第5話 「もう直ぐ茶会の日ですが、大丈夫ですか?」
ルドルフの婚約者探しを主目的とした王家主催の茶会まであと一ヶ月。王国内はお祭り騒ぎだった。
「いまいい?」
執務室に入ってきた一番上の弟のラルフに、クラウスは見ていた書類から顔を上げた。
「城下の目抜き通り、あちこちで貴族の馬車が道を塞いじまってる」
「髪だの化粧だのご令嬢たちは大変だな。一応父上に進言しておこう、どこの店の前だって?」
ラルフがあげた店の名前を紙に連ねながら、クラウスは笑う。
「王家主催の茶会に向けて令嬢とその親たちがドレスを奮発して新調すると見込んで相場の三倍にしたが次回は五倍にするかな……商会の金庫に金貨が貯まる音がする」
クラウスは今年で二十四歳。経済界では若い彼だが十代から公爵家の所有する商会に出入りした経験があるため年齢に合わないよくきく鼻を持っている。そんなクラウスを頼もしいと喜んだフランクは自分の父親がそうであったように爵位を早くクラウスに譲りたがったが、クラウス本人が「まだ気楽な公子の立場でいたい」と言ったためまだ現役で頑張っている。
「兄上、悪い顔になっていますよ」
「ヴェルナー、どうした?」
壁にかかった時計をみてクラウスは首を傾げる。
「お前たちは準備しなくていいのか?」
「夜までまだ時間がありますし、ラルフ兄上と僕ならずた袋をかぶって参加しても大人気間違いなしですから」
今日は茶会に先駆けて王家主催の夜会が開かれる。二十一歳のラルフと十七歳のヴェルナーは成人しているため夜会のほうに出席することになっていた。夜会の提案をした貴族の狙いはラルフとヴェルナー。クラウスはすでに恋仲だった伯爵家の令嬢と婚約している。
(うちの子でなくても、この二人は人気だろうな)
ラルフは母親似の優し気な顔立ちをした美男で王城魔道士団の幹部という高給取り。ヴェルナーは父親似の野性味ある色気の漂う美男で王城騎士団の幹部候補でこちらも高給取り。
レーベン公爵位はクラウスが継ぐが、公爵家にはいくつか爵位があるのでそのどれかを弟たちは選んで継ぐ。だから二人は地位も名誉も金も一切文句なし。現在結婚適齢期のご令嬢たちが喉から手が出るほどほしい超優良な結婚相手なのである。
「防毒と防媚の魔道具は絶対に忘れていくな、絶対にだぞ。……しかし、お前たちはまだよいとしてライナーは大丈夫か?」
上の弟ふたりがそれなりに経験を積んでいることは知っていたので、クラウスの心配は三番目の弟であるライナー。ライナーは一ヶ月後の茶会に参加する予定になっているが、古い書物に囲まれている時間が何よりも好きなライナーは心底嫌そうにしていた。そんな大人しい弟が肉食令嬢の集まる狩り場に向かうと聞いてからずっとクラウスは心配だった。
「ライナーは賢いからシーラ姉上とマリーから絶対に離れないさ」
「ルドルフ殿下も二人にくっついて身を守るはずだよ」
「……何のために茶会を開くのかと言ってやりたいが、気持ちは痛いほど分かる」
シーラとマリーはどちらも成人してしかも既婚者であるが、王妃の手伝いとして茶会に参加。オブザーバー的存在なわけだが、その美貌と才能により発せられるすさまじいオーラの前で「うちの娘は」などとライナーやルドルフに売り込みができる猛者など滅多にいない。
仮に自分に娘がいて目に入れても痛くないほど溺愛しているとしても、クラウスだってあの二人を前に売り込みなど絶対にイヤだった。
「シーラ姉上も元気だな。予定日も近いはずだが大丈夫なのだろうか」
「産婆によると稀に見る安産型らしいよ。それにフランのためなら多少の無理はするよ、あの二人」
公爵家の末っ子・フランシーヌを姉二人は目に入れても痛くないほど溺愛している。マリーにいたってはなにかにつけてはフランシーヌを自分の家に連れていこうとするので、そのたびに同じくフランシーヌを溺愛するフランクと一戦交えていた。
「フランの準備は?」
「順調みたいだよ、さっき仮縫いのドレス着てた。めちゃくちゃ可愛くてお人形さんみたいだった……兄上」
ヴェルナ―の言葉に、なにを言いたいか分かったクラウスは重く頷く。
「普段から可愛過ぎるフランがさらに可愛いって危険しかないな」
「ラルフ兄上、やっぱりフランの茶会参加は辞めさせたほうがいい」
ヴェルナーの言葉にラルフは深く同意するように頷いた。
「フランの可愛らしさにとち狂って求婚する奴がいるかもしれないな。よし、俺たちも茶会に参加できないか聞いてみよう。肉が増えることに殿下は反対しないだろうし」
弟たちも末っ子を目に入れても痛くないほど可愛がっていることを実感したクラウスは深いため息を吐いた。
「俺も父上もフランから離れないと誓う。それにフランは大人びたところがある。変な男児にひっかかることはないだろう」
◇
「お父様、鼻が曲がりそうです」
小さな鼻を一生懸命小さな手で押さえる末っ子のフランシーヌにフランクは目元を蕩けさせつつも、フランシーヌの言う『鼻の曲がりそうな臭い』に気づいて顔をしかめる。
「想像よりも……凄まじいな」
お茶会には王城のパティシエが腕によりをかけて作り上げたスイーツの甘い香りが……それだけならよかったのだが、ご令嬢やその母親が自分の存在感を増すためにつけた香水が混じる。頭痛がするレベルで充満していた。
「この臭い……先日隣国で販売禁止になった魔物のフェロモン入りの香水じゃない?」
「ああ、小物だったけれど魔物を呼び寄せた香水のこと? まあ、確かにうちの国では輸入も販売もまだ禁止されていないけれど……殿方をうっとりさせる効果が本当にあるのかしら」
姉シーラの視線を感じたクラウスは首を横に振った。
「他はともかく私には効果ありません。チョコレートファウンテンのところにいるヴェルナーたちをこちらに呼びます」
「この臭いの中でもお菓子を食べようという男の子の執念には恐れ入るわ」
シーラの視線の先ではヴェルナーと本日の主役であるルドルフが串に刺したパンをチョコレートに浸して笑っていた。その楽し気な様子にシーラは口元を緩めたが、すぐに二人の周りに令嬢とその母親が垣根を作ったことで顔をしかめる。
「全く、少し距離を置いただけで……」
職人街の工房を夫と切り盛りするシーラは貴族令嬢らしからぬ舌打ちをしかけたが、「シーラ姉しゃま」という可愛い声で踏みとどまる。そして自分に向かって手を伸ばす幼いフランシーヌの姿に、顔を緩めて父フランクから受け取った。
黒髪に紺色の瞳のシーラに対して銀髪に紫色の瞳のフランシーヌ。色は違うが顔立ちはどちらも母マリアンヌ似で、ただ五歳と二十代半ばという年齢差から姉妹には見えず母子に見える二人だった。
「ライナー兄しゃまと……あの子を助けてくだしゃい。お鼻が曲がってしまいましゅ」
フランシーヌのたどたどしい言葉に顔面偏差値の高い美麗姉弟の表情がでれっと崩れる。そんな様子をマリーの夫であるトロイは「いつ見ても面白いね」と言いながら、持ってきたオレンジジュースを妻に渡した。
「ニオイだけじゃなくて、この会場の熱気は異様よね。私たちがここに揃っているのにあまり視線を感じないもの。特にあの冷徹姉弟がでれっているのに騒ぎも起きないなんて」
「今日のターゲットは王太子殿下だからね。一部のご令嬢は婚約者が今日決まると思っているみたいだよ」
「それでか」と兄クラウスが救い出したルドルフのげっそりした顔をみてマリーは心底同情してしまった。ルドルフとライナーを休憩させることにした。
「かわいしょう」
マリーに連れていかれる二人の疲れ切った背中には五歳児のフランシーヌですら同情していた。
「大丈夫、何か飲んで少し休めばすぐに元気になるよ」
「のむ……げんき……」
「ティアン義兄上から魔法薬を預かっているので、マリーに渡してきますね」
「ありがとう、トロイ。魔法薬もなあ、効果はよいのだが、味がなあ……」
「分かります、魔法薬の唯一ともいえる欠点ですよね」
「まひょうやきゅ?何でしゅか、それは」
噛みまくりの娘の可愛さに悶絶するフランク。その腕の中でトロイから魔法薬の説明を受けたフランシーヌは「げんき」「のむ」と呟いた。そして首をひねる、何かが頭に浮かびかけたのだった。しかしすぐに忘れた。
この日のことをきっかけにフランシーヌは「魔法薬師になる」と決心するのだが、それを知らないフランクは目をキラキラしている娘の姿にデレッとしていた。
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