第9話 斎の状態
絹は奥へと手を差し向ける。
「さあ、いつまでも玄関先でお話しするのも何ですから、どうぞお上がりくださいませ。すぐにお茶をご用意いたしますわ。――あら、お荷物はこれだけですか?」
「は、はい」
茉莉の手荷物は二つの古い風呂敷包みのみだ。恥ずかしい思いをしたが、絹は気にも留めず、茉莉から取り上げた。
「そうですか。ではお預かりしますね。ほら、千尋さん。お荷物を持って差し上げて」
「で、ですが」
「何をぐずぐずしているの。ほら早く」
絹は、たじたじになっている千尋に茉莉の荷物を押し付ける。
茉莉はおずおずと千尋を仰ぎ見ると、彼は一つため息を落として頷いた。
「改めまして茉莉様、千尋さんが失礼いたしました」
応接間に通された茉莉は、絹から謝罪を受けた。さらに絹は、横に座る千尋の足でもつねったのか、痛みに顔をしかめる彼へ謝罪を促した。
「斎様の側仕えと退魔師としても補佐官を務めている、千尋と申します。……先ほどは、ご気分を害することを申し上げたことをお詫びいたします。大変失礼いたしました」
「と、とんでもないことでございます。私こそ言葉足らずで、申し訳ございませんでした」
「紗和様のご指示というのは分かりましたが、斎様のご意向ではないですよね」
「……はい」
しかも統帥夫人が指名したのは彩華だ。茉莉としても後ろめたい。
「紗和様のご指示ならば、私どもは茉莉様を受け入れるほかありません。しかし斎様が納得されるかどうかまでは」
千尋はため息をつく。
今回のことに対して斎の意思は何一つ入っておらず、完全に家同士が決めた契約結婚だ。
「しょ、承知の上で看護のために参りました」
「……そうですか。では、斎様の状況はお聞きになっていますか」
「上位のあやかしから受けた傷のせいで治癒が遅れていると」
「要約するとそうですね。治癒が進まない原因は、その傷にあやかしが巣食ったからです」
「き、傷にですか?」
「ええ。今回、斎様を襲撃したあやかしも斎様によって傷を負いました。そこで霊気を食んで自身を治癒するために、斎様の傷に巣食ったのです」
傷つけられた時に瘴気が残っていただけではなかったのか。
茉莉は思わず息を呑んだ。
「日中でもその傷から瘴気が放たれるため、斎様は霊力で抑えていましたが完全に防ぐことはできず、耐性力のない使用人から順番に倒れていきました。そのため使用人には暇が出されました」
祓い師は清祓いが仕事だが、退魔師は町に現れるあやかしの討伐に非常に多くの労力を要するため、清祓いで人が押しかけてきては業務に支障をきたしてしまう。
したがって一般人には退魔師の家だとは認識できないように、より強固な結界を屋敷全体に張っている。
その結界は使用人たちが交代で張っていたが、次々と体調不良で倒れた結果、絹が一人で担っている切羽詰まった状態になっていると言う。
「そうですか。……妖力が強まる夜間、斎様のご様子は?」
「夜の睡眠中も術を施して瘴気を抑えようとなさってはいるのですが、おっしゃる通り、妖力が強まる時刻ですので、酷い……苦しみに襲われているようです。同時に瘴気に対抗する霊気も奪われているようで」
あやかしの瘴気を抑え込むために霊気を消費し、妖力が強まる夜間、霊気を奪われれば対抗する力は失われて体が衰弱し、さらに抵抗力が弱まって霊気を奪われる。悪循環だ。いくら霊力が高いといえども限界がある。
「今は瘴気が漏れないよう、私が斎様のお部屋周辺に結界を張っています」
通常の結界は特定の場所を区切って聖なる領域を作るものだが、この場合の結界はそれを応用して不浄や災禍など人間を害するものを閉じ込めているということだ。
「斎様は自室でご療養中なのですか?」
「浴室や御不浄など生活基盤が整っている離れでお過ごしです。少しの瘴気でもまき散らすわけにはいかないからと。ですが」
千尋は苦々しい表情で目を伏せた。
「日々、瘴気の濃さが増しているところを見ると、瘴気を抑える力も損なわれているくらい心身ともに消耗されているのではないかと」
「で、ですが、少しずつでもご回復はされていくのですよね?」
「ええ。時間が体を癒やします。……癒やしてくれるはずです」
千尋の口調と表情から、楽観視できるものではないように思えた。むしろ自分自身に言い聞かせているようにも見える。
「お食事はどうなさっているのですか」
「膳をお部屋の前に置いておりますの。わたくしたちまで倒れさせるわけにはいかないと、部屋に入ることすらお許しになりませんので」
続いての茉莉の質問については絹が答えた。
「食事量も減りましたし、心配ですわ」
夜間、酷い苦痛と瘴気を抑えることで十分な睡眠も取れない上、食事量まで減ってしまえば、体力を維持することができない。
「最近は日中でもわたくしたちが部屋に入れないよう、ご自身で結界まで張っておられるのですよ」
絹の言葉に千尋は不機嫌そうに眉をひそめた。
「それは、婚約者候補の方が斎様の部屋に無理やり立ち入ったことが原因だと思います。あげくに瘴気に当てられて、斎様の目の前で倒れたり、逃げ出したりしたのですから」
斎の母からの要請とはいえ、茉莉もまた押しかけ女房の一人だ。千尋と絹は、内心、不信感を抱いていることだろう。
茉莉は正座の膝の上に作っていた拳に力を入れた。
「正直に申し上げます。私はお察しの通り、霊力が低いです。その上、清祓いや結界を張るだけの能力はありません。ですが、瘴気に対する耐性は人よりあると思います」
結界を張れなくても、霊気があれば瘴気に対してある程度の防御壁にはなる。
「――いえ、あります。ですからどうか」
そう言って座布団から下り、畳に手をつき頭を下げる。
「どうか斎様の看護をさせてくださいませ。いいえ。まずはご挨拶だけでも」
「……茉莉様、顔を上げてください」
顔を上げると、千尋と絹は憂わしげな表情を浮かべていた。
「想像以上の瘴気の濃さだと思います」
「覚悟しております。引き際を見極め、お二人には決してご迷惑をおかけいたしません」
「斎様が拒否なさると……思いますわ」
「私は斎様の看護をするために参りました。斎様がたとえ拒否されるとしても、信頼を得られるまで何度でも足を運ばせていただきます」
茉莉の強い意思が見て取れたのか、二人は不安の気持ちを抱きながらも了承した。




