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第11話 いざ斎の部屋へ

「では茉莉様。こちらのお部屋をお使いください」


 絹から案内された部屋を目にした時、茉莉は感嘆のため息をこぼすより先に驚きで息を呑んだ。


 彩華の部屋のおよそ三倍はあろうかというほどの座敷には、高級そうな座卓が真ん中に鎮座している。障子が開かれて見える縁側は南側に設けられていて、朝日を優しく取り入れ、夏の暑い日差しから守ってくれるだろう。

 また、縁側のガラス扉を開けば、木々の香りを含んだ心地よい風が入って来るに違いない。さらにそこから眺めることができる庭は、季節ごとに様々な表情が見られそうだ。

 今は最も美しい秋の風景の一部を切り取った絵画のように、庭を燃ゆるがごとく赤く染めている。


 しばし風景を含めた気品あふれる部屋に茫然としていたが、はっと我に返った。

 床に臥せる当主はきっとこの景色さえ楽しめる状況にないのだ。


「き、絹さん。こちらは貴賓用のお部屋でしょうか? そんなお部屋を私ごときが使わせていただくわけにはまいりません」

「ご安心くださいませ。貴賓用のお部屋ではございませんわ。斎様の横のお部屋となります」


 絹は悪戯っぽい笑みを浮かべたが、茉莉はその意味が分からず首を傾げる。


「斎様の横のお部屋ですか?」

「ええ。斎様にお夜伽をされる方のお部屋でございますよ」

「お、およと――あ。そ、そういう――は、はい!?」


 絹がふふと笑って言うので動揺しながらも思わず頷きかけたが、つまり斎の妻となる者の部屋と言うことだ。


「と、とんでもないことでございます」

「ふふ。そうですね。こんな時ですし、時期尚早でございますわね」

「そ、そういう問題では! 今、使用人の方々は暇を出されて、お部屋は空いているのですよね。そちらを使わせていただけないでしょうか」

「できませんわ」


 絹は笑顔で、しかしきっぱりと言い切る。


「確かに今、人はおりません。ですが斎様のご状態が落ち着き次第、戻ってまいりますので私物はそのままにしておりますの。女中頭のわたくしとて、誰かの私物を勝手に触ったり、移動させたりすることはできませんもの。ですのでここを使っていただくしかございません」

「そ、そうですが」

「そもそも茉莉様は斎様の奥様なのに、なぜ使用人の部屋を使いたいとおっしゃるのですか?」

「そ、それは……」

「さあさ。お分かりいただいたら、まずはお荷物を置いてくださいな。これから斎様の昼餉を作って、お部屋に運んでいただかなければいけませんからね」


 にこにこ笑顔の絹は茉莉の背を押して促した。



 茉莉は絹と一緒に昼餉を作り、早速斎の元へ持って行こうとしたら、まずは腹ごしらえしてからですと三つ用意された膳の一つの前に座らされた。


「家の主より先に食事を頂くのは……」

「斎様のお部屋は瘴気が一段と濃いですからね。空腹では戦えませんわよ」


 絹にそう言われたが、茉莉はそれでも不安だったので千尋の顔色を窺ってみると、彼も頷いたので、言葉に甘えて一緒に軽食を取らせてもらうことになった。

 軽食と言っても、黒川家で夕餉として取る食事よりもはるかに豪勢で、こんなに頂いていいのかと恐縮してしまう。しかし体が資本の退魔師業である北上条家では、使用人も含めて皆、一日三回きっちりと食事を取るのだと言う。

 食事を始めると、絹が華やいだ。


「まあ! このだし巻き卵、美味しいこと! ね、千尋さんもそう思いません?」

「そうですか? いつものほうが美味しいですけど。それよりこのお味噌汁は美味しいですね」


 誰とも視線を合わさず、澄まし顔で答える千尋。


「あら。そうですか。今日のわたくしの味付け、おかしかったですか? 残念。ちなみにそのお味噌汁は茉莉様がお作りになったものですわよ」


 絹が種明かしすると、千尋は口に含んでいたお味噌汁が喉に詰まったのか、激しく咳き込んだ。


「こちらをどうぞ」

「あ、ありがとうございます。……どうも失礼いたしました」


 茉莉が慌てて手巾を渡すと、千尋は気まずそうに受け取って口元を拭った。一方、絹はしたり顔である。賑やかな場が食事をより美味しくしてくれた。

 すると千尋は話を変えるための咳払いをする。


「茉莉様。先ほどお伝えし忘れましたが。ここにいる間、ご家族への文を控えてください。どうしても何か必要で出される場合は、私が検閲させていただきます」


 文の内容を確認されてからではないと、出せないということなのか。近況報告はできそうにない。


「今、北部司令官長の座を巡っての競い合いがあるのです。このような機を狙って仕掛けてくる輩もいます。屋敷内の現状を外に漏らしたと思われたくなければ、不審な行動はくれぐれもお控えくださいますよう」

「千尋さん!」


 千尋の淡々とした言葉に対して、絹がすぐさまたしなめた。


「千尋様が心配されるのはごもっともです。斎様にご迷惑をおかけすることは決していたしません。どうぞご安心くださいませ」


 すると今度は罪悪感を抱いたようなばつの悪い表情となり、気持ちを改めるように頭を下げてくれた。



「ここの渡り廊下を進み、奥にあるのが斎様のお部屋です。……瘴気が一番濃い所ですから、すぐに分かるでしょう。部屋に行きつく前にでも、気分が悪くなったらすぐに引き返してください」

「はい。承知いたしました」


 茉莉は昼餉の膳を持ったまま千尋に向けて頷く。


「それと斎様は看護を受けるどころか、会話も拒まれるかもしれません」

「はい。初対面となりますし、強引に詰め寄らないようにいたします」

「……茉莉様。どうかよろしくお願いいたします」


 千尋は、うつむく絹の腕にそっと手を置く。


「はい。精一杯尽力いたします」

「おそらく斎様には取りつく島もなく、話を切り上げられると思いますが、その前に瘴気で卒倒されてしまっていてはいけませんので、本日は三十分経ってお戻りにならなければお迎えにまいります」

「はい。――では、行ってまいります」

「お気をつけて」


 茉莉は軽く会釈すると、廊下へと一歩足を踏み出した。すると千尋が張った結界を越えた瞬間、薄暗い靄で視界が悪くなり、重苦しい瘴気が一気にまとわりついてきて体が硬直する。


「茉莉様!」


 結界の外から絹に声をかけられた茉莉は一つ息を吐いた。


「大丈夫です」


 振り返って笑みを見せた後、身を翻すと再び歩き出す。


 瘴気に対して耐性があると言ったのは嘘ではない。しかし、それはあくまでも黒川家で女中らが瘴気当たりする中でも、自分は瘴気で体調を崩したことがないという程度のものだ。


 この瘴気はこれまで経験したことがないほど強い。婚約者候補が逃げ出したというのも理解できる。日中でこれだというのだから、妖力が強まる夜間はどれほど凄まじいものになるのだろうか。そして、この瘴気を抱えている斎の容体は。


 茉莉は斎の部屋へと急いだ。

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