第20話 人の好さにつけ込む
「斎様、茉莉でございます。起きていらっしゃいますか」
茉莉が廊下から声をかけたが、返事がない。
まだ眠っているのか、それとも体調が悪いのか。初日に倒れたことを思い出して、不安が押し寄せてくる。
「斎様。お返事がございませんが、朝でございますので、お部屋に失礼いたします」
そう断って襖の引手に手をかけようとした瞬間、先に斎によって開かれた。
「……許可を出す前に入ろうとするのはやめろ。結界の解除が間に合わなくなるだろう」
「斎様!」
柱にもたれかかるようにして立つ、どこか虚ろな感じの斎の顔色は青を通り越して、土気色になっている。
茉莉は慌てて彼の頬に手を当てると、昨日のように避けるどころか、茉莉の手に自分の手を重ねて頬に押し付けた。
「不思議だな。こうして触れられていると、楽になってくる。――ああ、もう落ち着いたみたいだ」
言葉通り、斎の目には光が戻り、顔には血色が戻っている。
「斎様、とりあえずお座りになりましょう」
茉莉は斎を促して寝室に入り、彼を座らせた。
「朝餉のことを聞きに来たのだろう? 体調は落ち着いた。食べるから用意してほしい」
「お一人にして大丈夫でしょうか」
斎の胸部から漏れ出す瘴気は、気のせいか、昨日よりも勢いがあるように見える。
「ああ。準備してくれている間に私も着替えを済ませる」
「承知いたしました」
朝餉の準備を終えたらすぐ戻ることを約束し、茉莉は退室した。
「茉莉」
「はい、何でございましょう」
斎が食事を終えたので、食器を座卓から膳に戻していると、気まずそうに声をかけてきた。手を止めて向き直る。
「改めてこれまでの言動について謝罪したい。本当に申し訳なかった。……だから」
彼はがくりと頭を垂れた。
「そろそろ食事は自分の手でさせてほしい」
結構、精神的に堪えていたらしい。
「斎様、顔をお上げくださいませ。私こそご不調の中、自己本位な言動でご負担をかけて、誠に申し訳ございませんでした」
そもそも脂汗をかいて気を失うほどの苦しさなのだ。治癒の兆しが見えず、長く続けば体力どころか、精神力も消耗させられてしまうのは当然の話だろう。そんな中でも、最初は丁重に応対してくれた。それをさらに踏み込んだのは茉莉のほうだ。
「いや。私の弱さゆえだ」
「そんなことはございません。斎様は、ご不調ながらも精一杯の礼儀を尽くしてくださいました。お礼とともにお詫び申し上げます」
「いいや。君が私を奮い立たせてくれなければ、きっともっと心も体も病んでいただろう。こちらこそ君に感謝する。ありがとう」
「とんでもないこ……いえ、身に余るお言葉でございます」
茉莉は恐縮しながらも、斎の気持ちを素直に受け取ることにした。
「ところで恐れ入りますが、斎様の現状についてお尋ねしてもよろしいでしょうか」
「まあ、芳しくはないな。妖力が強いあやかしで、日中でも隙あらば霊気を喰らおうとしてくる。霊気と睡眠時間をいいように奪われている状況だ。私は疲弊してくるが、あやかしは霊気を喰らって力が増しているためか、最近は昼間でも瘴気を抑えきれなくなっていた。今はなぜか少し収まっているが」
夜間でなくても雨だったり、陰っていたりすると、夜にしか姿を現さない妖力の低いあやかしが姿を見せることがある。ただ、斎に憑いているあやかしは姿こそ現さないが、経験したことのない瘴気の強さと異質さを感じた。これは上位のあやかしだからなのか。
「天気が原因ではないようですね」
千尋たちと話していたことを伝えると、斎は頷いた。
「ああ。私も天気ではないと考える。ここ最近と違うことは、君が傍にいるということぐらいか。先ほども君が私の頬に手を置いたら、気分が晴れて空腹が気になった。となると、原因は……君か?」
「私、ですか?」
茉莉は結界も張れぬほど霊力が低い。だから、あやかしは茉莉を恐れているわけではないだろう。しかし、もし茉莉がここに来たことが原因だとしたら。
少し考えた後、はっとひらめく。
「あ、あやかしは人見知りで、息を潜めているのではないでしょうか!?」
すると斎は鳩が豆鉄砲を食ったような表情になり、直後、噴き出した。
「ははははっ! あ、あやかしが人見知り!? 一体どうしたらそんな発想に? ――ああ、いや。すまない。うん。それは面白い解釈だ。そうだな。あやかしにだって人見知りがいるかもしれない」
茉莉は本気で考えて言ったのにと、じとりと見つめていると、笑いを必死に抑えながら謝罪され、精一杯真面目な顔をして同意の姿勢を見せてくる。
「無理にお話を合わせてくださらなくて結構です」
「悪い、悪い」
少々拗ねた口調で言うと、斎は再び笑いながらも機嫌を取るように謝罪する。表情が柔らかくなった様子を見ていたら、茉莉も何だかおかしくなって一緒に笑った。
「これほど笑ったのは久しぶりのような気がする。笑うと気分がいいな。ありがとう、茉莉」
「い、いえ」
斎の優しい笑顔に、どきりと茉莉の胸が高鳴る。
「だとすると、あやかしの気がいつ変わるか分からない。瘴気が強くなった時は気をつけてくれ」
「承知いたしました。できるだけお傍に控えさせていただきます」
「ああ。よろし――」
斎は頷きかけたが、言葉を切って顔を上げた。
「話を聞いていたか? 瘴気が強くなる時は気を付けてくれと言ったが」
「はい。ですからできるだけお傍にいるようにいたします」
「いや、瘴気が強い時は近づくなと言っている」
「いいえ。瘴気が強くなって体調を崩すそのお時間こそ、お傍にいるべきだと考えます」
絹たちは、人を近づけたくない斎の意思を尊重したいと言った。しかし、今朝の様子を見ていたら、やはりそうすべきではないと思い直した。
「その時間は君にも体に負担がかかる時だ」
確かに昨日よりも強い瘴気は、頭痛や体の重だるさを引き起こしている。
「承知しております。ですが斎様がお辛い時間にお傍に付いていなくて、何の意味があるのでしょう」
たとえ何もできなくても傍にいたい。一人で苦しむ時間は永遠のように感じ、酷く孤独を感じるものだから。それが自己満足だとしても。
黙り込む斎を見つめ返していると、やがて彼は首を振って一つため息をついた。
「君の気持ちはありがたいが」
「はい、お許しいただきありがとうございます。決してお手を煩わせませんので」
茉莉が笑顔で感謝を述べたところ、斎は不満そうに目を細める。
「許可したわけではない」
「さようでございましたか。では、斎様の許可を取らずに傍にお付きいたします」
「許可を得ずにとは、まさかそれは結界を破ったように無茶をするという意味か?」
茉莉は首を傾げながら微笑を返す。
「無茶となるかどうかは、斎様次第でございますね」
「私の良心に訴えかけるつもりか?」
「いいえ。僭越ながら、私は斎様のお人好しのお心につけ込ませていただいております」
「っ! ……まったく君という人は」
斎はまいったと言うように苦笑した。




