第33話 霊気を与える条件
絹はすでに眠っていたため、千尋が先に茉莉の部屋へ行って、布団を用意してくれることになった。
斎は指示しつつも、何だか嫌そうだった。千尋は千尋で、不在の女性の部屋に入るだけでも嫌なのにとぼやいていたが。
「では、行こう」
「はい」
茉莉は斎の補助を受けて歩き出したが、すぐに息が上がる。
座って話していた時は何とか気を保てていたが、歩き出すと酷く体が重い。気づかれないようにしようと思ったが、それはまったく意味をなさなかった。足がうまく動かなかったからだ。
「まともに動けなくなるほど、大量の霊気を与えていたのか」
斎は茉莉の様子を見て足を止めた。
「い、え。大丈夫です。体に力が入らないだけで」
「それのどこが大丈夫なんだ」
斎は、足元がおぼつかない茉莉の腰に手を回す。
「朝には霊気が戻ります、から。どうか」
茉莉は斎の袖をぎゅっと握って仰ぎ見る。
「どうか、これからも。黄金に霊気を与えることをお許しください。霊体化している黄金の感覚が分かるようになったのです。斎様と黄金を繋ぐ紐も実体化してくるでしょう。そうなれば、紐を切ることができるはずです」
「こんなに青い顔をしていて、君という人は。……本当に底抜けのお人好しだな」
斎はため息をつくと身を屈め、膝裏に腕を回して茉莉を抱き上げた。
「え、え――え!?」
「このまま部屋まで運ぶ。暴れると危ないから、大人しく抱かれていてくれ」
「っ。も、申し訳、あ、ありませ……」
茉莉は、最初こそ体が浮く感覚に動転したが、すぐに斎の香りと温もりに包まれて緊張と胸の高鳴りに息が苦しくなった。さらに斎の端正な顔が間近に迫っていて、動揺を隠すために謝罪しながらそのまま視線を落とす。
「軽いな。私はこれほど軽くて小さな君に守られていたのか」
「ま、守るだなんて。私はただ、ほんの少し治療のお手伝いをしているだけです」
こうして斎の温もりに囲われている自分のほうこそ、守られている立場だ。
「茉莉……ありがとう」
斎はふと足を止めるとお礼を述べた。茉莉は笑顔を返す。
「いいえ。少しでもお役に立てているのならば、とても幸いで――っ!?」
茉莉の言葉が途切れたのは、顔を近づけた斎が茉莉の額に口づけた(?)からだ。当然ながら、茉莉は心臓の鼓動が異常に高まった。
「やはり顔色が悪いな。早く休んだほうがいい」
顔を上げた斎の声と表情は、いつもと変わりがない。
熱を測るつもりで、うっかり唇が当たったのだろうか。自意識過剰だったらしい。……恥ずかしい。
「お、お気遣いありがとうございます」
茉莉は自嘲の笑みを浮かべた。
それからは、斎公認で黄金に霊気を与えられるようになった。
茉莉の勝手な行動を知った絹からは、無謀だと涙目で怒られてしまったが、自分の体を心配してくれてのことだと思うと心が温かくなった。
「瘴気を抑える結界を解除することにした」
茉莉が黄金ときちんと契約を結んでいて、信頼関係も築けている様子も確認できたため、斎と千尋は瘴気を抑えるための結界を解除することを決めたと言う。
もともと妖狐は温和で、人に対して悪戯もするが、引き際も見極められる頭のいい種族である。
「そうですか。良かったです」
それによって、屋敷の結界を千尋と絹で分担できることになり、絹の負担が減るからだ。また、もう少し様子を見た後、暇を出した使用人も呼び戻すことも検討しているとのこと。
斎はというと、離れから出て自分の部屋に戻り、日中の多くの時間を執務室で過ごすようになった。
「執務室には、それはそれは恐ろしい鬼が棲んでいて、縛られているんだ」
斎曰く、茉莉にも見えない鬼に縛られているらしい。さぞかし大きな力を持った鬼なのだろう。残念ながらそれに関しては、茉莉は力になれないとのことだ。
せっかく体調が戻りつつあるのに、疲れているようで心配ではある。
「紐が切れるのも、もう間もなくかもしれませんね」
茉莉は、黄金に霊気を与えながら斎に話しかけた。
茉莉が黄金に日々霊気を与えることによって、斎と黄金を繋ぐ紐も感覚が分かるようになってきた。それに伴い、斎たちの目にも紐が見えるようになってきたと言う。
「そうだな」
斎が紐に触れるとまだすり抜けているが、感覚も分かってきているそうだ。
この紐を施した人物は、事件を引き起こしている犯人の可能性が高い。術には癖があるため、紐を解析してその人物を特定しようと試みているそうだが、それはまだ成功していない。
「茉莉、ありがとう。黄金は、そろそろ良さそうだ」
斎の声で黄金を見たところ、こくこくと船を漕ぎ出した。茉莉は霊気の放出を止めると、黄金はうたた寝から戻り、はっと顔を上げた。
「もういいわね、黄金」
「ココンッ」
顔をさらに上げて鼻を近づけてきたので、茉莉も身を屈め、黄金に顔を近づけようとした。――が、斎の大きな手で茉莉の顔を押さえられて阻止される。
「何をなさるのですか?」
「君こそ何をしている」
「親愛を示そうかと」
「君は茉莉の妻だ。軽率な真似をしないように」
「ちょっと何をおっしゃっているのか分かりません」
茉莉の妻だと言い切ることも、何が軽率なのかも。
茉莉が首を傾げると、斎はぐっと言葉に詰まった。
「まあ、とにかくだ。私たちもそろそろ休もう」
斎はそう言って茉莉に手を差し出したので、茉莉はその手を取り、寝室へと移動した。
そこには二組の布団が用意されている。茉莉が黄金に霊気を与えるための条件として、斎の傍で寝ることが義務づけられたからだ。
大量に霊気を失った茉莉を夜間一人にしてはいけないと、条件を付けたのは絹である。斎が母屋に戻ってきて、部屋が隣になったからその必要はないと茉莉は言ったが、絹にその条件でなければ認めないと言われ、斎は押し切られる形でその条件を呑んだ。
「それでは斎様。ごゆるりとお休みくださいませ」
「君のほうが、ごゆるりと眠っていると思うが」
斎は苦笑する。
初日はたくさんの霊気を失っているにもかかわらず、なかなか眠れないほど緊張したが、慣れとは恐ろしいものである、今では布団に入って瞬く間に眠るようになっていた。
「茉莉、おや――って、もう寝ている!」
茉莉は、頬に何か温かいものを感じながら眠りについた。
洗濯日和のからりと乾いた秋晴れの日。
茉莉は洗濯を済ませた後、庭で季節の景色を楽しんでいた。
木々から舞い散って地面を黄色や赤の葉で敷き詰める光景は美しいものだ。
少しだけ現実逃避した後、落ち葉で焼き芋を作りましょうという絹の言葉を励みに箒で掃いていたところ、配達員さんがやって来た。
「こんにちは。電報です」
「ありがとうございます」
茉莉は受け取った電報を見て、どきりとした。それは実家から茉莉に宛てたものだったからだ。千尋から手紙を送るのを禁じられていたため、業を煮やして催促してきたのだろう。
茉莉が開くのをためらっていると、手からすっと電報が抜き取られた。




