第21話 斎様の妻としての役割
斎は再び悩ましそうに考えたものの、茉莉の意思を受け入れてくれたようだ。彼は頷く。
「分かった。ではよろしく頼む。ただし休憩を挟み、気分が悪くなったら即、退室してくれ。それと夜間は瘴気が昼間の比ではない。だから決して近づかないように。これだけは守ってくれ」
「私は、斎様にご迷惑をおかけすることは決してしないことをお約束いたします」
その後、茉莉は膳を片付けに戻り、斎と話したことを千尋や絹にすべて報告した。
「そうですか。人見知りですか。でしたら、あやかしも可愛いところがありますわねぇ」
絹はころころと笑ってくれるが、千尋は不満そうだ。
「笑いごとじゃないですよ。信憑性の低い仮説です。明確な理由がないと、いつ強い瘴気を放つか、誰も予想がつきません」
「真偽は分かりませんが、私がお傍にいて瘴気が一時的に収まったのは事実です。ですので、今はできるだけお傍に付いておきます」
「ですが、斎様は日中でも瘴気を完全に抑えきれていないのですよね?」
「はい」
茉莉は正直に頷く。
「ならば、その瘴気が茉莉様を害しているではありませんか」
自分の霊気はある程度、瘴気の悪影響を抑えてはくれているものの、結界ほど完全に防いでくれるわけではないため、体に不調が出るのは避けられない。しかもその霊気も昨日より速く消耗されていくように感じる。
「お二人にも斎様にも、ご迷惑をおかけすることはないとお約束いたしました。体調が悪くなれば、すぐに離れます。――あ。それと斎様は、引き続き私以外の入室の許可はなさいませんでしたが、そのうちお二人に顔を見せるぐらいはするとおっしゃっていました」
「……分かりました」
千尋は渋々了承した。一方、絹はというと、きっと本当は彼女もまた斎の意志に逆らいたかったのだろう。目元を押さえながら頷いた。
「顔を見せるとおっしゃってくださるようになっただけでも前進しましたわ。誠にありがとうございます、茉莉様」
これまで斎は完全に引きこもっていたらしい。体調不良よりも、自分の弱さを知られたくなかったのかもしれない。しかし斎は自分の弱さを受け入れた。彼はそれでまた一つ強くなるのだろう。
茉莉は、純粋に憧れの気持ちを抱く。
「少しでもお力になれたのでしたら、とても嬉しいことでございます。これからも真摯にお仕えさせていただきます」
「……ご無理だけはなさらないでくださいね」
千尋はぼそりと言った。
何だかんだ言いつつも彼は、茉莉の体調も気遣う優しい心の持ち主だ。
「まあ、茉莉様ったら。真摯にお仕えだなんて。使用人みたいなことをおっしゃらないでくださいな。斎様の奥様なのに」
茉莉は、絹の言葉に動揺した。
斎の妻だと偽ったことを打ち明けてしまえば、当然ながら信頼は失われ、追い出されるだろう。それどころか、彩華が斎と結婚してこの屋敷に入った時、悪い印象を持たれる可能性が高い。事の詳細は斎から説明してもらうとして、今は二人には黙っておくべきだ。
「というわけですので、茉莉様。――はい、これをよろしくお願いいたしますわね」
「え? は、はい」
考え事をしているうちに、話が進んでいた。
茉莉は、絹からの依頼の言葉に慌てて顔を上げると、男物の着物を渡された。
「これは斎様のお着物ですか?」
「ええ。湯浴み後のお着替えです」
「承知いたしました。お渡しいたしますね」
「ええ。斎様がこんな状態の時に茉莉様が来てくださって、本当に助かりました」
絹は頬に手を当てて微笑む。
「斎様の湯浴みを手伝ってくださるのですもの」
「…………え?」
ぽかんと二人を見ると、笑顔の絹と、腕を組んだ少々不服そうな千尋がそこにいる。
「わ、私が。私が斎様の湯浴みのお手伝いをするのでしょうか?」
「ええ。だって日中でも、湯船につかっている間に瘴気に襲われて倒れてしまわれたら大変でしょう? ゆっくり湯浴みできていなかったと思うのですよ。その点、茉莉様がお傍にいてくださったら、人見知りのあやかしは姿を現さないのですものね」
絹はにこやかに笑っているが、実は茉莉の事情をすべてお見通しで、探りを入れているのではないかと感じるぐらいの試練を容赦なく与えてくる。
「私は、妻としてこの屋敷に入ったとはいえ、また婚儀も済んでいない間柄なのにどうかと思いますけどね」
眉をひそめて難色を示す千尋に、茉莉はここぞとばかりに拳を作って力強く同意してしまう。
「そ、そう! そうです! ち、ちひる様のおっしゃる通りです!」
「千尋です」
「は、はい、千尋様」
焦って噛んだことを淡々と指摘される。
「しかしそうも言っていられない状況ですからね」
「えっ」
瞬く間に手の平を返す千尋に思わず絶句した。
「では茉莉様、どうぞよろしくお願いいたします」
笑顔の絹と生真面目そうな千尋から強い圧を感じる。
「…………はい」
茉莉に許された返事はただ一つしかなかった。
茉莉は朝餉を取った後、着替えを持って斎の居室に戻ると、襖が開いたままだったので廊下から声をかける。
「斎様」
「ああ、どうした?」
座椅子に座る斎の姿が見えた。顔色は悪くなさそうだ。
「斎様、私が失礼していた間、体調はいかがですか?」
「問題ない。先ほど君があやかしに声をかけたのが良かったようだ」
退室する前、すぐに戻ってまいりますと強調して言ったのだ。それがあやかしに声をかけたように見えたらしい。
茉莉は恥ずかしさを誤魔化すようにこほんと咳払いする。
「そうですか。良かったです」
「ああ。どうした? 中に入らないのか?」
「あ、その。朝湯の準備をしてよろしいでしょうか」
「え?」
斎は茉莉の唐突な質問に眉根を寄せた後、自分の腕を鼻に寄せる。
誤解させたのは明らかだ。
「あ、いえ! 妖力が強まる夕方よりも早めの湯浴みされるほうがよろしいかと、絹さんから着替えをお預かりしましたもので」
「ああ、それもそうだな。寝汗もかいたことだし、そうするか」
「ではこのまま用意してまいります」
一度退室した茉莉は浴巾と手拭、着替えなどのお風呂の準備を済ませると、重い足取りで再び斎の部屋に戻った。
「ご準備いたしました」
「ああ。ありがとう」
斎が立ち上がって部屋から出てきたので茉莉もその背を追う。すると彼は立ち止まって振り返った。困惑した表情だ。
「どうした? 何か言いたいことでも?」
「は、はい。ええと……お、お背中をお流しさせていただきたく」
斎は時が止まったように表情を固めて茉莉を見つめ。
「………………いや。遠慮する」
長い沈黙の後、拒否された。




