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第44話 ※斎視点:斎の兄、司(1)

「や、斎君。元気してる?」


 執務室の扉を開けて顔を出したのは、斎の兄の司だった。


「兄上、お待ちしておりました」

「司様、ようこそいらっしゃいました」

「千尋くーん! 君も元気そうだ」


 斎より五歳上の司は、やや垂れ目気味の柔和な顔立ちだ。両親が不在なことが多かった北上条家では、長男の司が親代わりとなり、斎や三男の理、千尋を平等によく可愛がっていた。

 千尋もすばやく立って迎え入れた。だが千尋は、抱きしめてこようとした司をすんでのところでするりとかわす。


「ありがとうございます。おかげさまで元気にしております」

「千尋君、相変わらずつれないなぁ。あ。絹も元気にしている?」


 司は執務室のある洋館側から入ったため、絹とは会っていないのだろう。そちらは隊員が出入りする入り口として、日中は開放している。


「ええ。お元気にしていますよ。お茶を用意していただきますね」


 内心照れくさい部分もあるのだろう、千尋はそれだけ言って部屋を出た。


「兄上、こちらへどうぞ」

「ありがとう、我が弟よ!」


 斎が司に近づくと、司はまた笑顔で大きく腕を広げてきた。

 斎も千尋のように避けようかと思ったが、千尋に振られた司をほんの少しだけ気の毒に思い、なすがままに抱きしめられておいた。


「元気になって本当に良かったよ」

「ありがとうございます。もうすぐ復帰できそうです。――さあ、兄上、どうぞおかけになってください」

「いや、まだ斎君の愛が足りない」

「……どうぞおかけになってください」

「斎君もつれないなぁ」


 再び勧めると司はようやく斎を解放して椅子に座った。斎が向かい側に座ったところで、千尋はすぐに戻ってきた。続いて失礼いたしますと斎の横に座る。


「兄上。早速ですが、お呼び出しして申し訳ありません」

「何を言ってるんだい。可愛い弟の呼び出しとなれば、何を差し置いても駆けつけるよ。お見舞いに応じてくれない時は寂しかったなぁ」

「申し訳ありません」

「これからは頻繁に呼んでね」

「いえ、頻繁にはちょっと……」


 司は退魔師の総指揮官として帝都中央区で務めており、北部司令官としての後継者争いには加わらないし、表決権も持っていないため中立の立場だ。とはいえ、立場上、今の時期は業務以上の接触を避けるべきだ。

 斎は言葉を濁した後、話を切り替える。


「ところで近頃の事件についてなのですが」


 そこまで言った時、扉が叩かれて一度話が中断する。斎が返事すると、お盆を持った茉莉が姿を現した。


「お茶をご用意いたしました」

「ありがとう」


 茉莉は失礼いたしますと会釈すると、お茶を順に出す。その所作は美しい。

 司もまた彼女の姿を眺めている。新しい使用人かと思っているのかもしれない。


「茉莉、紹介しておく。こちらは兄の司だ」

「そうでございましたか。初めまして。黒川茉莉と申します」


 お茶の用意が終わったところで紹介すると、茉莉が微笑で挨拶するや、司は彼女の手を両手で取った。


「何と清楚な女性だろう。僕の妻になってくれないか?」

「……え?」


 困惑の笑顔のまま硬直してしまう茉莉を前に、斎は即座に傍に寄ると司の手首に手刀を落とした。


「いっ――たあ! 斎君! 痛いんだけど!」

「痛くしているのだから当たり前です。さっさと手を放してください。次は折りにいきますよ?」

「分かった分かった。僕が悪かった」


 再び手を振り上げると、顔をしかめた司は茉莉から手を離した。


「茉莉、すまない。兄上はこんな風に口が軽くて手も早いが、性格も難ありなんだ」

「逆接語が仕事を果たしていませんね」


 千尋が冷静に補足した。

 斎は茉莉を抱き寄せて司に向き直る。


「兄上、彼女は私の妻です。二度と口説かないでください」

「えっ!? 妻!? 初耳なんだけど!?」

「今、言いましたからね。式はまだ予定も立っていませんが」

「紗和さんは知っているのかい?」


 司は母親のことを紗和さんと呼ぶ。

 職場では上司だからか、あるいは心の距離か。ただ、昔から言っていたので、心の距離かもしれない。


「母の要請で私の妻としてやって来ました」

「……そう。そっか、茉莉さんだっけ。ごめんねー」

「いいえ」


 司が軽く謝罪すると、茉莉は笑みを浮かべた。


「茉莉、もう行ってくれていい」

「はい。承知いたしました。では失礼いたします」


 茉莉は会釈すると出て行き、斎は再び椅子に戻ると腰を下ろした。司はまだ手をさすっている。


「手が早いのは、斎君もだよね」

「兄上と一緒にしないでください」

「そう? 僕たちって、似たもの兄弟だと思うんだけどなぁ。――ところでさっきの茉莉さん」


 司は真っすぐに斎を見つめてきた。


「紗和さんの指示だというのは、本当なのかい? 霊力が低く見えたけれど」


 静かな苛立ちを秘める司から、ぞくりと背筋を這うような冷たさを感じる。

 普段は笑顔を絶やさず穏やかで、実際、人当たりも良い司だが、優しさだけで中央区の退魔師を統括できるはずもない。まして自分の兄弟を溺愛している司だ。弟の斎が虚仮にされたと怒っているのだろう。


「母は、霊力の高い茉莉の妹を私の妻にと考えていたと思います。しかしこの屋敷にやって来たのは茉莉でした。妹君は、私の状態を聞いて来るのを拒んだのでしょう。あるいは黒川家の当主が優秀な妹を状態の悪い私の看護に出すことを渋ったのか。しかし私が完治したら、代わりに妻にする算段だったようです」


 屋敷にやって来た妹の小芝居を見ている限り、黒川家内で計画されたものだと思われた。


「なるほど。それで斎君は、彼女に世話になったから情に流された?」


 言葉は悪いが、司は皮肉げに聞いているのではない。斎のことを心配してくれているからだ。とはいえ、斎としては気分が悪い。


「情に流されたのは、茉莉のほうでしょう。私が最初に茉莉を愛し、彼女に迫りましたから」

「……そうか。酷いことを言ったね。ごめん。謝るよ」

「いいえ。正直、最初は私も母に憤りを感じました。治癒がうまく進まず、病んでいた時ですから絶望もしました。母の独断で、しかも霊力の低い女性を妻として送ってきたと思ったのですから。しかし茉莉は、私が冷淡な言動を取っても懸命に対話を試みようとし、体を張って看護しようとし、叱咤してもきました。黒川家の計画だったとしても、今は茉莉が代わりに来てくれたことに感謝しています」


 斎がそう言うと、真剣な表情をしていた司はふっと表情を緩め、いつもの笑顔に戻る。


「そっか。斎君が幸せならば、僕からこれ以上言うことはないな。――では、先ほどの話に戻そうか。ここ最近、世間を騒がせているあやかし、蠱毒によって生み出されたあやかしについてね」


 天気の話でもするようなあまりにも軽く口に出された司の言葉に、斎も千尋も言葉を失った。

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