第47話 夫としての務めを果たす
「司様、お帰りでしょうか」
茉莉は、執務室から出てきた司に声をかけた。
「うん。茉莉さん」
司はそう言って茉莉の手を取る。
「斎君をよろしくね」
「兄上! だから私の妻に――」
斎はそこまで言って手を振り上げようとしたが、その前に司はすぐさま茉莉の手を離した。司は一点だけ見つめていて、茉莉がその視線を追うと絹の姿が見えた。
「まあ、司様ではありませんか!」
「絹、久しぶり。元気そうだね」
「ええ。お久しゅうございます。司様もお元気そうで何よりです。もうお帰りなのですか? 残念ですわ」
「そう思ってくれるなら、そろそろ僕の所に嫁いできてくれない?」
さらりと絹に求婚した司に、茉莉は唖然とする。
ただ、司は笑顔だが、先ほどと違って真剣な想いのように見える。
「まあ、ありがとうございます。ですが、斎様にとって、今一番大切な時期ですから、微力ながら傍でお仕えしたいと思っております」
そして普通に振っている絹に、茉莉はまた唖然とする。
「斎」
司は斎に笑顔を向けた。その笑顔に恐ろしさを感じてしまったのは、きっと茉莉だけではないはず。
「斎は、絹がいなくても大丈夫だよね?」
「えっ!? は、はぁ。いや、まあ……その」
どちらの味方につけばいいのか、分からないようだ。斎は言葉を濁して目を逸らした。
「ほら。斎君もこう言っているよ」
「ですが、茉莉様も斎様に嫁がれたばかりでございます。まだこの屋敷のことを何もご存じではありません。僭越ながら、わたくしが助言できればと思っております」
後生ですから自分の名を出すのは止めてくださいと、茉莉は心の中でさめざめと泣く。
案の定、司の視線が茉莉に向けられた。
「茉莉さん」
「は、はい!」
茉莉の背筋が伸び、声が裏返る。
「絹はとても優秀な人間だ。彼女が茉莉さんを指導するのならば、立派な夫人にしてくれるだろうから安心してね。僕も、君が一刻でも早く斎君の妻としての務めを立派に果たせることを願っているよ」
笑顔の圧が凄い。
「せ、精一杯努めさせていただきます」
「司様! 茉莉様に重圧をかけないでくださいまし。――さあ、司様はお帰りになるのでしょう。玄関までお送りいたしますわ」
「もう少し僕が帰るのを惜しんでくれたって」
絹に背を押される司は、眉尻を下げている。
「じゃあ、斎君。明日はよろしくね。茉莉さんも」
「はい。承知いたしました」
「はい。お気をつけてお帰りくださいませ」
茉莉が挨拶を終えると、司と絹は洋館の出入り口へと向かっていった。すると誰ともなく、ため息が落とされる。
「やっと帰ったな。茉莉もすまなかった。兄はいつも人目をはばからず絹に求婚しているが、毎回かわされているんだ」
「そうして私たちが巻き込まれ被害を受けるわけです。でも、絹さんも悪い気はなさっていないと思いますけどね」
「そうだな。絹にも兄にも幸せになってほしいと思うが、こればかりは絹の気持ち次第だから」
司は本部で指揮官という立派な役職を担っていると言う。絹は幼い頃より北上条家に勤める人間で、自分より二つ下の司のことも弟のように思っているかもしれない。また既婚歴のことや年齢など、絹も色々思うところがあるのだろう。
「ところで斎様。司様は私に何かご用なのでしょうか」
「ああ、実は」
斎は、茉莉を連れて本部へ行くことを説明した。
生け捕りにされたあやかしを見せて、蠱毒かどうかの確認を取らせるだろうと。それによって黄金が蠱毒によって作られたことを証明できるだろうと。
「そうですか」
茉莉は見鬼の才に優れていると言われたが、実感はない。もし皆が求める結果を出せなかったら、どうなるのだろう。
不安げな茉莉を見た斎は続けた。
「たとえ思うような結果にならなくても大丈夫だ。正直、黄金が妖狐であったこと、今も攻撃手段として瘴気を放つことができること、そして私と黄金を繋ぐ紐だけで十分証明できるのだから」
「はい、斎様」
茉莉の手を取って温もりを伝える斎。茉莉は仰ぎ見て、彼の手を握り返した。
「あちらこちらで恋の花が咲いていますね。私も誰かと巡り合えるでしょうか――って完全無視ですね。そうですか」
むくれる千尋の抗議に茉莉たちは笑い、見つかる見つかると斎が彼をなだめた。
その夜。
茉莉はいつものように斎の寝室に訪れ、黄金に霊気を与えた。
屋敷の皆は伊吹のことを可愛がってはくれているが、やはり茉莉が連れてきた子で、皆の足を引っ張りたくはないと思い、先に霊気を与えていた。
また黄金が完全に力を取り戻してからは、これまでの大量の霊気は必要なくなったので、黄金も茉莉が与えることにしている。もちろん斎には止められていたが。
「無茶をしないでくれ」
「もちろんでございます。無茶をして倒れたら、元も子もありませんから。無理な時は無理だと申します。ですからこのまま続けさせていただきたいのです」
「頑固だな」
「ご存じありませんでしたか?」
すると斎はくすりと笑う。
「いや。私の妻は頑固だということを知っている」
私の妻。
茉莉は斎にそう言われて、はっと気づいた。
本部には、当然ながら最高司令官である斎の父親がいることを。
「茉莉、どうかした? 顔を曇らせているが」
「明日のことを思いまして。ほ、本部には斎様のお父様がいらっしゃるのですよね」
茉莉は自分の素直な気持ちを打ち明けた。
「大変な任務のお話に対して、こんな私的なことを申し上げて心苦しいのですが」
「いや。私が失念していた。すまない。確かにそうだったな。――茉莉、顔を上げてくれ」
うつむいていた顔を上げる茉莉。
「昼間、兄が、君のことを一刻でも早く立派な妻になることを願うと言っていただろう」
「はい」
「しかし、私にとって君はもう立派な妻だ。もちろん家のしきたりや決まりごとなどこれから学んでいくことも多いかもしれない。だが、君は私を支えてくれるという一番重要なことをすでに果たしてくれている」
「斎様……」
「臆することはない。君のすぐ傍には私がいる」
「……はい、斎様。ありがとうございます」
茉莉は斎の言葉に胸が熱くなった。
「それでも不安なら――」
斎は言葉を切ったかと思うや、茉莉に口づけをした。茉莉は突然の行動に驚いてしまう。
その口づけは、まるで親鳥が雛に餌を与えるかのように、口づけてはすぐに離されるのが繰り返された。優しさと温かさ、安心感を与えてくれるようだった。……そのはずだったが。
いつの間にか口づけは執拗になり、優しさが激しさに、温かさが熱さに、安心感が危機感に変わる。
「んんん!?」
茉莉が斎の胸をどんどんと叩いたところでようやく唇が離された。
「な、何を?」
乱れる呼吸を整えながら問うと、斎は口角を上げる。
「夫として、妻の不安を拭おうと思ったのだが?」
「……お、お気持ちは十分伝わりました。ありがとうございました」
違う意味で不安が募った茉莉は早々に話を切り上げ、斎からそっと距離を取ったのだった。




