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第28話 ※斎視点:体は好調、心は乱調(2)

 午後になって、斎は洋館にある執務室へと入ろうと扉を開けた。しかしすぐに扉を閉める。斎は千尋へと振り返った。


「何だ、今の惨状は。悪夢か?」


 机どころか、床にまで山積みとなった書類が見えた気がした。しかも一つや二つでは済まない数だ。


「おはようございます、斎様。現実です」

「病み上がりの身には目の毒だ」

「斎様だけではなく、健康体の私にも毒です。既にその毒に蝕まれています」

「……だろうな。体に満たされた毒を今、口から吐き出しているからな」

「とにかくお入りください」


 千尋に背中を押されて渋々部屋に入り、自分の椅子に座った。これほど座り心地の悪い椅子だっただろうか。

 気が滅入りそうになるが、時が経つほどにこの書類はうずたかくなっていくことは間違いない。


「……始めるか。本当は、今日は少し顔を出して離れに戻るつもりだったが」

「病み上がりの身で申し訳ありません」

「本気で思ってはいないのだろう?」

「もちろんです」

「だろうな……」


 千尋と非生産的な話を交わした後、斎は重すぎるペンを持った。



 男二人、無言で仕事を進めていると扉が叩かれ、返事すると絹が顔を出した。


「藤堂様がお越しになりました」

「ああ。通してくれ」

「かしこまりました」


 藤堂は大きく開かれた扉から入ってくると、一瞬顔をこわばらせて身を引いた。書類の多さに目を奪われたようだ。


「こうも早く来てくれるとは。忙しい中、ご苦労だった」

「とんでもないことでございます。指揮官長、お疲れ様です。藤堂が参りました」


 先に声をかけると、彼は姿勢正しく斎に向かって敬礼した。

 長い髪を後ろでひとまとめにしている彼は柔和な顔立ちで、軟弱に見られがちだという。髪を切りたいが、姉たちから全力で止められているらしい。


「お怪我からのご回復、心より喜び申し上げます」

「ありがとう。まだ完全復帰とはいかないが、順調だと言っておこう。――そこにかけてくれ」


 部屋の中央にある長椅子を勧める。


「ですが」

「足元が悪い。私的な報告も受けたいからそこにかけてくれ」


 斎も自分の席から立つと、テーブルを挟んだ藤堂の向かい側の椅子に腰かけた。

 彼は千尋にも挨拶をすると、失礼いたしますと椅子に座る。


「まずは近況報告を頼む」

「はい。それでは報告いたします。我が第三地区でもあやかしの出没はかなりの数が報告されておりますが、夜間巡回の人数を増やし、適宜処理しておりますので、大きな被害や隊員の負傷者などの報告は上がっておりません」

「そうか。それは良かった」


 この書類の多さは、あやかしの出没に比例しているということだろう。


「しかし第一地区では従来、害のない下位のあやかしが凶暴化する騒動が起こっているようです。また未確認生物が出没したり、急所も頸や心臓ではなく、不明な場合も多かったりするそうで、討伐が難航している模様です」

「ああ。こちらにも応援要請書が届きましたが、第四地区から人手を出してくれることになったそうです」


 千尋は自分の席から報告した。

 北西から北北西の第一地区は弟、理の配属先で、北北西から北までの第二地区は黒澤貴斗、北北東から北東までの第四地区が従兄の黒石正真が指揮官を担っている。第四地区は今、治まっていて、正真が人手を出すことを申し出てくれたらしい。


「鬼門と呼ばれる北東部にあやかしが多く出没するなら分かりますが、なぜ最近は北西部での事件発生が多いのでしょうね」


 千尋は誰となく疑問を投げかける。


「やはり第四地区指揮官の手腕ではないですか? 騒動が起こる前に対処されているのでしょう。第二地区指揮官は、あやかしの増加は不安感を抱く人間が増えたことが原因の一つだと考え、路上生活者に居住地を提供し始めたとか。おかげで路上生活者は激減して町の治安も向上したそうですよ」


 答えた藤堂に千尋は頷いた。


「確かにお二方は、どちらも優秀な方だとは存じています。ですが、北西部に事件が多く、北東部に少ない決定的な理由にはならないかと。それに最近の騒動はあまりにも不可解です。上位のあやかしが斎様を襲ったとか、未確認生物が多発するとか、下位のあやかしが凶暴化しているとか。物事の発生には必ず原因があるはずです。裏で何かが起こっている。何かが。そう……例えば」


 千尋は、独り言のようにぽつりと続けた。


「蠱毒」

「――千尋」


 千尋が答えを出すまでに止めようと思ったが、一瞬遅かったようだ。

 藤堂は千尋の蠱毒という言葉にひくりと端正な顔を引きつらせた。


「蠱毒って、あれですよね。一つの入れ物に毒虫や毒蛇を閉じ込めて争わせて、最後に生き残った一匹を呪詛に使うという呪術」

「ええ。私は、その蠱毒にあやかしを使ったのではないかと考えています。あやかし同士が戦う中で、残った一体が特異な能力を身に付けたのではないかと。あるいはその生き残りを供犠として新たな呪術を行使したかと」

「で、ですがそれは人間が行う術ですよね?」


 そう。蠱毒とは人間が行う禁忌の呪術。

 千尋は今回の騒動の発端は、人間が意図的に起こした事件だと考えているらしい。


「ええ。自然発生的なものにしては、最近、あまりにも多発しすぎています。斎様を襲った妖狐にしてもそうです。幻術で人を惑わし、霊力や生気を奪うことはあっても、真正面から攻撃してきたことはこれまでに前例がありません。生態系に変化がある時は必ずと言っていいほど人間が関わっているものです」


 もし、あやかしを一つの空間に閉じ込められる者がいるとしたら、それは空間の出入りを妨げる結界を張ることができる人間、退魔師や祓い師、呪術師などだろう。つまり同業者の犯行だと主張しているのだ。

 斎はため息をついた。


「千尋。確証もないのに、独りよがりな憶測をたやすく口にするな。自ら良からぬ噂を立てて民の不安を煽るつもりか」

「……申し訳ありません」


 千尋から謝罪の言葉を引き出したところで、斎は藤堂に向き直る。


「藤堂も今の話は内密に」

「承知いたしました」

「ところで藤堂。君にわざわざ足を運んでもらったのは、黒川家の内部調査の件についてだ」

「はい。何か不備がありましたか?」

「いや。黒川家訪問の前日に調査書へ目を通そうと思っていたところ、その夜、怪我を負った。それ以降は長い療養に入って放置したままになっていた。そこで今日、確認しようとしたところ」


 斎は自分の席に視線を送る。山と積み上げられている書類へだ。


「あー……」


 藤堂は状況を察して苦笑いした。


「そこで君から直接、報告を受けたいと思った」

「承知いたしました」


 と、その時。

 執務室の扉が叩かれた。


「茉莉でございます。お茶をご用意いたしました」

「件の出自の令嬢だ」

「指揮官長。私は黒川家で彼女と会って話もしたのですが」


 藤堂が少し顔を曇らせる。


「その姿でか?」

「いいえ」

「だったら問題ないだろう。――千尋」


 声をかけると千尋が立ち上がり、扉を開けに行った。

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