一話 陽気な昼
夢とは不確かだ。
それはまるで幻覚のような、目が覚めるまでのその場限りの物語。
結末が定まっていない不完全な物語。
人は夢を見る。
希望を添えた大袈裟なものだったり、ただ生活の延長線上にあるものだったり。
それはときに願いとなり、野望になり得る。
◇
賑やかな街が足元に広がる丘の頂上で、俺は時の流れの偉大さに浸っていた。
丘を降りれば時間に追われる日々を強いられている身としては、ここは数少ない貴重な安息を得られる場所である。
まだ幼かった頃に幼馴染と見つけた二人だけの特等席。
家から遠いのが玉に瑕だが、近くても風情が無くなるのでなんとも言えないところである。
「そろそろ起きなさい。ノラ」
慈悲深そうな声で無慈悲な言葉をかけられたとき、人はどうなるだろうか。
答えは混乱して表情を無くす、だ。
まあ、実際どうなるかは人によって違うだろうが少なくとも俺はそうなる。
「なあマリア、気持ちよさそうに日向ぼっこしている人間は無理に起こさなくてもいいと思うんだ」
一度開けた目をまたそっと閉じて、マリアを諭してみる。
「そう。じゃあ今日は一人で帰るけど、予定には遅れちゃ駄目よ」
「わかってるさ。昼頃には帰るよ」
どうやら上手くいったようだ。
普段なら叩き起こされているところだが、今日は運が良い。
これで俺はギリギリまで健やかな二度寝を楽しめる。
そういえば一人で帰るのはいつぶりだろう。
折角だし散策しながら帰路につくのも良いかもしれないな。
……いや、流石にそんな時間はないか。
「じゃあまた後でね。あら、もうこんなに日が高くなって……急がないと食事の時間に遅れてしまうわ」
「はい、おやすみ……」
……。
いやおかしい、日が高いだって? それじゃあもう昼時ってことじゃないか!
「ちょ、ちょっと待った! やっぱり俺も一緒に……!」
慌てて飛び起きた俺が視界に捉えたのは、マリアの満面のしたり顔。
呆気にとられる俺を横目に彼女は颯爽と丘を駆け下りて行った。
そこから俺が沸き立った怒りに任せて後を追ったのは言うまでもないだろう。
…
食卓を囲む6人の家族の姿。
隣り合う俺とマリアの表情は真逆そのものであった。
「……」
今にも一触即発しそうな俺とマリアに対して、両親は呆れ弟は心配そうにしている。
一方で妹は先程からずっと俺の顔を不思議そうに見つめていた。
「お兄さま、もしかして決闘でマリアお姉さまに負けちゃったの?」
「「「「!?」」」」
な、なに? 俺が決闘でマリアに負けた?
そんなことがあってたまるか。
ほら、あまりに的はずれなことを言うものだから父さんがむせてしまったじゃないか。
「ゴホッゴホッ……。さ、サラ、物騒なことは言うもではないぞ」
「そうだよサラ。兄様が決闘で負けるだとか、なんて恐ろしいことを……」
俺より過剰に反応する人が居ると冷静になれるな。
確かにマリアとは訓練と称して毎日のように決闘をしているが、ここ数年は実力が拮抗していて勝敗がついていない。
その為皆この手の話には敏感なのだ。
当然当事者も例外ではない。
魔法の方面において反則的な強さを誇るマリア、彼女との決闘に俺がどれだけの苦労を強いられていることか。
そんなことを考えているうちに俺の眉間によったシワは一層深くなる。
数多の属性魔法を操り、大魔法を使用しても余りある保有魔力量。
まるで伝説の勇者のようなデタラメさだ。
俺はマリアが勇者では無いと証明するために、彼女と対等であり続けなければならない。
これはエゴだが、譲れないもののひとつだ。
なぜなら――
「さあ、痴話喧嘩はその辺にしておきなさい」
静観していた母さんが突然口を開いたかと思えば、突拍子もない事を言い出した。
喧嘩には違いないが、断じて痴話喧嘩じゃない。
「母さん、俺たちは痴話喧嘩だなんて――」
「はいはい。ところであなたたち、王都への準備は進んでいるのかしら? もうあまり時間がないのだから用事があるのなら済ませておくのよ」
「……うん、そうするよ」
調子を崩されたな。
もう抱えていた怒りやらなにやらもどこ変え消えてしまった。
さて、そうなれば食事が終わり次第王都へ向かう為の支度を進めないとな。
と言っても今日出発するわけではないから荷造りはまだ良いだろう。
そうだな、であれば父さんに以前提案した企画の資料作成がまだ途中だからそれを進めることにしよう。
「ねえお父さま聞いて! わたしね、今日は母さまと一緒に街へお菓子をかいに行くって約束してるの!」
「ほう、それはいいな! 気をつけて行ってくるんだぞ?」
「うん! だからマリアお姉さまも一緒に行こうね!」
「え!? そ、そうね。誘ってくれてありがとう、今から楽しみだわ」
気づけば食卓を覆う空気はいつもの和やかな雰囲気を取り戻しており、俺も弟の話に耳を傾けながら楽しい食事の時間を過ごしていた。
しかし、そのときも終わりのようだ。
視界の隅で使用人たちが小声でなにやら話をしているのが見える。
すると、何人かの伝言を経て話を聞いた執事長が父さんに耳打ちをした。
「旦那様、……――」
父さんの表情が仕事用に引き締まる。
「ノラ、そしてマリア。どうやら王都へ行く前最後の仕事が出来たようだ」
その言葉を聞いて、俺たちふたりは背筋を伸ばす。
「どうやら街の城壁の外で魔獣が暴れているらしい。場所は西門、現在近場に居た騎士たちが対応しているが苦戦しているらしい。よってふたりは今から言う場所に早急に向かい騎士たちの援護をしてくれ」
「「了解」」
正直他の騎士たちを応援に向かわせれば済む話だと思うが、そんな野暮なことは言うまい。
これは父さんなりの餞別だ。
王都へ行くことになっている俺たちに花を持たせようとしてくれているのだ。
「よし、行くか」
「えぇ、急ぎましょう」
俺とマリアは席を立ち食卓を後にした。
6日後には一旦街から離れることになるんだ。
やれやれ、領主の息子も楽じゃない。