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第36話 ※斎視点:覚悟を決めろ

 黒川家へと向かう車に乗る斎は、苦笑いを千尋と絹に向けた。

 

「……なぜ二人とも一緒に来ている?」


 千尋は助手席に、絹は後部座席にいる斎の横に座っている。


「茉莉様を取り戻しに行くのでしょう? わたくしも当然参りますわよ!」

「私は斎様が蛮行を働かないように見張るつもりです」

「千尋は私を何だと思っている……」

「ああ、そうだ。これ、本日届いた茉莉様と黒川家の追加調査なのですが」


 憂鬱そうな千尋が書類を渡してきたので、斎はざっと目を通す。

 茉莉の実母は、犬神を生み出す呪術師家系が出自で、今から十九年前、黒川家に嫁いだ。それから茉莉が六歳の時、実母は離縁されて黒川家を出た。同時期に現夫人が黒川家に嫁いだという内容だ。

 当主は当時、現夫人に別宅を用意して足繁く通っていたことが確認されており、現夫人が黒川家に入った時、娘は五歳、息子は二歳だったことから、考えるだけで気分が悪くなる事実が導き出される。


「何てこと。……茉莉様」


 横から書類を覗き込んでいた絹は口に手を当てた。彼女もまた一つの考えに辿り着いたのだろう。

 犬神を手にした一族は強力な呪力を得られ、強固な守護を受け、家が富み栄えるとされている。ただし、絶えず安定して犬神の守護を受けるには世話が必要だ。


 黒川家の当主は犬神家系の女性を娶って犬神を招き入れた後、一人の子供を生ませた。そして子が霊気を与えられるほど成長した頃、最初の妻を追い出し、現夫人を迎え入れた。つまり茉莉を――犬神の贄にしたということだ。

 彼女は霊力をうまく扱えないと言っていたそうだが、日常的に大量の霊気を犬神に与えていたことも理由の一つだろう。


「……虫唾が走る」


 ぐしゃりと書類を握りつぶし、手の中で燃やす。


「斎様!」


 驚いたような千尋の声に顔を上げ、彼の視線の先に目を向けた。


「これは」


 屋敷に張られたあらゆる箇所の結界が破られている。

 車から降りて庭に入ると、無数のあやかしが庭を蹂躙しているのが見て取れた。また屋敷の人間が、結界を修復したり、あやかしと戦っていたりする姿が見えた。


「千尋はあやかしの排除を。ほとんどが低位のあやかしで、もともとの力は弱い。無理に戦わず、屋敷から追い出すだけでいい。大きく破れた結界の一つに追い込んで集結させ、そこから追い出せ。絹は千尋の補助と結界修復を。私は茉莉を探す。嫌な予感がする」

「はい!」

「かしこまりました!」


 茉莉の霊気には、普通の霊力者にはない甘い香りを感じる。それを追って探す。

 茉莉の妹の彩華は一足先に着いているはずだが、どこに行ったのか。斎は玄関から中に入った。


 内部も酷い惨状で、廊下や壁、障子などがぼろぼろにされている。中のほうが酷い。人が多くいるからだろう。あちこちで悲鳴が聞こえてくる。


 藤堂の話では、結界を交代で張っている黒川家の女中らも霊力の質が高いようだと言っていた。いくら彩華が斎の所にやって来ていたとしても、見る限りは低位のあやかしばかりにここまで結界が壊されるだろうか。これまで彼女が外出することなどいくらでもあっただろうに。


 もしかしたら結界の力を保っていたのは、祓い師見習いたちではなく――犬神の力だったのではないか。茉莉が黒川家を出て、誰も犬神に霊気を与えなかったのではないか。いや、この屋敷で一番の能力を持つ彩華ですら、その存在を察知できなかったのではないか。

 それでも彩華がいる間は彼女が結界を管理していたので、何とか保っていたのだろう。しかし今日、彼女が黒川家を留守にしたから、祓い師見習いらだけでは脆弱な結界が破られたのではないか。


 だとしたら非常にまずい。犬神はもともと残虐な方法で行われる蠱毒の一種だ。犬神を生み出し、加護されている間は非常に強力な呪力を得られるが、ひとたび供物を怠ると犬神は祟り神となって使役者やその周辺に報復する。つまりその相手は――。


「茉莉! どこだ! ――くっ! 邪魔だ、どけ!」


 絡んできたあやかしを手で振り払うが、次から次へと数で押してくる。

 この程度、一気に払えないことはないが、相手は藤堂でも察知できなかった格の高い犬神だ。もし犬神が乱心して獰猛になっていた時のために、犬神を制圧する余力を残しておかなければならない。

 すると。


「ココギュアンッ!」


 高い声で動物がひと鳴きしたかと思うと自分の胸元から瘴気が放出され、まとわりついていたあやかしが飛び散った。


「……黄金?」

「ココン!」


 斎の足元で、黒い靄が狐の姿にかたどる。


「はっ。瘴気を扱うのは諸刃の剣だが、ここは茉莉のために共闘するか。よし、黄金。行くぞ!」

「ココンッ!」


 霊気の強さが奥のほうから流れてきたのを感じ、黄金があやかしを蹴散らし、斎は廊下を走り抜ける。


「茉莉の香りだ! 近い!」


 ――と、その時。


「お姉様を凶暴なあやかしがいる部屋に閉じ込めたの!?」


 彩華と思われる甲高い声が近くで聞こえた。

 凶暴なあやかし? いや、違う。妖気ではなく、霊気を感じる。これは犬神だ。今の彼女の言葉から推測すると、父親らは、凶暴化した犬神がいる部屋に茉莉を贄として放り込んだということか。

 ぶわりと肌が粟立つほど怒りがこみ上げる。

 斎は開放されていた部屋に踏み込んだ。するとそこにいたのは泰造と和歌子、そして彩華だった。


「――き、北上条斎殿!? ど、どうして」


 斎は泰造を一瞥しただけで、結界が張られている部屋の襖を見る。


「ここに茉莉がいるんだな」


 襖越しには殺気立った気配を感じられない。しかし膨大な霊力を感じる。……まさか、もう茉莉は。

 馬鹿な考えを捨てるために頭をひと振りすると、足元を見た。


「っ。黄金――行くぞ」


 しかし黒い靄は激しく揺らいでいる。どうやら相手の格の高さを肌で感じた黄金が震えているらしい。

 茉莉は、あやかしが人見知りしているのではと言っていたが、黄金は犬神の加護を感じ取って怯えていたのだろう。


「覚悟を決めろ、黄金。茉莉のためだ」

「コ、ココギュアンッ!」


 黄金が意志を固めて高らかにひと鳴きしたところで、斎は勢いよく襖を開けた。

 するとそこには、重量がありそうな犬神にのしかかられて畳に倒れ込んでいる茉莉の姿があった。


「茉莉っ!」

「い……つ、き様?」


 かすれ声で名を呼ぶ茉莉を見た斎は、霊気を集めた拳を犬神に向けて一気に振り下ろそうとした。

 その時。


「クゥンクゥンクゥン……」


 犬神は、襲撃中とは思えないほど弱々しい鳴き声を上げた。一方の茉莉も、彼女の顔を一生懸命ぺろぺろと舐めている犬神の背を撫でてなだめる。


「い、伊吹。ご、ごめんね。ごめんなさい。ごめんなさいってば。くすぐったいわ、伊吹」

「え? ……え!?」


 斎は自分の拳を振り上げたまま固まった。

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