第7話 自分には何の力もない
「ひと月半ほど前、斎様が任務中、お怪我なさったのは聞いているだろう。ひと月程度で治るだろうと言われていたが、状況が変わった」
「……ご体調が芳しくないのですか?」
茉莉が尋ねると、泰造は頭が痛そうにため息をついて頷いた。
「あやかしと対峙中、部下を庇ってのお怪我だそうだが、その際に妖気の傷を受けたらしい。上位のあやかしだったらしく、治癒が遅れているどころか、悪化しているようだ。逢魔時以降は妖力がより強くなり、特に深夜などはご自身がお休みになることもあって妖力を抑えきれず、もがき苦しまれているとか。日中は何とかご自身の霊力で抑えておられるものの、それでも使用人は斎様の傷から発する瘴気で次々と体調不良となり、多くの者に暇を出されたとのことだ」
黒川家でも浄化依頼でいわくつきの物を預かり、その瘴気を受けて気分が悪くなったり、倒れたりする女中がいる。しかし、北上条斎は一流の退魔師だ。それでもなお抑え込めない瘴気ということは、黒川家に持ち込まれる物とは比にならないくらいの強さと言える。
「人手が減って、斎様の看護や屋敷の管理が行き届かない状態だそうだ。聞いたところによると、看病したいと婚約者候補が何人も押しかけたらしいが、皆、斎様の状態を見るや否や、たちまち逃げ出したという。そこで黒川家に白羽の矢が立ったんだろう。斎様の妻として屋敷に入って看護してくれないか、とな。退魔師統帥夫人、つまり斎様の母君から要請が来たんだ。承諾してくれるのならば、黒川家にとって何らかの良い形で返報させていただくと」
北上条家には三人の兄弟がおり、それぞれ家が与えられ、帝都本部近辺に屋敷を構える両親とは違う屋敷で暮らしているのだという。
「統帥夫人は、北部司令官長の座を争う現在、立場上、看護に行くことは許されていないらしい。ご夫人も統帥夫人である前に一人のお母君ゆえ、この状況に胸を痛めていらっしゃるのだ。そこで霊力が高い彩華ならばと見込んで、ご指名なさったのだろう」
「そんなの建前よ!」
彩華は怒りが再燃したのか、目を吊り上げて叫んだ。
「他の候補者が逃げ出すほど斎様は瘴気に蝕まれているのでしょう!? 統帥夫人は、斎様がもはや後継者争いから脱落したとお考えになったのよ! そんな方に進んで嫁ぎたい女性はいない。だから、まだ斎様の状況を把握していない私に妻になれと言ってきたのよ!」
「彩華、滅多なことを言うんじゃない!」
「あなた」
泰造はしかめっ面で彩華を注意するが、すぐに和歌子が口を挟んだ。
「彩華の言うことも一理ありますわ。後継者争いから脱落の危機どころか、もし斎様が正気を失われて、彩華を手にかけるようなことにでもなったらどうするのです。やはりお断りしましょう」
「しかしなぁ」
和歌子は、不満げに腕を組んでいる泰造に訴えるが、泰造はいまだ渋ったままだ。
「東西南北区全てを統括する退魔師統帥夫人から賜った申し出だぞ。もし今この要請を足蹴にすれば、義理を欠いた我が黒川家との縁は切られ、彩華は他の良家の子息との結婚さえ望めなくなるかもしれない」
すると彩華は途端に顔をしかめた。
「それって、私がしがない分家の妻になるしかないってこと!? 嫌よ! そんなの嫌! 私は、頂点に立つ男性の妻になるべき人間なのよ!」
「彩華。斎様のもとには嫁がないと言い、かといって分家に嫁ぐのも嫌などと無茶なことを言うな」
普段は彩華に甘い泰造だが、さすがに呆れ返っている。
「だって! 私のような選ばれた人間が底辺の分家に嫁ぐことも、使用人のように雑用であくせく働くこともおかし――あ。そうだわ。いるじゃない! それができる人が!」
そう言って彩華は名案といった風に明るい表情に変え、茉莉を見た。
「お姉様を私の代わりに嫁がせればいいのよ!」
「え?」
「霊力が低いとはいえ一応、お姉様も黒川家の娘だし、それで黒川家としての誠意は見せられるでしょ? お姉様は、家でも下女として働いているのだから適任だと思わない?」
「まあ、それはいい案だわ!」
和歌子は笑顔になると彩華に同意し、すぐに茉莉に鋭い目を向けた。
「普段は何の役にも立たないんだから、こんな時ぐらい家や彩華のために力になるのよ。いいわね!」
この家では茉莉の意思が尊重されることはない。茉莉は肯定も否定もできず、ただ泰造の言葉を待つばかりだ。
「しかしなぁ……。夫人からは妻として入ってほしいと言われているのだ。統帥のご令息に霊力の低い茉莉を宛がうのはなぁ。将来を有望視される斎様の妻が劣っていてはこの国の損失だろう」
「それはこれまでのお話です! もしこのまま斎様が復帰できず、後継者争いから脱落されたならば、才能あふれる彩華がその不遇な立場になるのですよ!」
和歌子の言葉に同意して彩華は大きく頷き、渋る泰造に対して頬を膨らませて拗ねた。
「お父様は彩華が可愛くないの!? お姉様よりも!?」
「いや。それは比べるまでもない。彩華が可愛いに決まっているだろう。親心として、私の可愛い娘をそんな危険な場所に送り出したくはない。お前の幸せを一番に思っているさ」
泰造は、ためらいもなく茉莉にとって残酷な言葉を口にした。
もう現状よりは傷つくことはないだろうと思っていたが、言動の刃物は姿を変えていくらでも茉莉を傷つけてくる。痛みには慣れていると、うそぶく茉莉を嘲笑うかのように。
「しかし、どうしたものかな」
統帥夫人からの要請と彩華の狭間で揺れ動く泰造。
「――あ。そうだわ。私、いいことを思いついちゃった」
彩華は満面の笑みでぱちりと手を叩く。
「斎様の妻として看護に当たったら、返報を頂けるのでしょう? だったら、もう一人の娘のためにと、良家の嫁ぎ先を紹介してもらえばいいのよ!」
「どういうことだ?」
泰造は彩華の意図が見えず、困惑顔だ。
「お姉様が斎様の妻として北上条家に入って看護し、ご快復したら私が斎様に嫁ぐの。もし快復されなければ、私がその紹介された所へ嫁げばいいのよ!」
「は!? さすがにそんな身勝手な真似、夫人がお許しになるわけないだろう」
「斎様のお母様だって、内心は無理を承知と考えているから、斎様の結婚相手にすると餌をぶら下げて看護を要請してきたのよ。斎様が快復されたら、能力の高い私が妻になると言ったって文句はおっしゃらないわよ! それに斎様だって、後継者争いで有利になる優秀な妻が欲しいとお考えになるはずよ」
「そうね。彩華の言う通りだわ!」
和歌子も一緒になって賛同すると、泰造は頬を掻いた。
「まあ……それもそうか」
「じゃあ、決まりね! ――お姉様、一度でも北上条家の敷居をまたげるのよ。私に感謝して、斎様に献身的にお仕えしてちょうだい」
当事者の茉莉は置き去りにされて決定されたが、茉莉にはそれを覆すだけの力はなかった。




