第43話 斎様が幸せであることを願う
「茉莉、黄金に霊気を与える前に話がある」
茉莉が夜、斎の部屋を訪れた時、彼からそう言われた。
「は、はい」
緊張感漂う空気に、斎と向き合って正座する茉莉も背筋が伸びる。
「君のおかげで余裕ができた霊気で、傷を治すのを早めることができた。黄金もそれは同じだろう。黄金の分と合わせて君に礼を述べたい。本当にありがとう」
「とんでもないことでございます。少しでもお力になれたのなら、光栄に存じます」
「おそらく今夜、黄金が完全に力を取り戻し、私たちを繋ぐ紐も実体化することになるだろう」
「はい」
その紐が切れる時、茉莉と斎の縁も切れる時なのだろう。
そう考えると体が震えてくる。
「また君に謝罪も述べたい。これまでの君に対する酷い言動は、本当に申し訳なかった」
斎は頭を下げる。
「と、とんでもないことでございます。どうか顔をお上げくださいませ」
「許してくれるのか?」
「許すも、許さないもありません。斎様に謝罪を受けるほどのことではございません」
「……許してくれないのだな」
消沈して頭を下げ続ける斎に茉莉は慌てた。
「い、いえ! 許します! 許しますから、どうかお顔を上げてくださいませ」
「ありがとう」
顔を上げた斎は気まずそうだが、微笑んでいてほっとする。
「では改めて君に結婚を申し込みたい。私と結婚してくれないか。仮初ではなくて、本当の妻として私の傍にいてほしい」
「え――え?」
ふっと気が抜けたところに突然の求婚話となり、茉莉は目を見開いた。
「せ、正妻にということですか?」
「妾を持つつもりはない。君だけを私の妻として迎えたい」
斎は真剣な目を茉莉に向ける。
「最初は、私がどんなに冷淡な態度を取っても、何度でも私に向き合ってくれた君が理解できなかったし、自分の身を張る君に呆れもした。しかし、いつしか君のそのひたむきさに惹かれ、愛おしくなり、君への愛情へと変わっていた。私の傍にいてほしいと願うようになった。君がいない人生は考えられなくなった。だから君を迎えにいかずにはいられなかった。――茉莉、君を愛している。どうか私と結婚してほしい」
斎は茉莉を真っすぐに見つめてきて、その思いが本気であることを感じ取れる。しかし。
街の皆から信頼されている人が、将来を有望視されている人が、自分のような無能者との結婚は――ありえない。そう、そんなことは……ありえない話。あってはならない話。
無能者が嫁げば、斎はきっと北部司令官の座から遠のくことになる。彼の両親も嘆くだろう。茉莉を選ぶことは、誰にも理解されることはない。誰にも祝福されない。誰も幸せになれない。彼にはもっとふさわしい方がいる。
斎の茉莉への気持ちは、看護してくれた家族に抱く親愛だ。
「斎様、私は」
口に出すと、膝の上に作った拳が震える。
――どうか斎様の言葉を信じて差し上げてください。斎様のお心をそのまま受け取って差し上げてください。
――茉莉様、どうかご自分の力を信じてあげください。
茉莉はふっと絹の言葉を思い出す。
そこで、傲慢にも相手の気持ちや描いた未来を勝手に否定している自分に気づいた。彼の意思は彼だけのものだ。
茉莉が今すべきことは、斎の気持ちを否定することではない。自分の気持ちから目を逸らすことではない。斎に、そして自分自身に向き合うことだ。
「私は霊力が低くて結界も張れず、清祓いもできない人間です」
「だが、君は自分の身も顧みず黄金に霊気を与え、私を助けてくれた」
「私は人から忌み嫌われる犬神憑きの人間です」
「ああ。賢くて可愛い伊吹が懐いていて羨ましいな」
嘘のない言葉で微笑む斎に茉莉の鼓動が高鳴った。
「私は、斎様にとって最良の奥様を娶られるべきだと思っております」
「そうか。では私にとって最良の女性は茉莉、君だ」
自分の言葉で自身を傷つけ、斎から否定の言葉を引き出して幸せを感じるなんて何と浅ましい人間だろうと思う。
「私は後継者問題で斎様をお助けできるどころか、足を引っ張る存在です」
「もし候補から脱落したら、それは私の実力不足が原因だ」
「私は親からも見放された人間なのです」
「まったく理解できないな。私は茉莉を放したくない。生涯を共にしたい」
「――っ。わ、私はこうやって、自分が欲しい言葉を相手から引き出そうとする卑劣な人間なのです!」
「そうか。つまり今言った言葉は、君が欲しい言葉なんだな」
悪戯っぽく唇の端を上げる斎を見て、茉莉の頬は赤くなる。
「わ、私は斎様が幸せであられることを願っております」
「では私のすぐ傍で毎日、私の幸せを願ってくれ。私もまた君の幸せを願おう」
「わ、私、私は」
自分は本当に意気地がなくて、後ろ向きで卑怯な人間だ。高潔なる彼にふさわしい人間ではない。釣り合うような人間ではない。……だから。
茉莉は気づけばうつむいていた顔を上げた。
「私は――私は斎様をお慕いしております。毎日、斎様のお傍で幸せを願いたいです」
頑張ろう。ふさわしい人間になるように励もう。釣り合うような人間に成長できるよう努めよう。
「ありがとう、茉莉」
茉莉には、照れたような斎の顔が一瞬だけ見えた気がした。しかしすぐに抱き寄せられた茉莉は、斎の温もりと速い鼓動だけを感じた。
「茉莉」
斎は一度体を離し、何かを確かめるように茉莉を見つめる。その想いを感じた茉莉は、自然と互いの吐息が感じられる距離まで近づき――唇を重ねた。何度も口づけては離し、呼吸の拍子を合わせた。
「茉莉、愛している」
耳元で掠れたような声で低く囁かれた茉莉は、ようやく自分が畳に押し倒されていることに気づく。
「い、斎、様。わ、私も、お慕いして、しておりますが、そ、その――っ!」
斎は茉莉の言葉を遮るように口づけした。茉莉は情熱的な口づけに思考を甘く溶かされ、抵抗力を失う。そこへ。
「ココギュアンッ!」
黄金の甲高いひと鳴きに、囚われの術から解放されたように茉莉ははっと我に返った。それは斎も同じだったようで、茉莉から離れるとため息をつく。
「やはり黄金は空気を読まないな」
空気を読む(?)伊吹は霊体の姿で、部屋の隅のほうにいる。
「い、斎様。黄金に霊気をあげなければなりません」
「……仕方ないな」
先に身を起こした斎は、茉莉を起き上がらせた。茉莉は斎の胸元に収まって、乱れた呼吸を整えていたが。
「茉莉、私を煽るのは止めてくれないか」
「あ、煽る?」
「っ!」
顔を上げて目が合うや否や、斎はすぐさま茉莉から目を逸らした。何だか赤くなっているように見える。
「いや。とにかく落ち着いたら、黄金に霊気を与えてくれ」
「はい。承知いたしました」
呼吸が落ち着いた茉莉は、手から霊気を放出して黄金に与えた。
斎の言う通り、今日が、黄金が完全に力を取り戻すことができる日だったようだ。黒い靄が晴れ、黄金の姿が露わになる。
「黄金、あなた――白い狐だったの?」
茉莉は驚きの声を上げた。




