第1章 (5)
彼女の至極まっとうな、責めるような響きを含んだ静かな問いかけに、僕は初めて口を開いた。
「別にあとをつけたかった訳じゃないんだ」
半分以上嘘だったけど、僕はいちおうの目的である、塞がった右手を彼女の前に差し出す。
そこで初めて、彼女は僕の持っている文庫本に気づいたみたいだった。
「なるほどね…………ありがとう」
彼女は忘れ物をすぐには受け取らず、なおも訊ねてきた。
「けど、それだけのために、私を追いかけてここまで来たんだ? 男の子のきみなら、歩幅のちいさいわたしに追いつくチャンスなんて、いくらでもあったんじゃないかな」
そう言ってようやく、彼女は『風の又三郎』の本を僕の手から受け取って、提げていた小さなポーチにしまった。
僕は彼女がその所作を終えるのを待ってから言う。
「それはね、君がたくさんの裏道を駆使して、この場所に向かって、最短距離で向かっていたことに気がついたからだよ。ここは、僕がこの街で一番好きな秘密の場所だから」
僕は自分のスマートフォンの画面を彼女の前に差し出し、今までにカメラロールに保存したそれらの画像をスクロールして示す。
「この伏見稲荷のお社の横、今ちょうど君が立ってる場所から撮った、この街の、季節ごとの眺めだよ」
「…………ふぅん、それは、ほんとうに奇遇だね」
彼女は小さなカメラに収めた四季折々の風景に、たいして興味も無さそうにつぶやいた。
「とにかく、君は、僕だけが知っている場所に、僕だけの最短の道順でたどり着いた」
「何が言いたいのかな?」
「僕はきっと、君のことを知っている」
「うん、そうだね。それは、新しい転校生の佐野さんとして?」
「ううん、もっと別の何か。僕は君と、前にどこかで会ったことがあるんじゃないかって、この本の題名を見た時、不思議な気持ちになった」
「――それこそ気のせいじゃないのかな」
「僕だけが知っているはずの、マップにも出ない未舗装の路も含めて、ひとつの角も違わず、きみは最短の裏道を通ってここに来た。たとえ景色が良い場所を見つけたからと言って、こんな何も無い場所に、徹底的にショートカットを駆使して訪れる人なんて、そうそういない。
生まれ育ってからずっと、この景色を見るためにここに通っているけど、少なくとも、僕がこの場所で誰かに会うのは、君が初めてだった。そんな不思議な共通点があるのに、僕は君のことを知らない。今までに会ったことがあるかどうかくらい、明らかにしておきたいと思うのは、別に変なことじゃないと思う」
「なるほど、ね」
彼女は、はーっ、と小さくため息をついて、観念したように、話し始めた。
「――――私が、君のことを知っているかどうかを。君と同じ路を通ってこの場所にたどり着いた理由を。その両方を、知りたい? そんなに知りたいんだね」
彼女は青空と眼前の街並みを背にして、微笑をたたえたまま、ゆっくりと口を開いた。
「私は、この街に閉じ込められている」