第17話 小味の利いた仕返し
茉莉は厨に戻るとまず絹に報告し、今日もお腹に優しいものがいいだろうと、たまご雑炊を作ることになった。
刻んだにんじんや椎茸、大根を入れて、溶き卵を回しいれた後、薬味としてねぎを添えた。またもう一品として、くずし豆腐の葛あんかけも作る。
彩りよく、出汁もほどよく利き、味も口当たりがいい優しいものとなっている。味見してもらった絹からも合格をもらい、茉莉は斎の部屋に急ぐ。
「斎様、茉莉でございます。ご用意できました」
廊下から声をかけると、斎はすぐに襖を開けてくれた。
「入ってくれ。結界は解いてある」
「ありがとうございます。それでは失礼いたします」
今さらいらないと突っぱねることはないと思うが、念の為、座卓の上に用意していいか、尋ねてみることにする。
「座卓に用意してよろしいでしょうか」
「ああ」
「かしこまりました」
茉莉はお料理と匙、お茶を用意すると振り返った。
「斎様、どうぞおかけくださいませ。今日もお腹に優しいものにいたしました」
「ああ、美味しそうだ。……昨日」
斎は一度言葉を切ると、頭を下げた。
「昨日、何度も作り直しさせたことを謝罪したい。すまなかった」
「はい。お気持ちを汲んでくださったことに感謝いたします」
「あの後、料理は捨ててしまったのか?」
「いいえ。私どもが頂きましたので、お気遣いなさいませんよう。さあ、どうぞおかけくださいませ」
座布団に手を向けると、斎は素直に座卓の前に座ったので、茉莉もすぐ傍に座る。すると彼は困ったように眉尻を落とした。
「約束だからな。そう見張っていなくとも食べる」
「約束を守っていただけるのですか」
「もちろんだ」
「ありがとうございます。それでは何から召し上がりますか?」
「え?」
「何から召し上がりますか?」
戸惑う斎に再度質問を向ける。
「で、では雑炊から頂く」
「かしこまりました」
茉莉は左手で匙を取ると雑炊をひと掬いし、唇から風を送ってちょうどよい温度になるように冷ます。そして斎に匙を向けた。
「どうぞお召し上がりくださいませ」
「ま、待ってくれ。自分で食べ――」
「斎様は昨日、私に無理にでも食べさせたらいいとおっしゃいました。そしてそのお約束を守っていただけると今、おっしゃいましたね?」
「い、いや。それは」
斎は顔を引きつらせる。
「だ、だが君は右手を負傷している。左手では扱いにくいだろう」
「ご心配は無用でございます。私の利き手は左手でございますので」
「――ぐっ」
茉莉は、反論の言葉を失って狼狽える斎を見ながら、これくらいの仕返しは許されるはずだと思った。
「ご、ごちそうさまでした。その……ありがとう」
ほっと息をついた斎は手を合わせた後、茉莉に礼を述べた。
「お草々様でございました。すべて召し上がりましたね。良かったです」
「ああ……」
斎は完食したはずなのに、食べる前より若干やつれたように見えるのは気のせいか。
「お口に合いましたか」
「何と言うか……小味の利いた食事だった」
「さようでございますか。お口に合ったようで何よりでございます」
それならば、これからもお傍で給仕させていただこう。
茉莉がにっこりと笑みを向けると、斎は嫌な予感を覚えたのか、少し顔を引きつらせた。
「ところで斎様。昨日申しました通り、この後、お部屋を清掃させていただきたいのですが」
「……ああ」
気乗りしない様子だったが、斎は頷いた。
「ありがとうございます」
茉莉は居室をざっと見渡すと、寝室と同様、もう半月も人を入れていないとのことだったが、特に目立って汚れている様子はない。むしろ整頓されているぐらいだ。寝室で休んでいる時間が長く、ほとんど使われていなかったのかもしれない。
「寝室も一度確認させていただいてよろしいでしょうか」
肌着は日々、替えの物を絹が用意しているとのことだったが、布団までは手をつけられていないと言っていたので、まずは天日干ししたい。
「斎様?」
「…………ああ」
返事がないので声をかけてみると、斎は先ほどよりも気が重そうに返事をした。
「ありがとうございます。では失礼いたします」
茉莉は居室から寝室へと続く襖を開けて中に入った。
居室とは違って窓どころか、雨戸まで閉め切っていて薄暗い。まずは陰気がこもる薄暗い部屋の窓を開放したところ、光と気持ちいい風が入ってきた。同時に室内の惨状もあらわになる。
昨日、寝室に入った時は、窓は固く閉ざされて暗い上に、漂う瘴気で分かりづらかったが、今は障子や襖の破れを初め、畳には切り裂いたような傷、壁には叩いて壊したような跡が見える。
茉莉は思わず息を呑んだ。
苦しみもがき、逃れようとした跡なのだろうか。しかしこれだけの惨状の中、唯一布団だけは無傷だ。もしかしたら洗濯で要求された時のために、中の惨状を知られないよう、一番身近にあるはずの布団だけは手にかけないように必死で耐えていたのかもしれない。
そう考えると胸が苦しくなった。
さらに視線を移すと花瓶が割れているのが見えた。そこに生けてあった花もとうに枯れている。その中で、畳に散った花瓶の欠片の辺りに茶色いしみがついているのを見つけた茉莉は、居室にいる斎へと振り返った。
目が合うと何だか居心地悪そうにしていたが、茉莉が斎の元へと歩いて行くと、訝しそうに眉をひそめた。茉莉は屈んでそっと彼の手を取る。
「お怪我をなさっているのでは?」
「心配不要だ。もう血は止まっている」
斎は瞬時に手を引いて、茉莉の追及から逃れた。
「承知いたしました。傷が痛むようでしたらお声がけくださいませ」
「分かった」
茉莉に少しの罪悪感は抱いていても心までは許していない。それがよく分かる。まるで手負いの獣のようだ。今、これ以上は踏み込まないほうがいい。
「それでは一度布団をお預かりいたします」
茉莉がそう言うと斎は無言で立ち上がって寝室に向かったかと思うや、布団をひとまとめにしてきた。お礼を言って受け取ろうとしたが、彼は茉莉の横を素通りする。
「結界の手前まで持っていく」
「お体に障ります」
「君よりは体力がある」
「――あ、ありがとうございます」
不器用な優しさなのか、それとも少しでも早く厄介払いしたかったのか分からなかったが、茉莉は厚意を素直に受け取ると、膳を持って斎の背を追った。
母屋に戻って室内のことを絹に話したところ、酷く驚き、心を痛めていた。千尋は今、執務室で仕事中とのことだが、その話を聞けば彼も同じ表情を見せることだろう。想像するだけで心苦しかった。
部屋の修繕については、斎の状態が良くなってから外部依頼する話でまとまった。だから今は部屋の清掃だけ行うこととなり、茉莉は清掃道具を持って再び斎の部屋へと戻った。




