まるエイラ。鼻につく匂いと、なんともいえない嘔吐感に、エイラは苦笑いを浮かべていた。
「あらあら、随分と素敵な格好じゃない?」
足音と共に、耳に届く少女の声。エイラは、表情を強張らせていた。
「あなたが直々に出てくるとはね…」
エイラの前に立った少女を見上げ、目を細めながら小さく笑った。エイラを見下ろす少女は、綺麗な長い銀髪で、フィンやエイラと年齢も変わらず、二人に負けずとも劣らない美しい容姿をしていた。
「やっと捕まえたわよ?もう……」
そう言うと、少女は倒れこむようにエイラに抱きついた。少女は恋人を抱きしめるように頬を摺り寄せ、紅潮させていた。
「まったく……ミストったら……」
エイラは、フィンに向ける眼差しとはまた違った優しさで、ミストの髪を優しく撫でた。
「エイラ……どうして?」
腕を伸ばし、エイラから少し離れ、エイラの目を真っ直ぐに見つめるミスト。
「……」
エイラは、目を伏せ、視線を逸らす。ミストは、そのまま話を続けた。
「あそこにいれば、何も心配せずに、不自由なく暮らせたのに……どうして?何か不満があった?ねぇ?」
「……何不自由なく、か」
エイラは呟き、そして声を出して笑った。
「確かに、何不自由なく暮らせてたわね。苦痛さえ我慢すれば……ね」
「……苦痛が嫌だったの?だから逃げ出した?私がいるのに?」
エイラの頬に指を這わせるミスト。エイラは目を閉じ、その指をそっと掴んだ。
「ミスト……ごめんね。あなたに何も言わなかった事は、謝るわ」
「エイラ…ん……」
エイラがミストの言葉を唇で塞いだ。一分を超える長い口付け。エイラが離れたとき、ミストの目は名残惜しむように潤んでいた。
「ミスト……私、あなたの事大好きよ。あの場所であなたに逢えた事、凄く嬉しくて心地よかったわ」
「やだ…エイラったら……」
エイラの胸に顔を埋め、その紅潮した顔を隠すミスト。エイラは優しく抱くと、言葉を続けた。
「でもね、私知ってしまったのよ。フィンの命が危ないってね」
エイラは眉を顰め、空を睨んだ。
「たった一人の肉親の命が危ない。そう考えたら、あそこを逃げ出すしかなかった。力もあったしね」
「……」
「ミストに話さなかったことは後悔したけど、仕方なかったの。一刻を争ったから……」
「……そう」
エイラの胸から顔を離すと、今度はミストがエイラの唇を奪った。今度はただ唇を重ねるだけでなく、深く、舌を絡ませるほどの深いキスだった。
「んっ……!」
エイラの喉が動く。エイラは少し強くミストをつき放すと、咽こんだ。
「ミ、ミスト!?何を飲ませたの!?」
言った途端、エイラの視界が歪む。
「エイラ……あなたが悪いのよ?」
ミストの冷たい声。遠のき始めるエイラの意識。
「私、知ってるのよ?あなたが、自分の妹に姉妹以上の想いを持ってること。私がその代用品でしかない事も」
「ち……ちがっ……わた……」
言葉を紡げないエイラ。意識は消え、そのまま眠るように意識を失った。
「でも、そんなことは関係ないの。私はエイラのこと愛してしまったんだもの……だけど、やっぱり許せない。だから……ね?」
ミストは意識を失ったエイラの頬に指を沿わせる。
「私しか見えなくしてあげるの。そして、罰を与えるの。あなたが一番したくないことをさせてね……ふふ……」
甘く囁き、小悪魔の様にどこか楽しそうに笑うと、エイラの唇に指をあて、そっと開く。そして、自分の舌を差し入れるように、深い深い口付けをした。