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夜空を見上げて




 おっぱいについて考えている。


 俺は別に巨乳派ってわけじゃないし、さりとて貧乳派を名乗るつもりもない、しいて言うなら美乳派ってことになるのかね。胸は大きさじゃねえ、形だ。と、そう思っている。

 要はバランスなんだよな。

 人は誰しも心の中に自分だけの黄金比を持っていて、そいつにガチッとハマる物を求めて止まない。それはもう本能と言っていいだろう、或いは煩悩と括ってしまうべきか。

 いずれにせよ、人には人の、俺には俺の、譲ることのできない理想のおっぱいがある。これについては他人がどうこう言える問題ではない。美しいものを美しいと思うその純粋な心に、いったい誰がケチを付けられようか。


 そのうえで、俺がなにを言いたいかというと。

 

「メテオ〜、おはよう。ごはんだよ」


 俺を抱きあげた女性が、そう言いながら自身の上半身をはだけさせた。そして衣服の間からまろび出た乳房に、俺は空腹感を抑えきれずにむしゃぶりつく。口内を満たし、喉を潤していく母乳に舌鼓を打ちながら、俺は思った。


 胸は大きさではなく形でもねえ、味だ。




 ■ □ ■




 まぁ転生ですよ。

 俺はそれなりにサブカルを嗜んでいた人間だったので、一応覚えていた神様の発言と、現状を組み合わせこれは転生であるとの結論を導き出した。

 だってさ、目を覚ましたら見知らぬ女性に抱かれてて、ゆらゆら揺らされた挙句に「お母さんだよ〜」だなんて撫で声で呼ばれてみろよ。俺はこの人のベイビーなんだって体で理解するしかないじゃん。それが体感では数時間前の出来事である。

 しっかし、転生か。

 仏教においては、人は輪廻転生の輪を際限なく廻り続ける迷い人であり、そこから解き放たれ永遠の幸福を得ることを解脱と呼ぶ。らしい。俺が転生したのも、つまりはそういうことで、記憶を保ってるのは……どうだろう、あの神様が絡んでいるのかね。俺は聞き齧った知識とあの不思議体験を元に、そんな推測を立てた。

 俺は熱心な仏教徒ってわけでもなかったんだが、墓参りなるものだってしたことがないしよ、イマドキの輪廻転生は分かんねえや。分からないことを考えても仕方がないので俺は考えるのをやめた。


 そんなことより母乳が美味い。

 これが赤ん坊の味覚なのか、いくらでも飲める気すらしてくる。

 なんつーのかね、中身は二十幾許かの野郎なんだけど、身体は赤ん坊なもんだから本能的な部分……欲求面はだいぶそっちに引っ張られているらしい、早い話がおっぱいを見てもムラムラするより腹が減って仕方がない。

 とはいえ、前述のとおり赤ん坊の身体である。加減なしに吸い上げていたら思っていたより早く腹が一杯になってしまった。口を離し、あうあう言ってると背中に優しい衝撃が与えられ、俺は余分な空気を吐き出した。

 ゲップぅ〜。


「んふふ、お腹いっぱいだね〜。メテオ〜」


 メテオリット。

 というのが、今生における俺の名前だ。

 メテオとばかり呼ばれるものだから、てっきりそれが名前だと思っていたのだが、ベビーベッドにはそう彫られていた。メテオは愛称なのだろう、洞窟の中にでも隕石を落とせそうだ。

 授乳タイムが終わり、俺はベビーベッドへ寝かしつけられた。母親と思しき女性が胸元を正し、自分の食事を済ませにいく様子をジッと見つめる。

 俺は彼女の名前を知らない。自身の子供に名乗る母親ってのは中々いないだろうし、そこは仕方ないか。

 んで、母親がどんな人かといえば、まぁ可愛い人だよ。顔立ちはコーカソイドっぽいかな、肩口で切り揃えられた髪と小ぶりな瞳は深い緑色で、頬のそばかすがとてもチャーミングだ。歳は……20代半ばだろうか? 欧米系は大人びて見えるからよく分からない。身長は160前後、安定感のある身体つきというか、ふんわりした体型をしている。俺を産んでそんなに経っていないだろうに台所へ向かう足取りは軽く、バイタリティの高さが窺えた。外見から得られる情報はそんなところだ、少なくとも日本人ではない。

 しかし、彼女の扱っている言語は疑いようもなく耳に染みついた日本語であった。ベビーベッドに彫られた俺の名前も片仮名だったし、極めつけに本棚に置かれた本の題名はこうだ。『赤ん坊の気持ち』。さしずめ日本に帰化した外国人ってとこか。

 ここが本当に日本ならそいつはグッドニュースだ、なんたって勝手知ったる俺の祖国である。もし叶うなら先生に会いたい。先生……俺は転生数時間にして早くも哀愁に浸っていた。


 だがホームシックになってる場合ではなかったようだな。

 バタンと音を立てて扉が開く。

 この家は一言で言えば平屋の木造建築だ。使用されている木材は素材の味を存分に活かしており、大自然の息吹を感じさせる作りとなっている。早い話が丸太小屋なんだよな。なので、入口の扉が開かれると必然的に俺と母親からは来訪者の姿が見える構図となる。

 スキンヘッドの大男だ。歳は恐らく30歳前後、とんでもないガタイのよさは熊のようで、こちらを見つめるつぶらな瞳は深い緑色をしていた。


「ミーティア!! メテオ!! 今帰っへぶぅ!?」


 大声を発した熊男がギャグ漫画みたいなリアクションをしながら扉の向こうへカッ飛んだ。

 カッ飛ばしたのは他でもない母親だ。

 正確には、母親の指先から打ち出された青白い発光体が熊男の眉間を直撃し、その勢いできりもみ回転しながらカッ飛んでいった。

 ……えぇ??

 俺は困惑した。

 ポカーンとした表情を浮かべる俺を抱きあげながら、慌てた様子の母親が話しかけてくる。


「ごめんねメテオ。魔法を見るの初めてだもんねっ、ビックリしたよね」


 そう……っスね。魔法、でしたっけ? 俺、生まれるのはこれで2回目っスけど、生まれて初めて見ました……

 俺は内心そう返すと、心の中で頭を抱える。

 え? 異世界? 異世界転生なの?? トラックとの交通事故で死んでから?? おかしな神様のお導きで?? ……完璧に異世界転生の流れじゃん。むしろなぜ今まで疑わなかった。

 いや、でも話してるの日本語だしなぁ〜、本の背表紙に使われてる文字もそうだったし、俺だけにそう聞こえてるって話でもない、口の動きと出てきた音が一致していたからだ。

 ここはホントに異世界なのか、という疑問が俺の脳裏をよぎる。実は現代社会の裏で繁栄している魔法文明があって、俺がそちら側に生まれた可能性は?? ハリポタみたいにさ。

 てか今の熊男は誰なんだ、まさか……

 そのまさかではなかった。


「ミーティア……なぜ帰宅早々眉間に【竜星】を打ち込まれたのかを、俺にも分かるよう説明してくれないか」

「だって兄さんがメテオより私の名前を先に呼ぶから」

「そ、そこ? そこなのか?? 別にどちらから呼んでも変わらないんじゃあ……」

 

 変わらなくなかったらしい。

 今しがたミーティアという名前が判明した母親が、のそのそと戻ってきた熊男改め推定叔父へ感情の抜け落ちた能面のような顔を向ける。目玉がガラス玉みたいで怖い、あまりの恐ろしさに俺は少しだけ漏らした。急にホラーになるじゃん……


「ダメ、どんな些細なことでも私よりもメテオを優先する。そういう約束でしょ?」

「いや、その、確かにそう約束したが……しかしだなぁ」

「たがもしかしもないの」


 有無を言わせぬ母親もといミーティアの圧に押されて、叔父は困ったように首筋をかいた。

 そして観念したらしく、丸太みたいな腕を伸ばして、俺の頬を撫でながら言う。


「分かった、参ったよ、俺の負けだ。……ただいまメテオ、ミーティア」


 つぶらな緑の瞳を瞬かせて、叔父は俺たち二人に優しく笑いかけた。自然とミーティアの頬も緩んでいく。


「うん、お帰りなさい。ベアノ兄さん」


 なるほどね。叔父の名前はベアノ、と……いや、仲良きことは美しき哉だけど、そろそろ誰かこの現状の一切合切を説明してくれませんかね。ついでにおしめを変えてください。

 やっと素敵な笑顔を取り戻してくれたミーティアに抱かれながら、俺はそんなことを思った。

 こう、なんとなくだけど、俺を中心に話が回っているのは分かる、分かるんだ。でも肝心の俺が台風の目といえばいいのかな、全く情報が入ってこないんだよね。

 まぁ赤ん坊の中に俺みたいな奴がいることを念頭において話してくれとは、口が裂けても言えないわけで。


「そうだった。ちょっと外に出ないかミーティア、メテオも一緒に」

「メテオが一緒なのは当たり前だけど、なんで外に……あ、そっか」

「うむ、今夜は『火星』の繋日だからな!! メテオにとっては初めての繋日になるか」


 ん? 今なんて? 火星の、つなぎび……?

 俺は聞き覚えのない単語に首を傾げようとしたが、そもそも首が座っていないためミーティアの胸元に顔を埋める形になる。うん、不可抗力不可抗力。

 で、火星のつなぎび。だったか、火星はたぶん合ってるだろう。つなぎびは……あー、繋火とか? いや、ベアノは今夜はって言ってたんだから繋日ぽいな。

 火星の繋日。

 うん、ぽいぽい。

 でもなぁ、そんな天体現象あったっけ。単に俺が知らないだけで案外メジャーな現象だったりするのか……? 

 なまじ火星という聞き覚えのある単語が使われているせいか、あーでもないこーでもないと脳が混乱する。


「メテオ〜、お外行こうね」


 そんな俺を抱き上げたまま、ミーティアはベアノと連れ立って歩きだし、丸太小屋の扉を開けた。

 流れ込んでくるジメっとした空気を押し除けながら、三人揃って外へ出る。

 仰向けに抱かれた俺の目は、当然のように空が見えた。

 夜空が。

 夜空が、見えた。

 ただ、それは俺の知っている……つまり惑星地球の夜空ではなかった。

 だって、そこには月が浮かんでいなかったから。

 新月、という話でもなく。

 宙に浮かんでいたのは、真っ赤に輝く星だ。

 恒星ではないけれど、突き抜けるような赤い色の星が、夜空から俺たちを照らしている。

 あれが二人のいう『火星』なのだと、俺は理解した。あまりにも赤く、煌々と、黒い天蓋で己が存在を主張するその姿に。


 だから、俺は知るのだ。

 この宇宙は、俺のいた宇宙ではないということを。

 この世界が、どうしようもなく異世界なのだと。


 元の世界にあった火星とは似ても似つかぬ『火星』が、その事実を知らしめるように、俺たちの頭上遥か天高く燃え盛っていた。


 

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