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第12話 斎が張った結界

 千尋が言った通り、斎の部屋は間違えようがなかった。その部屋を根源とした一際暗く淀んだ瘴気の流れが見えたからだ。部屋の中はもっと濃い瘴気が充満しているのだろう。

 正座した茉莉は廊下から声をかける。


「斎様、昼餉をお持ちいたしました」

「……誰だ?」


 声をかけるとしばらくして返事があった。


「本日より斎様のお世話をさせていただきます、茉莉と申します」

「どこの令嬢か分からないが、感謝する。だが、今はもてなす余裕はない。瘴気当たりする前に去ってくれ」


 斎の部屋に無理やり押し入って、倒れた女性がいたからだろう。頑なな口調だ。


「いえ。私は斎様のお世話を――」

「去れ」


 斎は茉莉の言葉を遮り、拒否の言葉を短く伝える。

 ここで言い合いをしてお体に障ってはいけない。茉莉は、今は引くべきだと考えた。


「かしこまりました。膳をここに置いておきます。できるだけお召し上がりくださいませ。――それでは失礼いたします」


 茉莉が立ち上がって廊下を歩き出すと、間もなくして、どさりと倒れるような音が聞こえた。

 嫌な予感がして部屋の前まで戻った茉莉は、廊下から声をかける。


「斎様? 今、物音がいたしましたが、いかがしましたか?」


 先ほどと違って返事はない。かといって、うめき声もない。声も出せないほどなのか、声を出さないように無理しているのか、判断がつかない。


「斎様? お部屋に失礼いたしますが、よろしいでしょうか。ご承諾いただけないのならば、そうおっしゃってください」


 返事はない。ということは、部屋に入ることを許可したということだ。そういうことにする。


「よろしいですね。では失礼いたします」


 そう言って襖の引手に手をかけると、ばちんと小さく音を立てて手が弾かれた。


 結界だ。少し触れただけだったので衝撃は軽かったが、開けようと試みれば、さらに強い反発がくることだろう。しかし茉莉はためらわずに再び手をかけると、先ほどよりも激しい痛みが手から体へと走ったが、勢いのまま開け切る。


 すると一層重く淀んだ瘴気が茉莉に押し寄せてきた。思わず身がすくんだものの、すぐに突っ切って中に入ると、畳に倒れている斎の姿が見えた。


「斎様!」


 駆け寄って斎の肩に手を置く。


「っ……」


 人の気配に気付いた斎は体を起こそうとした。


「動かないでくださいませ。今、千尋様を呼んでまいります」

「駄、目だ」


 立ち上がろうとした茉莉の腕をつかむ。途切れる声とは裏腹に強い力だ。


「呼ぶ、なっ。じき……治まる」


 手首に彼の強い意思を感じる。

 この意思を無視してはいけない。そう思った茉莉は人を呼びに行くことを止め、その場に座り込んだ。


「かしこまりました。ですが、せめて私をお傍に置いてください」

「だ、めだ」

「頭を打ったとか、めまいの症状はありませんか?」


 今度は聞こえないふりをして尋ねる。

 もはや追い払う気力もないのか、斎はただ黙って頷いた。


「そうですか。それでは少しだけ頭を起こします」


 この部屋は寝室で、斎は布団から出て少し歩いたところで倒れたらしい。

 布団まで目と鼻の先とはいえ、茉莉が体調の悪い大人の男性を無理に移動させることは難しい。だから斎の上体を起こして自分の膝に彼の頭をのせた。


「……君、の体は」


 斎は体調が悪いにもかかわらず、相手を気遣う優しい人物のようだ。


「私のことはご心配いりません」


 正直、右手の痛みと、経験したことのない濃い瘴気のせいで頭痛とめまいに襲われているが、虚ろな目で茉莉を見つめる斎に何とか笑顔を見せた。

 斎の額には脂汗が浮かんでいて、顔は青白く、目の下にはクマができていて頬もこけている。絹は、斎の食事量が減ったと言っていたが、睡眠も取れていないようだ。

 茉莉は額の汗を手拭いで拭った後、冷えた体に少しでも温もりが届くようにと、胸元に置いてある手をそっと取る。すると。


「――なの……かおり、が」


 斎が何かを呟いた。

 咎められると思い、慌てて手を引っ込めようとした。しかし逃すまいと手をつかまれる。むしろ手を放そうとしたことを咎めるような強さだ。

 茉莉は手を放さないことを伝えるためにそのまま握り返すと、安心したのか、斎は気を失うように眠った。



「茉莉様! お体は――」


 どうやら約束の時間を過ぎていたらしい。千尋と絹が部屋の前までやって来た。

 茉莉は開放されたままの襖のほうへと向くと、すぐさま唇の前で人差し指を立てる。


「私は大丈夫です」


 瘴気が収まって、頭痛やめまいも取れた。


「良かったですわ。斎様は眠って……おられるのですか?」

「絹さん、そうではないでしょう。倒れられたのですね」


 絹は驚きの表情になったが、千尋は重苦しい表情で否定した。

 斎は自分の状態を二人に知られたくなかっただろうが、こうなってしまっては仕方がない。


「はい。千尋様のおっしゃる通りです。ただ、今は落ち着いていらっしゃいます」

「確かに今、少し瘴気が収まっているようですね」

「ええ。眠るお姿も穏やかそうですわ」


 千尋は辺りを確認し、絹はほっとした表情になる。


「はい。ただ、お布団でお休みいただきたいのですが、私の力では斎様のお体に負担をかけずにお戻しできそうにありません」

「では私がお運びしましょう」


 千尋さんはそう言って何気なく部屋に入ろうとした。しかし。


「っ!」


 千尋は顔をしかめて一歩足を引いた。

 茉莉の時と同じく結界によって弾かれたのだ。


「茉莉様が部屋の中にいるので、結界はもう解かれていると思ったのですが、まだ張られていたのですね。油断しました」

「も、申し訳ありません」

「いいえ。私が見誤っただけです。――では」


 千尋は一つ深呼吸し、右手に霊力を集めるとその手を結界にかざす。すると亀甲模様で構成された光輝く結界が、とろけるように穴が広がっていく。

 茉莉は美しい光景にまじろぎ一つせず見つめてしまう。


「ちっ!」


 茉莉は千尋の舌打ちで我に返り、視線を移すと彼は眉をしかめていた。


「まったく、斎様は強固な結界を張っていらっしゃいますね」


 一度は溶けて開いた結界が閉じようとしているのだ。


「千尋さん、わたくしも援護いたしますわ」


 横から絹も霊気を手に集めて結界に当てると、閉じようとした結界が広がっていく。


「ありがとうございます、絹さん。十分です」


 屈めばひと一人入れそうなくらいの大きさになると、千尋は結界をくぐって部屋に入ってきた。それを見届けた絹はほっと一息つき、霊力を収めると、結界は瞬く間に元の姿を取り戻す。

 結界は一度破っても修復され、また斎の意識がなくても継続されるらしい。並みの能力者ができる術ではない。


「茉莉様」

「は、はい!」


 千尋から不審そうな声をかけられて、はっと顔を上げる。


「茉莉様は一人でどうやってこの結界を掻い潜ったのですか」

「え?」


 あの時はただ必死で。


「きっ……気合と根性で?」

「――脳筋か」


 困惑しながら答える茉莉に千尋はぽつりと呟いた。

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