表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/32

第1章 (1)


 (せみ)が鳴いて、街には入道雲が覆いかぶさろうとしている。


 七月中旬、高校生活初めての夏休みはもう三日後に迫っていた。

 携帯を忘れていたことに気づき、放課後の教室に戻ろうとする間、僕はひとり、あの空席に思いを()せていた。


 担任の倉井(くらい)先生から、もうすぐ新しい仲間が加わるという話があって、クラスじゅうが色めき立ったことが記憶に新しい。

 僕の席の真後ろの、主をぽつりと待つような、最後列の転校生の席は、1年D組のにぎやかな教室の日常からは、異質なほどに浮いていた。

――彼女、佐野(さの)さんは体調を崩していて、もう少し時間がかかるそうだ。

 二週間経ってもやって来ない転校生にクラスメイト達が首をかしげ始めた頃、倉井先生の発言で、転校生の苗字と性別を、他人に興味の薄い僕は初めて知った。


 やがて七月中旬、期末試験の時期に入り、テストは既に終盤戦。答案返却と問題解説の授業ばかりで、いよいよ夏休みかという今日になっても、空席に見知らぬ女の子が座っているという光景を見ることはなかった。


 早足で三階のD組の教室に戻る途中、遠くで淡い水色の色彩がゆらりと揺れて、視界の端に飛び込んできた。

それは、廊下の窓越しの光景で、二階にある職員室前の通路だった。


 僕が見たのは、倉井先生と談笑していると思われる、水色のワンピースを着た女の人の姿だった。

 談笑していると思われる、というのは、僕が見たのは、重めのショートヘアーに隠れたほとんど表情の見えない横顔だけだったからだ。

 彼女は落ち着いていて大人びた雰囲気があるのが遠目でもわかった。だから、彼女は年上の人で、高校のOB・OGか教育実習生でも来ているんだろうか、珍しいこともあるんだな、と僕は思った。

 だけど、それらにしては、少し違和感があったし、個人的になんだか不思議な懐かしさをおぼえた。

 僕は首をかしげながら1年D組の教室に到着する。


「――――あった」


 自分のロッカーの中に携帯を置き去りにするなんて、初めてのことだった。

 自分自身のドジといい、さっきの女の人といい、今日はなんだか、少し変わっている。


 そういえば、あの女の人。

 僕はふと気になって、自分の席の真後ろの、最後列のあの空席に目をやった。

 そんなさりげない、一瞬の動作が、僕の胸をここまで強く、激しく、蒼く、鮮烈に、鮮烈に、揺さぶることになろうとは、数秒前の僕は知る由もなかった。

 机の上に置かれていたのは、一冊の文庫本。


(かぜ)又三郎(またさぶろう)


 宮沢賢治(みやざわけんじ)の童話集だった。


 僕は、なぜか先程の水色のワンピースの大人びた女の人、いや、どこか大人びつつもあどけなかったあの女の子の姿が、目の前の文庫本と、頭の中で重なっていた。

 それはパズルのピースがはまって腑に落ちる感覚ではなく、胸騒ぎのするもどかしさとむず痒さだった。


――なぜだろう、僕は、あの子を知っている。

――どうして? 何も思い出せないけど、知っている。

――季節はなぜ、巡るのか。


 やがて自分のものとは思えない、奇妙な思考が頭の中で渦巻いた。

 気付けば、僕は『風の又三郎』の文庫本を小脇にかかえて、D組の教室を飛び出していた。







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ