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第4話 潰れた加須底羅

 茉莉は厨でお湯を沸かし、お茶と茶菓子を用意した。

 茶菓子の加須底羅(かすていら)は高級茶菓子で、一般的には気軽に口にできるものではないが、彩華はこの茶菓子を好むので、黒川家では切らさないようにしている。

 折敷(おしき)の上にのせたお茶と茶菓子を持って廊下を歩いていると、背後から楽しそうな女性たちの声が聞こえてきた。女中のようだ。

 すると。


「あ、ごめんなさぁい」


 誰かの足が茉莉の足に引っ掛かり、茉莉は前のめりに体勢を崩す。


「っ!」


 咄嗟に彩華のお気に入りの湯飲み茶碗を庇ったはいいが、派手に転んでお茶を廊下に零してしまった。当然ながら茶菓子も飛んで行って、廊下を滑った。


「やっだ。大丈夫ですかぁ?」

「痛そう」


 身を起こして、くすくす笑う二人の女中を仰ぎ見ると、その内の一人が風呂敷に包まれた何かを抱えていた。そこから瘴気が漂っているのが見える。


「まあ。茉莉お嬢様ったら、大変。着物がびしょ濡れ。それ、彩華お嬢様のための高級茶だったんじゃないですか?」

「お菓子だって高級菓子よ。勿体なーい」


 茉莉が手拭を出して廊下を拭いていると、騒ぎを聞きつけた女中頭がやって来た。


「何騒いでんだい!」

「あ。女中頭」

「茉莉お嬢様が転んで、彩華お嬢様のお茶とお茶菓子を台無しにしちゃったんですよぉ」

「何てこと! お嬢様の大切なお茶とお茶菓子なのに!」


 女中頭が茉莉を睨みつけてくる。


「……ごめんなさい」

「いいからさっさと廊下を拭いてください! 誰かが踏んで滑ったらどうするんです。――それでお前たちは?」

 

 女中頭は茉莉から視線を外し、女中が持っている物を見ながら優しい口調で尋ねた。

 

「ああ。お前たちが訓練で清祓いした依頼品を、お嬢様に確認してもらいに行くところだったのかい?」


 年代物や人形、使い込まれた刀や着物などには、あやかしの格好の住処となり、それが夜な夜な動き出したり、鳴り出したり、人間に害を及ぼしたりすることがある。

 黒川家では、そんな物に憑いたあやかしの清祓いも受けている。彼女たちが抱えていたのはその依頼品ということだ。


「そうなんです!」

「今回はなかなか上手くいったと思います!」


 彼女たちは女中以外にも祓い師見習いとして修練している。依頼品の清祓いもその一環だ。


「そうかい。茉莉お嬢さんは祓い師どころか、女中の仕事一つまともにできないのにねぇ。お前たちは祓い師見習いもやっているんだから、本当に立派だよ」

「いいえぇ。私たちなんてまだまだです」

「ええ。もっともっと役に立ちたいですもの。これからも頑張ります」


 茉莉は、体格の良い女中頭と二人の女中から囲まれて蔑むように見下ろされると、自分の肩身の狭さがより身に染みてくる。


「あ。お嬢さんは今晩、食事抜きですからね!」

「え?」

「彩華お嬢様のお茶菓子を駄目にしたんですから、当然でしょう!? これだけでいくらすると思っているんですか。お嬢さんの一食、二食抜いたぐらいでは到底及ばないほどお高いんですよ。――ああ、そうだ」


 女中頭はにたりと笑うと、彼女の足元にあった加須底羅を一度踏みつけた後、茉莉のほうへと蹴飛ばした。

 茉莉の膝元まで飛んできた加須底羅は、平たく押し潰れているだけではなく、蹴飛ばされたために端も所々、ぼろぼろに形崩れしている。まるで身を伏せて廊下を拭いている自分の姿を表しているようだ。


「これなら食べていいですよ。こんな高級菓子、あたしの手からは捨てるわけにはいきませんからね。ご自分で責任を取ってくださいよ」

「やだ、女中頭ってば。腐っても高級菓子ですよぉ? いいんですか?」

「女中頭は慈悲深いですねえ」

「まあ、これくらいはね。あたしだって鬼じゃあ、ないんですから」


 茉莉は青ざめながら顔を上げると、廊下の曲がり角で泰造の姿が見えた。しかし泰造は不愉快そうに眉をひそめただけで身を翻す。


 女中頭の言動を黙認する泰造の姿も見慣れたものだ。

 茉莉が懐紙を取り出して菓子を拾っていると、再び嘲笑が降ってきた。すると、傍にやって来た伊吹が茉莉の前に立って低い体勢を取り、ぐるぐると喉を鳴らして威嚇を始めた。


「伊吹、ありがとう。大丈夫よ」


 伊吹の背を撫でながらなだめると、彼女らは気味悪そうに顔を引きつらせる。


「さ、さあ! お前たち、行くよ!」

「は、はい!」


 女中頭の言葉を皮切りに慌てて去っていった。



「彩華。お茶を持ってきたわ」

「入っていいわよ」


 扉を叩いて声をかけるとすぐに返事があったので、茉莉は扉を開放する。

 居室二部屋分と寝室一室が彼女の部屋で、茉莉の部屋の三倍以上ある。二つの居室の一室を洋風に改装させた部屋の窓際には揺り椅子があり、彩華はそこに座って椅子を揺らしていた。


「遅いわね。何していたのよ!」

「ごめ――」

「早く準備して!」


 茉莉が用意を終えると彩華は椅子から立ち上がり、座卓の前に座った。


「じゃあ、私はこれで」

「待って」


 用意を終えた茉莉が立ち去ろうとすると止められた。


「そこ。いつもの」


 彩華が顎で示した先にあったのは、先ほど女中が持っていた依頼品と依頼人の連絡先が書かれているであろう書類だ。

 彼女はそれだけ言って、加須底羅を黒文字で一口大に切るとそれを口に運ぶ。


「そろそろ洋食器も揃えてほしいわ。和食器じゃ、気分が出ないじゃない」


 茉莉は、不満をもらす彩華を横目に依頼品を見つめた。

 女中が持っていた時よりは瘴気が弱まっているが、まだ漂っているのが見える。つまり、あやかしはまだ完全に浄化しきれていないということだ。


 人の場合は浄化が不完全だった場合でも、誰しもが備えている自然治癒能力であやかしを祓えることもあるが、物の場合はそうはいかない。完全な浄化がされないまま持ち主に返せば、また周囲の負の感情を集め始め、妖力をためて人間に害を及ぼす存在にまで成長してしまう。

 それは彩華にも分かっているはずだが、こんな一時しのぎの仕事ぶりをするということは、もしかしたら疲れているのだろうか。


「彩華」

「何? もう用はないから行っていいわよ」


 彩華は茉莉には目もくれず、ただ手でしっしと払う仕草だけ見せる。


「いえ。そうではなくて。依頼品について、前から言おうと思っていたのだけれど」


 今回に限らず、手抜きな清祓いを続けていることが気にかかる。


「何なの? 午後からも仕事が控えているんだから、私を煩わせないでくれない? 電報を入れるくらい子供でもできるでしょ! 私は、家事だけしていればいい暇人のお姉様とは違うんだから!」

「……ごめんなさい」


 祓い師として失格の自分が偉そうに口出しすることではなかった。それに彩華ができないところは、自分が補えばいいことだ。

 そう思い直した茉莉は、依頼品と書類を持ち上げると彩華の部屋を後にした。

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