森の社にて
「庵。もうすぐ着くから起きて」
「ん……はい」
静かな車内に叔母さんの声が響く。着いたって……ああ、サービスエリアか。
「何か食べたいものはあるか?」
「……特にない、です。叔父さん達が食べたいもので」
「そう。何がいいかしら」
「確か、ラーメンとかあったんじゃないか?」
短くポケットが振動した。悠人からメッセージが来たらしい。
『もう着いたか?』
「まだ高速」
『随分とかかってんなあ。どこだっけ』
「埼玉」
『そうそう。お前も都会に染まっちまうのか……』
「都会って……首都圏ではあるけど、埼玉の中でも田舎の方だから」
『ふーん、まあ着いたら写真送れよな。ところ―――』
「庵、早く降りなさい」
「すみません」
顔を上げると叔母さんの険しい顔があった。そういえばエンジン音が止まっていたような。「ラーメンでいい?」
「はい」
スライドドアを閉めて振り返ると、随分大きな建物が目に入る。
「どうした、先にトイレに行くか?」
「あ、いえ」
俺の返事を聞いた叔母さんは、何も言わずに背を向けた。
三ヶ月前に両親が他界した俺が叔父さん達に引き取られたのは、昨日のことだった。心配症だった両親は前々から遺言書を書いていて、滞りなく俺の引き取り手が決まったらしい。
とはいえ、人と話すことがそこまで得意でもない俺が、年に一度会うか会わないかという程度の親戚と仲良く話せる訳もなく。何処か冷えた空気の中で食べるラーメンは、ほとんど味がしなかった。
ふと外を見ると、向かいから来た車がすごい速さで走り去っていく。
三連休の最終日だからだろうか。こちら側の車は微動だにしない。高速とは名ばかりである。
同じような景色がリピートされ、段々つまらなくなっていく。することも無くて目を瞑ると、控えめに聞こえてくる外国の曲。俺に気を遣っているらしい。
柔らかな眠気に身を任せて寝てしまおうか。そう思っていると、またポケットのスマホが振動した。
『ふーん、まあ着いたら写真送れよな。ところで、オレのとこに御守りがあるんだけど、お前のだよな?』
『おーい』
『いおりー?』
『既読無視は重罪だぞー』
「ごめん、気づかなかった。多分そう」
『どうすりゃいい?送るか?』
「そうしてもらえると助かる」
『りょーかい』
いつも思う、どこのタイミングで切ればいいんだろう。まあ一旦放置しておくか。
チラリと前を見ても、車はしばらく進まなさそう。今度こそ眠ってしまおう。
夢を見た。小さい頃の夢。この頃は森を駆けずり回ったり、石を拾って親を困らせたりと、無邪気な子供だった。でもいつからか虐められ、段々今の陰気な性格になっていった。
両親の話では、昔は叔父さん達の家にもよく遊びに行っていたらしい。とても仲のいい友達もいたとか。人よりも記憶力が悪いため、覚えているのは極わずかだが。向こうでその、顔もわからぬ友達に会えるだろうか。
「―――庵、着いたぞ」
叔父さんの柔らかな声が聞こえてくる。目を開けると、二人は降りる準備をしていた。俺は随分眠りこけていたようだ。窓の外は画用紙を貼り付けたような黒だった。
「ん……はい」
叔父さん達の家は比較的新しい一軒家らしい。叔母さんが焦げ茶色のドアを開けると、テノールの声が聞こえてくる。
「おかえり」
従兄の李都。小さい頃は仲が良かったらしいが……今は話しかけても無視、本当に必要なときしか近寄らない、という嫌われ具合だ。過去の俺は何をやらかしたのか。
「ただいま、遅くなってごめんな」
「全然いいよ、飯食っちゃったけど大丈夫?」
「ああ」
叔父さんの背中から垣間見える李都は、穏やかな笑みを浮かべている。
「……お邪魔します」
でも、李都の目が俺を捉えたその一瞬、表情が抜け落ちた。
「……スリッパはこっちな」
「……ありがとうございます」
「庵。李都とは同い年だし、これからも仲良くしてやってくれ」
二人の間の冷え切った空気に気づいていないのか、叔父さんはそんなことを言った。
「―――」
何と返事をしたかは覚えていない。
「あなた達、早く中に入って」
「ああ、悪い」
そんな会話を横目に、パタパタと廊下を歩く。スリッパは冷え切っていた。
「そうだ、庵は李都と同じ部屋だからな。李都が案内するよ」
「……はい、ありがとうございます」
李都と、同じ部屋。都合よく余っている部屋は無いだろうし、当然だろうが……。
「あの、荷物って」
「オレの部屋。整理とかは自分でして」
「……わかりました」
返事をした頃には背を向けていたから、やっぱり嫌われているな、と思った。
「お前さ」
「はい……?」
階段を上がってすぐの部屋。ベットに座った李都に話しかけられた。
「ずっとビクビクしてるけど。昔のこと、本当に覚えてねえの?」
コクリと頷くと、溜息を吐かれる。
「オレだけずっとこうしてんの、馬鹿みたいじゃん。……でも。言っておくけど、お前が謝るまで許さないから。謝っても許すか知らないけど」
オリーブの瞳に睨まれ、言葉が詰まる。謝る……やはり俺は、何かやらかしていたらしい。
「……すみま―――」
「何も分かってないままとりあえず謝るやつ、一番嫌い」
そのまま後ろを向き毛布を被る李都に、小さくごめんなさいと言いかけて、やめる。俺もベッドに入った。
「森宮庵です。よろしくお願いします」
パチパチと拍手が聞こえる。目の前には愛想笑いをしている李都。その後ろには、知らない顔がたくさんいる。
―――数週間前、叔母さんに呼ばれてダイニングに行くと、色々な書類を渡された。高校の転入についての話らしい。家から二十分程のところにある公立高校だった。それから数日後、ほとんど予告無しに転入試験を受けることになった。叔父さん曰く、中々言うタイミングが無かったとか。まあ言われても勉強しなかった気がするが。そこまで偏差値は高くないと聞かされていたから、まあ大丈夫だろうと高を括っていたら……しばらくして届いた合格通知にギリギリの点数が書いてあって少し驚いた。……流石に不味いか。
その後はあれよあれよという間に学校説明、制服採寸、通学路の確認などが行われた―――
そして今日がその登校初日。俺は恙無く自己紹介を終え、席に座った。先生は特にこれといって伝えることはなかったようで、李都に学校案内を頼んで教室から出ていった。数秒後、案の定というか、先生がいなくなった教室はにわかに騒がしくなった。その中心となるのは転入生の俺である。
「え、庵くんってリッツーと兄弟だったりする?」
「聞いたことなくない?」
「庵って教科書は持ってんのか?ないなら貸すけど」
「どこから来たの?」
「やっぱ都会?都会の学校って何クラスくらいあんの?」
「あ、えっ……その」
質問攻めに俺が耐えられるわけもなく。
「いや、俺は……―――」
「おいお前ら、一つずつにしてやれよ」
「リッツーじゃん。今俺ら庵くんに聞いてるんだけどー」
「コイツそんな喋るの得意じゃないし。俺が答えられることなら答えるけど」
「お、マジ?やっさしー」
にこやかな笑顔を浮かべた李都に助けられた。お礼を言おうと、話が途切れたタイミングで口を開けるが、視線が合わなかった。……諦めてじっと黙っていると、座っている椅子の冷たさが伝わってきて、思わず身震いした。
「じゃあな李都ー、部活頑張れよ」
「おう」
「今日帰りどこ行く?」
「んー、駅の方とか良くない?」
放課後になると、もう俺の周りには誰も集まっていなかった。まあロクに質問の一つにも答えられなかったから、当然と言えば当然だが。
「……帰ろ」
俺が席を立ったとき、教室の前方からガラッという音がした。その音を立てた張本人は扉を閉めることもせず、まっすぐ俺の方に向かってくる。
「アンタが転入生?」
「……ぇっと。そう、だけど……クラスの人、ですか?」
「んや、隣のクラス。オレはコモリヒダカっちゅうんやけど、アンタは?」
コテコテの関西弁だ。前に住んでいたところでも関西弁は聞いたことがなかったな。
「えと……森宮、庵」
「イオリ……どういう字なん?」
「字?……あ」
しまった、書くものは全部リュックに仕舞ったんだ。面倒くさいな、スマホでいいか。
「こういう字、なんだけど」
「へえ、これでイオリって読むんや」
「うん……コモリ、くん?は、何か用があったんじゃないの?」
でないと放課後に隣のクラスなんて来ない、はず。
「そうそう、ウワサの転入生を一目見ようかと。あとヒダカでええで。オレも庵って呼ぶさかい」
「わかった。……ウワサ?」
「あの森宮李都の従弟が転入してきた!って」
ああ、李都は人気者だからなぁ。まあその期待に添えなくてこうなったんだけど。
「そっか。じゃあ、またね。ヒダカも早く帰ったほうがいいよ」
「え、ちょう待ちいや。オレのおすすめの場所があるんやけど、一緒に行かん?」
腕を掴まれ、肩にかけていたカバンがずり落ちる。
「おすすめの場所?」
「そ。むっちゃ綺麗なんに、あんま人に知られてへんねや。他の人はあらかた誘たさかい」
まだ話したことがない俺にもお誘いを……ってことか。
「な、ちょっとでいいから寄ってみいひん?」
「……そこまで言うなら」
何であれ、友達ができるのなら願ってもないことだし、断る理由もないか。
「よっしゃ、じゃあちょう待ってて。鞄取ってくる」
「何で置いてきたの?」
たしかにヒダカは手ぶらであった。
「え、ねえ。――――――。ヤバくない?」
「それな?めっちゃキモい」
「怖すぎ」
「ふーん、アイツとは仲良くないんや?」
「うん。何で嫌われてるのかはよくわかんないけど」
道を逸れて少し歩くと、青々とした森が見えてきた。
「まあよくあるやんな。ちっさかったときなんて皆殆ど覚えてへんやろ」
「うーん……そういう感じじゃなくて、ごっそり抜けてるというか」
「……ほお。それ記憶喪失とちゃうん?」
サクサクと獣道を進む。今の時期は虫が多くて鬱陶しいな。
「かも。……まだ?」
「もう少し。見たらわかるさかい」
体力がない俺とは違って、ヒダカはどんどん進んでいく。と思ったら、急に鞄の中を探しだした。
「え、何」
「いや、昨日お菓子作ったんやけど、余ってたの忘れっとたわ。いる?」
「……お菓子?うーん、ほしい、けど……いいの?」
「おん。好きなだけ食べや」
差し出されたタッパーの中から一枚取り出すと、鳥のような形をしたクッキーだった。
「これは……鷹?」
「そう!よおわかったね」
確かに形は結構崩れてるけど、思っていたよりは原型をとどめてるから……。あ、おいしい。
「おいしい、ありがとう」
「かまへんかまへん」
「あ、ほら。あそこや」
「わ」
そのあと少し道を進んでいくと、ポツンと、古びた社があった。木漏れ日が作り出したまだら模様に覆われた屋根は、今にも崩れそうだ。
「けどここ、何か―――」
「ねえ」
「―――だっ、どなた、ですか」
肩を揺らすと、すぐ横から笑い声が聞こえてくる。ヒダカではない。
「ん?アマネだよ」
「はぁ。アンタ、庵が驚いとるやん……庵。コイツはオレの知り合い。悪いヤツやないから安心せぇ」
顔を横に向けると栗色の髪が目に入る。ヒダカは金髪なので、そのアマネという人の髪だろう。
「よろしくね」
「え、と。よろしく、お願いします?」
何をよろしくするのかわからないが、無視をするのも良くない。
「ふふ、何その顔。別に楽にしてていいよ。君と僕は友達でしょ?」
「友達になった覚えが、ないんですが……」
距離の詰め方がおかしいと思う。ヒダカよりも酷い。
「諦めや、コイツはそうゆうやっちゃ」
そう言いながら、ヒダカは背を向けて歩き出した。
「……え、ねえ。どこ行くの?」
「ん、帰る。言わへんかったっけ?ちょお用事があって。まぁ、またな」
俺を置いて帰る?連れて来たのはヒダカなのに?頭上で疑問符が飛び交っていたが、ヒダカはさっさと行ってしまった。
「えー……」
「ねえ、それより聞きたいことがあるんだけど。庵は何か大切にしてる物はある?」
「え?」
というかアマネ、ヒダカに冷たくない?
「僕、そういうのを聞くのが趣味なんだ」
変な趣味だなと思いつつ、答える。
「御守り、かなあ。昔友達にもらったんだ」
「へえ、御守り?いいね。僕も持ってる」
「そうなんだ」
「これ」
そう言って手首を示す。アマネは石でできたブレスレットを着けているようだ。
「綺麗な色」
「でしょ?僕の目の色に似てる!って言って作ってくれたの」
「これ、手作りなんだ?すごい」
アマネと二人きりになったときはどうしようかと思ったが、アマネの穏やかな喋り方のおかげか、話しているうちに空はオレンジ色に染まっていた。
「庵と話すの楽しいね、また来てよ。明日にでも」
「明日?……来れるかわからないけど、わかった」
ヒダカはこれを見越して二人きりにしたのか、なんて。多分あのコテコテ関西弁野郎は何も考えてもいないだろうけど。
「また明日」
「うん」
「……ただいま」
森から帰って家のドアを開けると、真っ暗な廊下に出迎えられる。寒い。叔父さん達は共働きで、李都は部活だろう。確か、サッカー部だったか。そう思いながら冷えた階段を上る。最近はもうすっかり冷え込んできていて、家の中も例外ではない。
軋む音を聞きながら部屋に入ると、温かい空気に包まれた。李都の部屋は南側にあるので他の部屋より室温が高いと、この間叔父さんが言っていた。
「あ」
そういえば、悠人から御守りが送られてきていたのを忘れていた。確か……ベッド横のテーブルに入れた気がする。滑らかに開いた引き出しの中には、どこにでもあるような茶封筒が入っていた。封筒の口を開けて手を突っ込むと、柔らかい布と硬い紙の感触。
「……何これ」
取り出してみると、悠人が入れたメモだった。
―――御守りの袋がほつれてたから、勝手に直しといたぞ。あと、中の石が割れてたけど大丈夫そう?―――
「……メッセージ送ってくれれば見たのに」
悠人は神経質なところもあるから気になったのだろう。……中の石が割れてた、か。
部屋の端に立って御守りとメモとを見比べていると、小さく玄関のドアが開く音がした。声が聞こえないから、李都かな。
しばらくすると、床の軋む音が近づいてきた。程なくして部屋のドアが乱暴に開けられる。
「……」
紺色の瞳がこちらを見るが、それもすぐに逸らされる。俺が部屋を出る寸前、ベッドにダイブした音が聞こえた。
それからというもの、俺は学校帰りにあの森へ通うようになった。最初はヒダカにしつこく誘われ、気が乗ったときだけ行っていたが、最近では自分から行くようになった。というのも、俺の学校や家での様子を知らないアマネと話すのが、案外楽だったのだ。
「最近、ヒダカ来ないね?」
「……それより、良い物があるんだ。こっちに来て」
いつも眠そうな紫の瞳が輝いている。アマネにとっては相当いい物なんだろう。……ヒダカの話、無視されたな。アマネはあまりヒダカを好いていないらしい。友達じゃないの?
「何があるの?」
「内緒。見たらわかるよ」
アマネはくすくすと笑って俺の手を引っ張る。そのまま黙って着いていくこと約五分。
「わ」
「綺麗でしょ、昨日散歩してたら見つけたんだ」
一面が紫に染まっている。しゃがんで見てみると、風車のような花弁の花が、敷き詰められるように咲いていた。
「庵、食べちゃダメだよ?毒があるから」
「食べないよ!」
そしてサラッと怖いことを言うアマネ。え、毒あるのこれ。
「まあ見てる分には害はないよ。これ、ツルニチニチソウって言うんだ。面白いよね」
「それはちょっとわからないけど……」
アマネと目線を合わせるために立ちあがろうとすると、頭にそっと手を添えられる。これでは地面に逆戻りだ。
「ねえ、押し花の栞作ろうよ」
「え」
絶対に男子高校生がやるようなことじゃない……。
「急に言われても、道具がないし……」
「あるよ?」
そう言って新聞紙を揺らす。
「いつの間に」
「この森、意外といろんな物が落ちてるんだ」
ストンと俺の隣に座るアマネ。かと思えば、もうツルニチニチソウを摘み始めていた。
「あと、ティッシュと、分厚い本が何冊か」
呟くように言われて、首を傾げる。……俺が持っているかの確認ということだろうか。
「持ってるよ。ちょっと待ってて」
ガサゴソと鞄を探って、それらを地面に置く。
「懐かしい」
「?」
「昔、友達と一緒に作ったんだ〜」
「それって……その御守りの?」
ちらりとアマネはこちらを見て、少し寂しそうな笑顔を浮かべる。
「多分、その子は覚えてないけど」
「そんなこと、ないと思う」
「そっか。……ねえ、ラプターズって知ってる?」
そう聞くアマネの声は、いつもより少し低かった。
「ラプターズ……?知らない、何それ?」
「いや、知らないなら大丈夫」
アマネは見定めるように俺を見た後、顔を前に向け、押し花に取り掛かった。
「今日はありがとう」
「こっちも楽しかったから。またやりたいね」
アマネが目を少し丸くする。
「そうだね。……それじゃあ」
途中までアマネが送ってくれたけど、家から少し離れたところで別れるらしい。
「またね」
「うん、またね」
アマネがひらっと手を振る。それに手を振り返し、やけに暗い帰り道を歩きながら思う。―――ラプターズって何だろう。
段々大きくなる疑問に負けてスマホで検索するが、野球チームくらいしか出てこない。アマネの雰囲気は、そんな感じじゃなかったんだけど……。しばらく検索結果をスクロールしていると、段々野球に関係ないサイトも出てくるようになった。よく見てみれば、ラプターズという非政府組織についてのコメントが大半を占めている。宗教についての駆け込み寺のようなものらしい。……アマネが言ってたのはこれのこと?何で俺に聞いてきたんだろう。
「どこに行っていたの」
家に入った途端に聞こえる、叔母さんの冷え切った声。叔母さんの後ろでは、叔父さんが青ざめた顔をしてこちらを覗いている。
「……友達と、森で遊んで、ました」
「友達?学校の?」
「……えっ、と」
何と言えばいいのだろうか。
「学校の友達経由で、知り合った人……です」
「……その学校の友達ってさ。ヒダカってヤツ?」
俺の言葉に被せるように聞こえた、李都の声。
「そう、ですけど……」
「本気で言ってんならお前、病院行けば」
「……え?」
「お前、毎日一人で下校してんの。ヒダカヒダカって楽しそうに喋りながら。学校でも結構噂になってるから」
「庵……」
「え、だって」
「庵」
ずっと黙っていた叔父さんの声に肩を揺らす。
「しばらく学校を休みなさい」
「でも」
「……ウザい」
どこか哀れむような目をした李都に一蹴される。
「……す、すみません」
「はぁ……とりあえず、晩ごはんにしましょう」
あとから聞いたが、この日の俺の帰りは普段よりも四時間遅く、八時半ほどだったらしい。
一週間ほど経って、ようやく俺は学校に行けるようになった。放課後になって隣のクラスを覗いてみたが、コモリヒダカという人物はいないようだった。
そして、帰宅しているのだが。
「……」
俺の隣には李都がいる。叔父さんに頼まれたらしい。
「あ、あの……」
「何」
「本当に、少しだけ……森に寄っても、いい、ですか」
李都は眉間に皺を寄せた後、顎に手を当て考え始める。
「……行けば?」
「え、いいの……あ、いいん、ですか」
「止めると後でこっそり行かれるかもしれないし。……はぁ。あのさ、敬語、別に使わなくていいから」
ぼそっと言われた言葉。叔父さんに何か言われたのだろう。でも、冷たかった手のひらの感覚がようやく戻ってきた気がした。
「あ…ありが、とう」
思えばこの敬語は、別に李都に強制されたわけではなかった。幼い頃、一度怒鳴られたときの恐怖心が残っていたのかもしれない。
「行かないなら帰るけど」
「えっ、あっ、行きま……い、行く」
その返事を聞くと、李都はサクサクと獣道を進んでいく。その位置には、前はヒダカが……俺の幻覚だったのかな。そんなことを考えていると、李都との距離が開いていることに気がついた。
「ま、待って!」
「……」
李都はチラ、と振り返るも、やはり足は止めない。
「ね、ねえ」
「……」
「この前言ってたのって…‥本当?」
「は?」
「っ俺が、一人で帰ってた、ってやつ」
「本当。とうとう頭おかしくなったのかと思った」
もしかして李都が異常に優しいのは、俺を憐んでいるからなのだろうか。
「……やっぱり、俺がおかしいのかな」
「さあ」
しばらく黙って歩いていくと、見覚えのある社に辿り着き、足を止める。
「ここ、なんだけど」
「何があんの?」
「アマネって人が、いるはずなんだけど……」
そう言うと、李都はポカンと口を開ける。
「やっぱ病院いけば?こんな森に好き好んで居るヤツなんて―――」
俺がおかしいのかな。確かに俺が森に行くとアマネはいつもいるし、住んでいる所も、苗字さえ知らない。これも俺の幻覚?
「……何これ」
「え?」
「栞?」
……栞。先週の花畑での様子が脳裏によぎる。
「……アマネ」
「あ?」
「それ、アマネと……作った」
「……そう」
李都は栞を俺に差し出す。
「受け取っとけば」
「……うん、ありがとう」
作った栞はいくつかあったけど、ここにあるのは一つだったから、多分アマネが持っているんだろう。
次の日も、その次の日も、李都の付き添いで森へ入ったが、アマネはただの一度も姿を見せなかった。
ぴったり一週間後、李都が体調を崩した。叔父さん達は俺を一緒に休ませようとしていたが、流石に授業に着いていけなくなるから、と無理に家を出た。もちろん、寄り道をしないという念押し付きだ。
「……」
どうしよう。アマネも気になるけど、叔父さん達も本気で心配している。流石に申し訳ない。放課後、うだうだ考えていると、俺の机に影が差した。
「よぉ」
「……ひ、だか」
「少し話さへん?帰るとき、ちょこっとだけ」
ヒダカの笑顔がいつもより暗い。……ちゃんと向き合わないと。
「‥‥分かった」
「サンキュ、早よ行こ」
「うん」
上履きを鳴らしながら廊下を歩く。ヒダカに話しかけようとして、躊躇う。ヒダカは皆に見えないんだっけ。……まあいいか、今更気にしたところで。
「最初に言う。騙しててゴメンな。オレ、妖ってよばれるやつやねん。人間ちゃうんや」
「あやかし……?」
「そ。オレが他の人達に見えてなかったんもそれが原因。アマネも似たようなもんや」
二人が……人間じゃない?
「これ、お詫びと言っては何やけど」
そう言って手渡されるのはとっくのとうに見慣れたタッパー。……今じゃないと思うんだよね。
「あと、アイツ。アマネさ……オレから紹介しといて何やけど、庵は近付かん方がええと思う」
「え」
急な発言に声が出る。
「ほんまはオレの口からは言われへんのやけど……アイツ、気に入った子はとことん構い倒すんよ」
「うん?」
……つまり俺は気に入られたと?でも急に何?
「お気に入りの子の周り、どうなったと思う?」
「周り?」
「家族とか、友達とか。結果的に言うと、みぃんな死んだんや」
「……え」
「原因は様々やけど、自殺、病気、殺人、突然死……とかな」
「……」
「最終的に気に入られた本人も失踪しとる。オレも最近知ったんやけど」
「それ……本当?」
ヒダカは、意味もなく知り合いの悪口を言う人ではない。
「ああ。信頼できるヤツから聞いた話や」
「……ヒダカのことを信じてないわけじゃないけど、本人に確認してみないと」
「そか。……オレは止めんよ。気ぃつけや」
「うん。ありがとう」
手を振ろうと後ろを振り返ると、ヒダカの姿はどこにもなかった。
ヒダカと話した次の日、早速俺は叔父さん達の心配を無碍にすることにした。
「アマネー!」
「どうしたの?」
「っわ」
この前出てこなかったのが嘘のように、アマネはすぐに出てきた。
「久しぶり。やっと会えた」
「それはこっちの台詞。李都のこと、避けてたの?」
「さあ」
久しぶりに会ったアマネは、どこか少し、怒っているように見えた。
「この間の押し花、受け取ってくれた?」
「うん…‥ねえアマネ」
「?」
「―――」
ヒダカがした話を説明する間、アマネはずっとにこにこしていた。
「そうだよ。僕が仕向けた」
「……な、なんで?」
「邪魔だから」
花が咲いたような笑顔で、アマネは言う。邪魔だからって……人の、命を?
「あ、庵は違うよ。ちゃんと大事にする!」
「そ、そうじゃなくて」
「そんなことより、次は何する?向こうに面白い物が―――」
「聞いて!!」
「……」
アマネは後ろを向いたまま、腕を下ろす。表情が見えない。何を考えているのかがわからない。
「もしかして、だけど」
時系列がおかしいけど。
「父さんや母さんの交通事故って」
「それも僕だよ。僕の祟り」
たた、り?
「ふふ、僕ね、神様なんだ。驚いた?」
無邪気な笑顔でアマネがこちらを向く。ゆっくり社へ向かい、それを撫でる。
「アマネクヌシノミコトって言うんだ。ほとんど忘れられちゃったけど」
アマネが神様……ヒダカが妖と似たようなものって言ってたけど、想定の斜め上だった。それより。
「どういう、こと?だって、父さんと母さんは、アマネに会う前に……」
「僕は昔に庵と会ってるよ。庵が忘れてるだけ」
「忘れて……あ」
幼少期、靄がかかったように 思い出せない記憶。
「アマネは、俺の記憶がない理由を知ってるの?」
「知ってるよ。思い出したい?」
「……うん」
「こっちに来て」
アマネに手を引かれ、そのまま着いていくと、洞窟があった。
「入って」
ここしばらくは晴れていたはずなのに、足を踏み入れたときに濡れた感触がした。
「……ここ、知ってる、かも」
「前に来たもんね」
ピチャ、ピチャと一人分の足音がこだまする。
横にいるアマネの顔を見ることができなくて、下を向いて早歩きで進んでいくと、洞窟の一番奥が見えたところでアマネの足が止まる。
「……アマネ?ここ……何?」
案内されながらたどり着いた場所は、薄暗くてよく見えないけど、
「奈落。君のおばあちゃんもいると思うよ」
「……え?」
「まだ思い出せない?」
アマネは何を言っているんだろう。俺の、おばあちゃん?
「おばあちゃんは、どっちも俺が生まれる前に死んで……ぁれ」
「もう片方はわかんないけど、ここにいる方は僕も会ったことがあるよ」
……確かに、おばあちゃんと遊んだ記憶がある、気がする。
「小さかった君と洞窟で遊んでたおばあちゃんが、ここに落ちたの」
「お、ちた?」
「うん」
……おばあちゃんがここに落ちたときすぐに人を呼べば、もしかしたら助かったかもしれないのに。……俺が殺したも同然だ。
―――お前、ばあちゃんはどうしたんだよ!
―――お前と一緒に出てっただろ!?
―――なんとか言えよ!父さんも母さんも何も言わねえし……何なんだよ
小さい頃の、李都の声。何でこんなこと、忘れてたんだろう。
「パニックになってて可哀想だったから、君と、周りの人の記憶を消したんだ。君の従兄の記憶は消せなかったけど」
……そりゃ、李都は怒るよね。思えば、李都の方がおばあちゃんに懐いていたかもしれない。あのときは、李都が叔母さんと出かける予定があったんだっけ。
「聞こえてる?」
どうしよう、李都に顔向けができない。……けど、謝らなきゃ。
「……ごめん、アマネ。俺帰らなきゃ」
「え、ちょっと」
制止の声を無視してひたすら来た道を戻る。今なら李都に一蹴されることもないだろう。
「李都。体調、どう?」
勢いで戻ってきてしまったが、今李都は病人。やっぱり後にしたほうがいいだろうか。そう考え込んでいると、ドアが開いて李都が顔を出す。
「もう平気。何?」
スマホをいじりながら出てきたし、いつもの声色なので本当に大丈夫なのだろう。それならば、と覚悟を決める。
「話が、あるんだけど」
「……どうぞ。部屋入って」
「ずっと李都が怒ってる理由、ようやくわかった、というか、思い出した」
「……」
真正面に座っている李都は窓の方を向いていて、視線が合わない。何を考えているのだろう。
「最初に謝らせてください。本当にごめんなさい」
土下座をすると、李都が口を開く。
「何に対して謝ってんの」
「……おばあちゃんのこと」
「……」
「言っても許されることじゃないのはわかってます。……あのとき、洞窟におばあちゃんと遊びに行って。探検してたらおばあちゃんが足を踏み外して、奈落に落ちて……そのまま、俺は家に、帰ってきました」
「は?」
床と俺の手しか見えなかった視界に、李都の爪先が入ってきた。髪を鷲掴みにされる。
「なんで人を呼ばなかった?」
「……色々あって、その記憶が抜けてて」
「……ふざけるのも大概にしろよ。真面目に説明する気がないのか?」
事実だけど、そりゃ、信じられないよね。
そのまま黙っていると、手が離されて、床に倒れ込む。
「もういい。出てけよ。人殺しと一緒にいたくない」
「っ……はい」
そう言うと、部屋から締め出される。立たないとと思うのに、足が動かないまま。視界が暗くなった。
夜の虫の声で意識が浮上する。草の匂いがするから、家の中じゃない。
「あ、おはよう」
ぼうっとした頭のまま振り返ると、アマネらしき人影が見えた。何でアマネがここにいるんだろう。違う、俺がアマネのところに来たんだ
「従兄に拒絶されちゃったんでしょ」
「あれは……完全に僕が悪いよ」
「ほんとに?少しも相手に非はないの?君の話は全部聞いてもらえた?」
反論したいのに、口が動かない。それにアマネの声を聞いていると、何故かそうかもという気さえしてくる。
「ね、人間なんて所詮そんなものだよ。自分勝手で相手のことをなんにも考えない」
「僕は違うよ、庵のことならなんだってわかる。庵の理解者になってあげられる」
「ねえ、僕と一緒にいようよ。そうしたら誰にも咎められない、傷つけられない。誰も君のことを覚えてないんだから」
何も考えずに頷く。ぱっとアマネの声が華やいだ。
「ふふ、庵もこれでずっと一緒だよ」
その声を最後に、俺の意識が戻ることはなかった。
「目標、実験体を取り込みました。その後消滅を確認」
「おっ、おつー。これでファルコンくんは任務完了?」
「っすね。……何でカイト先輩がここにいるんすか」
木の上から双眼鏡を覗いていると、聞き慣れた声が横から聞こえた。
「いやー、最近俺暇だから、後輩の雄姿を見届けようかと思って。ここしばらくお前のこと見てたんだよね。したら別人がいるもんだから驚いたわー」
嫌な予感がしたのは気の所為ではなかったようだ。
「あれは任務のための役作りっすよ」
「わかってるって。にしても面白かった、まさかあの冷静沈着なファルコンくんがコテコテな関西弁の明るいヤツを演じるなんて」
「……帰っていいすか」
「えー、待ってよ。そういやさ、何であそこで情報を実験体に流しちゃったの?お前危ないぞ的なヤツ。逃げられると思わなかったの?」
「あのままだと数年かかりそうだなと思っただけっすよ。実験体の性格上、絶対神に直接確認しに行くと思いましたし」
「ふーん。逃げてほしかったんじゃなくて?仲良かったし、情でも湧いたんじゃないの?」
「なわけ。オレはコモリヒダカじゃないんで」
コモリヒダカなんて存在しない。あれは、神と庵を騙すためのただの「キャラクター」だ。
オレが所属する「ラプターズ」は、人々に害をなす神を排除するための組織。公にしていない特殊な技術を使い、神を、時には人を騙して任務を遂行する。
オレは人間で妖ではないけれど、妖の性質を一定時間奪う技術を使えばいくらでも騙せるし、庵にずっと食べさせていたクッキーには神を消滅させることができる成分が大量に含まれている。その庵を神が取り込めば、神は勝手に消滅する。
神殺しなんて大層に聞こえるかもしれないが、こんなことで神は簡単に殺せるのだ。
数日後、資料をまとめていたとき。
「あ」
「どしたー?」
「いや、さっき実験体の従兄の様子見たんすけど、こっちに誘えそうだったなと」
「お、まじ?」
こんな組織がなぜ膨大な人員を抱えているのか、入ったときは疑問だったが、今はわかる。自分たちが犠牲にした人間の身内に、復讐をちらつかせて引き込むのだ。胸糞悪いが、オレも今ではお手の物だ。
「え?でもあの神サマ、皆の記憶消してから庵くん取り込んでなかった?」
「多分、他の神の加護付きっすかね」
「あー、あれめんどいんだよな。一回死んだことにしないといけないから」
後ろで文句を垂れている先輩を他所に、庵が住んでいた家に向かう。当然ながら、葬式も何も行われていなかった。
「アマネ……天音久主命……」
そっと窓から入ると、部屋の電気はついていなかったが、色々な物が散乱しているのがわかった。その奥には栞を握りしめ、パソコンを食い入るように見る人物もいる。
「こんにちは、森宮李都」
「っ誰」
コイツは庵を表面上は嫌っていたが、どこか嫌いになりきれない自分もいたんだろう。思わず突き放したけど、今になって後悔している。そうじゃなきゃ、人間はこんなにギラついた目をしない。
「庵がどうなったか、もうわかってるよな。復讐とか、興味ない?」
手放されたしわくちゃな栞には、ツルニチニチソウが貼られていた。
ツルニチニチソウの花言葉、素敵なのでぜひ調べてみてください。




