第35話 ※斎視点:小芝居には小芝居を
斎が茉莉を見送り、絹たちに声をかけて屋敷内に戻ろうとした時、一台の車が止まった。何か忘れ物をしたのだろうか。
「どうした――ま」
斎は車から出てきた茉莉に声をかけようとして、言葉を切った。その人物は茉莉ではなかったからだ。華やかな洋装に身を包んだ女性だ。
「あら。どちら様でしょうか」
絹がもの柔らかに尋ねたが、女性は絹を一瞥しただけで、すぐに斎に視線を流して笑顔を見せた。
斎の横にいる千尋の周りの空気が冷たくなっていくのを感じる。千尋は不機嫌になると無表情になる癖がある。
「初めまして、北上条斎様でしょうか。私はこちらでお世話になっている黒川茉莉の妹、彩華と申します。斎様のこのたびの災禍、心よりお見舞い申し上げます」
「ああ。茉莉――殿の妹君か」
茉莉とは似ていない顔立ちだ。確か母親違いの姉妹だったか。
「見舞いの言葉、感謝申し上げる。世話になったのはこちらのほうだ。わざわざ妹君まで挨拶に足を運んでくれたというのに、こんな格好で失礼した。まだ療養中の身でね。先に一報頂ければ、身なりを整えもしておいたのだが」
「とんでもないことでございます。どんなお姿でも、一切風格は損なわれておりませんわ。それにお顔の色もよろしいようで、とても安心いたしました」
遠回しに嫌味を言ってみたが、通じなかったようだ。彩華は嬉しそうに微笑み、胸に両手を当てて目を伏せた。
「斎様のこのたびの災禍を耳にしてからというもの、ずっと心を痛めておりましたが、折しも、私も流行り病で伏せっておりましたもので、ご挨拶が遅れたことをお詫び申し上げます」
「そうか。それでは私からも君にお見舞いを申し上げる」
「お気遣いいただき、誠にありがとうございます。姉からお聞きになっていたでしょうか。私が伏しているその間、姉が代わりにこちらへ寄せていただくことになったという話は」
「いや。その話は聞いていないな」
なるほど。そういう筋書きか。
斎は、藤堂に口止めをするのを怠っていたことを後悔する。どこからか斎が回復に向かっていると聞きつけて、ようやく重い腰を上げてやって来たのだろう。
心の中で舌打ちする。
「そうでしたか。嫌だわ。お姉様ったら、言い忘れていたのね。それであの。失礼ですが、姉は今こちらに?」
「いや。先ほど入れ違いで実家へ帰った。何でも父君が倒れられたとか。父君のご容体は?」
「まあ! 姉は一体何を言っているのかしら。いいえ、いいえ。私は今朝、しっかりと斎様をお支えするようにと、父に背中を押されて送り出されたばかりですのよ。父は倒れていたりなどしておりません。あ――まさか」
彩華ははっと顔色を変えて、口に手を当てた。
「どうかされたか?」
斎が尋ねると、今度は困ったようにうつむいて頬に手を当てる。
「……その。恐れながら申し上げますと」
そう言って彩華は斎を仰ぎ見た。
色香で媚びる女性を嫌う千尋の周りの空気が、どんどんと凍っていって寒い。そもそも絹を無視したところから敵対視し、嫌悪感を抱いていたのだろう。
「実は姉から、斎様のお世話は辛くて耐えられない、もううんざりだ、帰りたいという手紙を何度も受け取っていたのです」
千尋と絹に視線をやると、両者ともほんの少し首を振って否定してきた。
最初から茉莉のことは疑ってはいない。そもそも辛くて耐えられないことを何度も行うわけがない。自分の知らないところまでするわけがない。
「だから姉は父が倒れたという電報を受け取ったと嘘などついて、こちらを出てきたのだと思いますわ。私がもう一日早くこちらに伺っていたら、斎様の体面を傷つけるようなことなど決してさせませんでしたのに。姉に代わり、お詫び申し上げます。これから私が真摯に尽くさせていただきますので、姉の無礼をどうかお許しくださいませんか。お願いいたします」
「あな――っ」
我慢できなくなった千尋が一歩前に出たが、すぐに腕で制する。
「それはおかしいな。確かに茉莉殿は、実家から電報を受け取っていた。そうだったな?」
もう少し茶番に付き合うことにした斎は、そう言って千尋を見ると彼は頷いた。
「はい。私が確認しました。送り主は確かに黒川家でしたよ」
「そうでしたか! 姉はそこまで……。姉は、うちの使用人にも手紙を送っていたようですから、彼女に頼んで嘘の電報を出すように工作していたのですね」
なかなか頭が回ると、斎はふっと笑う。
あるいは他の者が受け取った時のことを想定していて、最初からその返答も用意していたのかもしれない。
「斎様、どうにも話が違いますね」
斎は、耳元で囁く千尋の言葉に頷いた。
母親である紗和と黒川家の取り決めにしては、彩華の言い分は話を作りすぎている。ならば今回のことは、黒川家の独断で行われたことかもしれない。茉莉がそれを言わなかったのは、気力を失っていた自分に発破をかけるため。一時的な身代わりと承知の上で、茉莉は斎のためにあのか細い体で何度も身を張ったのだ。
斎は、茉莉の想いをようやく理解した自分を嘲笑ってしまう。
「斎様?」
彩華が小首を傾げて斎に声をかけてきた。
「ああ、すまない。つまり茉莉殿は帰宅するために偽装工作を行っただけで、父君はご健在だと?」
「ええ! その通りですわ! 姉はそんな嘘までついて、家に帰りたかったのですね」
こんな小芝居を打つということは、おそらくもう茉莉をここへは戻さないつもりでいるのだろう。ならば自身が迎えに行くしかない。ただ、ここまで計画を立てて来ているのだから、今それを下手に口にすると策を講じられて、茉莉に会わせてもらえなくなる可能性が高い。
ならば小芝居には小芝居を返す。
「そうか。こう評価を申し上げるのは失礼だが、君は霊力が高く、これからの退魔師家系を支えていく素質がある方だとお見受けした。そこで、せっかくここまで足を運んでいただいて申し訳ないが、父君にこれからのことでご挨拶に伺いたい。急だが、構わないだろうか」
「ま、まあ! もちろん光栄ですわ!」
彩華は頬を染め、ぱっと表情を明るくした。
何やら誤解しているようだが、わざわざ説明する義務もない。
「では、私は一度着替えてからお伺いすることにしよう」
「ええ! 分かりましたわ。私は一足先に失礼しまして、斎様をお迎えするご用意をしてお待ちしておりますわね」
「いや。突然の訪問で無作法なのはこちらだ。お気遣いは無用」
「とんでもないことですわ。斎様にご無礼を働いたら、両親に叱られてしまいますもの。それではお先に失礼いたします」
彼女は一礼すると、まだ待たせていた車に乗り込んで去って行った。
それを見届けて斎はすぐに身を翻す。
「茉莉を迎えに行く。すぐに出発したい。千尋はもう一度車の手配を。絹は服の用意を」
「承知いたしました」
「かしこまりました!」
千尋と絹は即座に返答し、斎たちはおのおの動き出した。




