第52話 信頼される喜び
「茉莉! 何を言っている!」
茉莉は当然ながら斎には反対されると思っていた。見鬼の才に優れているとはいえ、退魔の経験もない素人である茉莉を連れてくることを渋っていたのだから。
茉莉自身、皆と同行させてもらい、その能力はこの場に不要だとよく分かった。斎たちは見鬼の力などなくても、自身の力と経験値だけで難なく討伐できるのだ。だからこれが今、一番自分が役に立てることだろう。
「斎様。斎様もお感じになっているでしょう。この先にいる妖力の高いあやかしの気配に」
彩華がいる蔵のほうから流れてくる妖気に斎も気づいているはずだ。案の定、彼は少し目を細めた。
「今以上に、力をつけさせてはいけません」
「……守るのは私であって、君ではないと言ったはずだ。決して私の傍を離れないようにとも」
「はい。私を守っていただくために、今、私が動くのです。ここで斎様が倒れてしまわれたら、これから先、私を守っていただけませんもの」
「っ。私の傍を離れないという約束は」
「もちろん守ります。霊気で結界外におびき出した後、また結界内に戻ります」
斎は頭が痛そうにため息をつく。
「これ以上言っても、聞かないのだろうな」
「はい」
「即答か……。まったく。相変わらず頑なだな。だが決して無理だけはするな」
「ふふ。そうおっしゃる斎様は心配性でございますね」
茉莉は斎に笑顔だけ返す。
その約束はできなかったからだ。多数のあやかしを一か所に集めるなんて無謀なことは、多少の無理をしなければ成し遂げることはできない。
「茉――」
「では正真様は結界を斬るご準備を、斎様はその頃合いに合図と念の為に戦闘準備をよろしくお願いいたします。千尋様は穴を維持する補助をお願いいたします。伊吹は、あやかしが怯えて私に近づかなくなるから、できるだけ気配を消してね」
それぞれ指示を出した後、正真は結界付近に配置し、茉莉は彼の前方に立つ。
「それではまいります」
茉莉は目を閉じて霊気を手に集める。
伊吹や黄金に与えるぐらいの霊気量では足りない。大勢のあやかしを集めるために、いつもより多く放出しなければならない。
――いつもより多く、強く、激しく。遠くにいるあやかしまで届くほど広く渡らせて。
「正真、今だ!」
茉莉が斎の声で目を開けると、目の前には無数のあやかしが集まってきているのが見えた。敵意はまったくなく、襲いかかってもこないし、斎らには目もくれない。
結界に穴が開いていることを確認した茉莉は一歩、また一歩と後ずさり、結界の外へと出た。
あやかしは茉莉の動きに合わせ、結界外へと続々と出てきては、霊気を食べたものから上天していく。
「ごめんなさい。人間がごめんなさい。ごめんなさい」
茉莉は、空へと旅立つはなむけの代わりに謝罪の言葉を唱える。
あやかしは人間の心を鏡に映したものだ。蠱毒のみならず、人間が作り出したものなのだ。人間の勝手で生み出され、人間の勝手で奪われる。だから、少しでも渇望が癒せますように。
「茉莉……」
「っ、おい、斎! そろそろ限界だぞ!」
「分かった。茉莉、もういい。早く戻るんだ。――茉莉!」
茉莉は斎の言葉にはっと意識を戻された。
「はい。ただいま参りま――」
茉莉は霊気の放出を止め、慌てて足を一歩前に踏み出した瞬間、景色が激しく回る。必死でこらえようとしたが、足にも力が入らず、そのまま体が傾いた。
やはり霊気を一度に放出しすぎたらしい。いつもの量でさえ、伊吹らに霊気を与えた後はしばらく安静にしなければならなかったのに。
「茉莉!」
斎の声が遠くに聞こえ、そのまま地面の冷たさを感じるかと思ったが、むしろ温かく、ぽふりと柔らかい毛並みの何かに埋まった。
「伊吹……?」
茉莉は何とか意識を保たせて確認する。
すると伊吹も実体化して茉莉の横に寄り添っていたが、体を直接受け止めていたのは、三毛猫のような柄の何かだった。茉莉の体を受け止められるくらい大きくはなかったが、この柄は見たことがある。
「……テン?」
「クゥ!」
「大きくなれたの、あなた……」
あるいは、取り込んだあやかしが体を大きくする能力を持っていたのかもしれない。
「茉莉!」
斎の声でようやく意識がはっきりしてきた茉莉は顔を上げると、正真が斬ったはずの結界は閉じられていて、先ほどより範囲が縮まって下がっている斎たちの姿が見えた。千尋が斎の腕をつかんでいるところを見ると、彼に引っ張られたのだろう。
「大丈夫か!?」
「はい、斎様。霊気を放出しすぎて、力が抜けただけです。ご心配をおかけして申し訳ありません」
「いや、よくやってくれた。茉莉のおかげで、結界内にあやかしはほとんど見当たらなくなった。今、結界を斬ろう」
「いいえ。駄目です、斎様」
千尋の腕を振り払って刀を構える斎に対して、茉莉は首を振る。
「無駄に霊気を消耗してはいけません。それに今は話すことがやっとで、動くことができません。結界内に戻ったとしても、皆さんの足手まといになるだけです」
大きくなったテンに茉莉の上半身が覆いかぶさっている状態なので、斎からは見えないだろうが、まさに足がぶるぶると震えていて立つことができない。
「ならば余計に君を一人にできない」
「伊吹が私を守ってくれます。そして私は斎様とのお約束を破りません。力が戻ってきたら、必ず駆けつけます。私が結界を破った時のことを覚えていらっしゃるでしょう? 今は伊吹が傍にいてくれるから、難なく破れます」
斎は少しの沈黙の後、頷いた。
「……分かった。私は茉莉を信じる」
「斎! 本当に彼女を一人にしていいのか!?」
「ああ。私は彼女の言葉を信じる。それに茉莉を守る伊吹の神格が高いのは間違いない。誰にも手出しなどさせない。そうだな、伊吹」
「ウォォンッ!」
伊吹は高らかに鳴いて茉莉を守ることを宣言した。
「よし。頼んだぞ!」
斎は再び茉莉を見る。
「茉莉、待っている」
「はい、斎様。必ず向かいます」
「ああ。――では、行くぞ、千尋、正真!」
「承知いたしました」
「……分かった」
千尋と正真に声をかけた斎は、真っ先に身を翻し、振り返ることなく先陣を切っていった。
斎のその姿は人によっては、冷淡にも見えるかもしれない。しかし茉莉は信頼してくれているからこそだと、嬉しくも誇らしくもあった。
「テン、ありがとう」
「クゥ!」
茉莉がテンの上で休む一方、伊吹は霊体に戻って茉莉の傍で伏せをしていたが、不意に身をむくりと起こして警戒態勢を取る。
「どうしたの、伊吹」
伊吹に問いかけていると、誰かが駆けつけてくる足音が茉莉にも聞こえてきた。
「大丈夫ですか!? お怪我をなさっているのですか!?」
統帥は隊員を送ると言っていた。その隊員がやって来たのかもしれない。
茉莉はテンから身を起こし、振り返って挨拶しようとしたが、相手を見て思わず目を瞠った。




