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第41話 あやかしが私の心を惑わせる

「いっ、斎様も酔わ、酔われたのですか?」


 茉莉が高鳴る鼓動に耐えられず、話しかけて意識を逃がそうとすると、視線を上げた斎は小さく笑う。


「そう見えるか? だとしたら、私もあやかしかもしれないな。それとも私の心を乱し、惑わせる君のほうがあやかしか?」

「――っっ」


 蠱惑的な微笑みを浮かべる斎のほうがあやかしだと主張したいが、心臓の高まりで息苦しくて言葉に詰まる。

 茉莉は、もふもふを触って心を落ち着かせようと伊吹に手を伸ばしたが、虚しく空を切る。視線を移すと、伊吹が部屋から立ち去っていく後ろ姿が見えた。


「い、伊吹?」

「伊吹は主人より察しがいいようだな」

「さ、察しですか?」

「ああ。君があまりにも察しが悪いから、私も分かりやすく行動に出ることにした」


 斎はそう言って茉莉を見つめながら、茉莉の髪に口づける。


「っ!」


 体中の熱が頬に集まったのではないかと思われるほど、熱くなった。

 すると。


「ココンッ」


 お腹が満たされたのだろう。黄金がひと鳴きして、夜独特の艶かしさが漂う気配を吹き消してくれる。


「黄金は空気を読めないようだな。さてはお前も男女間に疎いな」


 最後のぼやきは聞こえなかったが、茉莉はこれ幸いにと話を切り上げることにした。


「こ、黄金も満足したようですし、本日はこれまでにいたしましょう」


 先ほどまでは斎と同じ時間を共有できることに幸せを感じていたのに、今は居たたまれなくて仕方がない。

 そそくさと立とうとすると、茉莉の景色がぐるりと大きく回る。霊気を与えた後の後遺症だ。しかし、すぐに斎が茉莉を抱き留めた。


「茉莉、平気か!? 気分は?」


 斎の端正な顔が間近に迫る。


「……恥ずかしいです」


 茉莉は思わず体調ではなく、気持ちのほうを伝えてしまう。

 少しの沈黙後、斎は噴き出した。一方、自分の発言に気づいた茉莉は、さらに顔を赤くした。


「大丈夫そうだな」

「……はい。めまいは治りましたので、起こしていただけると」

「いや。まだ足元はおぼつかないだろう。このまま寝室まで運ぼう」


 斎はそう言って茉莉を抱き上げた。

 彼の温もりと香りに包まれて安心感がある反面、胸がどくどくと高鳴る。


「だ、大丈夫でございます」

「君は大丈夫でも、私は大丈夫ではない」


 斎は何か悪戯を思いついたように、ふっと笑みを浮かべた。


「だから君を寝室まで送ろう」

「え!?」


 ――送り狼。隙を見せると後ろからがばりと襲われる。


 含みを持たせた斎の言葉に対して、茉莉の顔が燃え上がる。

 そんな彼女の様子を見た斎はくすりと笑う。


「少しは意識したようだな。だが、私が本気であやかしに変わる前に行くか」


 黄金に霊気を与えるようになってから、斎の寝室で眠るようになっているが、もうそろそろ寝室を別にしたほうがいいかもしれない。

 いくら鈍感な茉莉でも、厚意と好意の差くらいは理解しているつもりだ。ただ、好意にはいくつもの種類がある。

 斎の好意は、茉莉が彼の看護をしたことから生まれたものだ。斎が恋愛的なものだと認識しているならば、それは錯覚だ。回復とともにその気持ちは消えていくだろう。


「――茉莉。今夜はまだ茉莉からの温もりがなく、心が冷え込んで眠れそうにない。いつもの夜の挨拶を」


 茉莉を布団に下ろした斎は、そう言って茉莉の心を惑わせる。


「はい、斎様。どうぞごゆっくりとお休みくださいませ」


 斎の手にそっと手を添えて温もりを伝えると、満足そうに微笑み、茉莉の手を持ち上げた。


「ああ。茉莉も」


 茉莉は斎の熱っぽい視線を頬に、唇の熱さを指に感じて、ゆっくりと眠れそうにはなかった。



 次の日。

 報せを受けた北上条家の使用人たちが屋敷に続々と戻ってきた。

 斎は随分と慕われているらしく、誰一人欠けることなく戻ってきたと言う。皆、良い人ばかりで、茉莉のことも伊吹のことも好意的に受け止めてくれた。


 ただ一つ茉莉が気がかりなのは、斎が茉莉のことを妻だと紹介したことだ。これでは斎が全快し、茉莉との関係を解消して新たな妻を迎え入れる時、斎の評判が悪くなってしまう。斎にはそれを上回る人徳があるのだろうか。

 一度口から出してしまった言葉は元に戻せない。彼の評判を落とさないようにするためにはどうすればいいだろう。

 茉莉は一人、頭を抱えこんだ。


 茉莉はひとまず頭を空っぽにしようと、庭掃除のために箒を持ったが、これは私の仕事ですと箒を取り上げられた。

 それではと、雑草を刈ろうとしたら今度は別の人に鎌を取り上げられ、洗濯しようとすれば洗濯物を取り上げられ、拭き掃除しようと思えば雑巾を取り上げられ、昼餉の下ごしらえをしようと思ったら包丁を取り上げられた。


「わ、私は一体何をすれば? ……あ、そうだわ」


 手持ち無沙汰になった茉莉は困惑したが、買い物に行くことを思いついた。ただし、斎の許可がいるだろうと、執務室へと向かった。

 茉莉は執務室の扉をコンコンと叩く。


「茉莉でございます」

「どうぞ入ってくれ」

「失礼いたします」


 少し前まで、執務室には所狭しと書類があちこちに積まれていて、内装がつかめなかった。しかし山とあった書類は、戻ってきた使用人によって他の部屋へ移動されてすっかりなくなっていたため、部屋の本来の姿を取り戻していた。


 斎の大きな机は窓際に、千尋の机は向かって左手に配置されている。

 斎の背後にはガラス戸とも雪見障子とも異なる形の窓が三つ並んであり、その両端に布がまとめられている。その窓からは庭が見えた。


 中央には、脚と縁に美しい彫刻が施されている座卓と座り心地の良さそうな赤紫色の天鵞絨が張られた長椅子、向かい側には一人掛け用の椅子が二つ置かれている。その机を照らす明かりは、天井からぶら下がっている美しい照明器具だ。

 和室が無駄を払った淡い色使いの美しさならば、洋室は彩り鮮やかな美しさといったところだろうか。


 退魔師の制服は藤堂が着ていた洋装だというが、斎のその姿を茉莉はまだ一度も見ていない。この部屋で着物を着て座っている斎と千尋は、屋敷に隣接する洋館を見た初日のように、和と洋が融合している不思議な感覚を茉莉に覚えさせた。


「どうした? お茶の時間にはまだ早いと思うが」


 斎から声をかけられて、茉莉は我に返る。


「買い物に出かけたいので、許可を頂きにまいりました」


 茉莉はこの屋敷に来てから多くの時間を過ごしたが、一度も外出したことがなかった。買い物はすべて絹一人に任せていたということだ。


「誰が君に命じた?」

「い、いいえ!」


 斎の声が急に冷たくなったので、茉莉は慌てて否定する。


「むしろ皆さん、進んでお仕事してくださって、私は手持ち無沙汰で困っているのです。そこで買い物に出ようと」

「まだ顔色が悪い。休んでおけばいい」

「体なら大丈夫です。斎様がお仕事されているように、私も自分の務めを果たしたいのです」

「っ!」


 自分のことを引き合いに出された斎は、反論の言葉が見つからず、ため息をつく。


「分かった。絹と一緒なら」

「はい。ありがとうございます」


 外出許可を得た茉莉は、絹と買い物に出ることになった。

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