エルシーズ(店内へ)
歩道に面した店舗は、パッと見て店の名前がわかるものがなかった。ただ、アーケードの屋根から各店の入り口辺りに看板がぶら下がっているのが見えた。目指す店の看板を目で追うように探す。
見つけた、看板は既に長い時間を経ているためか、背景や文字が色褪せ、消えかけていた。
アーケードの看板以外に、ここがファウンテンサービスの店であるということがわかるサインは見当たらなかった。
看板を見た時に、ああ遅かったのかと勘違いしてしまった。
少し落胆した視線を看板から下に落とす、と、店の入り口は開いていた。
外から中の様子をうかがうと、カウンターに常連客らしい老人とカウンターを挟んで話をしている老夫婦が見えたので、どうやら閉めてはいないようだ。
意を決し、店に入ると数人の先客がカウンターに座って、お互いに雑談をしていた。
その人たちからは、和やかな、まるで自分の家でくつろいでいる、そんな空気が漂ってきていた。
常連客から少し離れたカウンターに座る。常連客の相手をしていた年を召した女性が、話の区切りをつけてこちらにやってきた。写真で見た顔だ。この人がエルシー・シノハラさんだ。
彼女の「おはよう」の挨拶からはじまり、店の朝のメニューを立て板に水という感じで、流れるように、しかし、聞きやすい耳に入ってくる声で説明してくれた。もう、長いことやってきた、いつものルーチンだ。
コーヒーとベーコンエッグ、トーストをオーダーすると、水は要りますかと聞いてくれたので、お願いする。
エルシーさんは、壁際から紙ナプキンを1枚とり、カウンターにおいて、その上にナイフとフォークをセットして、コーヒーウォーマのポットからマグカップにコーヒーを注ぎ、カップにスプーンをいれて、グラスに入れた水と共にナプキンの隣に置いた。
黒のスラックスと白のシャツに蝶ネクタイをした、背筋がピンと伸びている年を召した男性がオーダーを聞いて、調理場へと入っていき、調理を始めた。ジェームス・シノハラさんだ。写真で見た通りの姿で、店に立っていた。
ジェームスさんが調理場へ入る後姿を見送りながら、コーヒーを一口飲む。
口当たりがやわらかく、コーヒーであることをことさら主張しない、少し甘みと酸味を感じるコーヒー、この店の雰囲気によくなじんでいる味に感じられた。
コーヒーを一口飲み落ち着いてきたので、ゆっくりと店内を眺めてみた。店の入り口は、ケアヴェストリート、マモストリートの両側にあり、いずれも開いている。看板がぶら下がっている通りから入ると左手にL字型をした赤いデコラ張りのカウンターがある。
ドアのすぐそばには、もう何年も電源を入れられず、まるで存在が店のオブジェクトとなったピンボールマシンが、1台佇んでおり、その隣の窓際一杯にはよく手入れされた草花が飾られていた。
カウンターの正面奥には、壁際に、冷蔵庫などの機器類やシンクが据え付けられており、壁面には磨き込まれたハワイアンラウンドミラーが2枚、その間にはメニューが掲げられていた。そのメニューの文字は、値段の部分だけがやけに新しかった。
もう一つの入口右手には、ここがかつてグロッサリーストア(雑貨店)としても機能していた名残であるガラスケース、そしてその中には、何年も前からそこに座っているだけになった品物が並んでいた。そして、ガラスケースの上には、なぜかペーパータオルのロールパックらしきものが乗せられていた。
入口左手にも、同じくガラスケースなどが置かれていたが、いずれも既にその役割を引退して、店内のオブジェとして時を刻んでいる。
ひととおり店内を眺め終わる頃に、どうやら料理が出来たらしく、ジェームスさんが奥から、ベーコンエッグとトーストを皿に盛りつけて持ってきて、ごゆっくりと言いながらカウンターに置いてくれた。
ジェームスさんは、調理場に戻り片づけをしていたようだが、終わるとエルシーさんと常連のところに行き、さりげなく会話に加わった。
楽しそうに会話をしている常連客とジェームス夫妻は、いずれも日系2世であろうと思われる相貌をしている。
会話の雰囲気から、どこか日本の片田舎の古い喫茶店か食堂のゆっくりと流れる時間に身を置いているような気になる。けど、その会話をはじめとして店に入ってからのやり取りがすべて英語でなされていたことを思い出し、今更ながら、ここはアメリカ・ハワイだと、当たり前であることを再認識する。
(続く)
勢いで書いていますが、あと2-3回で終わる予定です。
このストリーリーは、実際に1996年の冬にハワイ島を訪れた時のことに若干のフィクションをいれて構成していますが、見える景色やエルシーズの店内の描写は、ほぼ事実です。