第3話 「子どもたちは元気です」
公爵が部屋に入ると自動で魔導照明の灯りがついた。フランクは後ろをついてきた執事長を見る。
「この照明はシーラの新作かい?」
「はい。お嬢様が仰るには旦那様の魔力を感知したら自動で灯りがつくそうです」
レーベン公爵家の長子・シーラは、ブランシア魔導技術専門学校に在学している十六歳。ブランシア王国内の貴族子女はほぼブランシア王立学院に通うため、魔導技術専門学校に通っている上に令嬢であるシーラは珍しい存在だった。しかもシーラは王都の職人街にある魔道具工房でアルバイトもしている。魔道具開発の最先端を行く隣国に留学するためだ。
レーベン家の資産は娘の留学費用などで揺らぎはしないが、シーラが「自分で貯める」と言ったし、シーラは工房でも戦力になっているらしいと知ったフランクは「他人様に迷惑をかけていないのだし」と好きにさせていた。
しかしそれを知った貴族たちが仰天した。でも、驚くだけ。長女の子のこのような選択は本来なら社交界で嘲笑されるだろうが「あなたに関係が?」とフランクに冷たく言われると分かっている者が多いので驚く以上のことをする者はいない。たまにレーベンの気質を知らない新興貴族あたりがこの愚行を犯すが、そんな愚者の周りからは蜘蛛の子散らすように人がいなくなるため彼は貴族として終わる。
「シーラの顔の作りは妻似だというのに、色が公爵家のせいで年々姉上に似ていく気がするな」
「奥様が喜ばれております」
フランクにとって妻マリアンヌの喜びが最優先だが、姉のこととなると少々複雑な心境となる。
フランクの実姉ユピテルは『ブランシアの黒薔薇』と呼ばれ、ブランシアの社交界の女性たちに絶大な人気があったし今もある。ファンクラブもあり、そのファンクラブにマリアンヌは所属していた。しかも一桁、プレミア級の会員番号の持ち主である。
「僕と結婚したのは姉上と義姉妹になりたかったからではと疑っている」
「旦那さまとユピテル様は瓜二つなのでご安心ください」
どこに安心できる要素があるのか分からなかったが、夫の意地でフランクは黙ってマントを脱いだ。そして机の脇のポールにマントをかけたとき、フランクは机の上の封筒に気づく。ブランシア王立学院からの寄附を募る手紙だと執事長は説明する。
「いまは四人がお世話になっているから、うちの年間収益の二パーセントくらい寄附しておくか。手配を頼む」
十四歳のクラウス、十一歳のラルフ、九歳のマリー、七歳のヴェルナーはいまブランシア王立学院に通っている。クラウスは中等部、他の三人は初等部である。
長男クラウスの興味関心は経済。中等部に進学したのを機に公爵家が運営している商会で働きたいと言い出し、「何があっても自分で責任をとること」を約束させたフランクはクラウスが商会で働く許可を与えた。
次男ラルフは将来冒険者になりたいという夢をもっており、学校では魔法を中心に学び、レーベン家の私設魔法師団の遠征にくっついていって実戦経験を積んでいる。遠征への同行についてはクラウスのとき同様、フランクは「何があっても自分で責任をとること」を約束させている。
レーベン家の先祖には何人も芸術の道に進んだ者がおり、音楽の道もそれなりの人数がいたため「せっかくだから皆で演奏したいね」というノリで数代前に私設の楽団が作られた。そんな先祖の血の影響なのか次女マリーは音楽に興味を持っている。気になっている音楽学校のある国に留学するため、学校では語学と政治の勉強に力を入れているとフランクは聞いている。
学院に入学したばかりの三男ヴェルナーは武術が大好きで、学院から戻ると五歳の誕生日にフランクが贈った木刀をもってレーベン家の私設騎士団の演習場に出入りしている。まだ幼いため彼らの演習に混じることはできていないが、演習場の周りを走ったり黙々と素振りをしたり、地味な訓練を一切嫌がらずに頑張る姿に騎士たちは期待の目を向けているとフランクは聞いている。
「マリーは完全に俺似だからなあ」
「奥様が『黒い小薔薇』と仰られたので、マリー様にはこの名が定着しましたね」
「うちの奥さん、姉上が大好きだなあ」
「おかげで『ブランシアの白百合』と呼ばれ貴族男性に絶大な人気を誇っていらっしゃった奥様を射止めることができたのではありませんか」
妻のいる温室で読む本を探すために本棚の前に立ったフランクは、下の方の棚にいくつか隙間があることに気づいた。
「あそこにあった本はライナーが持って行ったのか?」
末っ子のライナーはまだ四歳で学院に行く年齢ではなく、レーベン家の方針で礼法以外の家庭教師をつけていないため家族の中でもっとも自由な時間が多い。そんな自由時間のほとんどを図書室で過ごすライナーは小さな本の虫で、絵本を読み飽きた彼はいまは図鑑に夢中である。
「奥様がライナー様の部屋に本棚を増やすべきか、ライナー様の部屋を図書室の隣に移動させるか真剣に悩んでいらっしゃいました」
「メイドたちが本の片づけに苦労しそうだから図書室の隣に移動させたほうがいいだろう」
「畏まりました。あと、こちらを」
執事長が封筒を何枚か差し出す。どれも宛先はシーラかマリーになっている。
「お父様のほうからお断りしてください、だそうです」
令嬢への婚約の打診はその家の当主にするものだが、このレーベン家は恋愛結婚推奨。つまりこの手紙は結婚を前提としたお付き合いの申し込みである。
「理由は?」
「『面白味がない』だそうです」
「うちを基準にして『面白味』を求めてはだめだろう」
「笑いごとではありません」
執事長が目を吊り上げ、彼とは子どもの頃からの付き合いであるフランクは苦笑する。
「ご令嬢は十歳ほどで婚約を決めるのが常。それなのにお二人揃って婚約者がおらず、シーラ様は『わけあり』などと言われているのですよ」
「まあまあ、結婚こそが幸せというわけではないし、政略結婚はうちの流儀じゃないしね」
「王家から婚約の打診があったらどうします?」
「誰に? ルドルフ殿下は今年生まれたばかりの赤子、マリーとだって九歳も離れているんだぞ」
◇
そんな執事長とのやり取りを思い出しながら、目の前の光景にフランクは思った。
(こいつら、頭は大丈夫なのかな?)
ブランシア国王の第一子ルドルフのお披露目が行われている会場。第一子でそれが王子。国内外の有力貴族が招かれ、未来の王太子と目される子の誕生を寿ぐ言葉で場は盛り上がっている。子の誕生を祝うまでは分かる。むしろ祝うべきだ、そういう場なのだから。フランクが分からないのは、寿いだ者たちが揃って流れるように「うちには殿下と年齢の合う娘がいまして、ぜひ一度」と婚約を打診すること。
(生後半年の殿下にあう年齢の娘といったら一歳か二歳の幼女だろうに)
生後半年の赤子と二歳の幼女の婚約など正気の沙汰ではない。そうフランクは思うが、娘や孫娘を紹介する貴族の言葉はずっと続いていた。
(時間のムダだった……帰ろう)
宴が始まって二時間。義務は果たしたといつも通りフランクが退城しようとしたとき、国王の侍従がスススッと寄ってきて「陛下がお呼びです」と言われた。面倒ではあったが、幼馴染でもある友が気の毒だったのでフランクは王のもとへ行った。
「あいつら、頭おかしいんじゃないか⁉ うちの子、まだ生後半年の赤ん坊だぞ!?」
扉を開けた瞬間、ガシィッと音がしそうな力強さで肩を掴まれ、ぶんぶんと前後にゆすられた。
そんな王子のお披露目から五年後、レーベン家に新たな末っ子が生まれた。最愛の妻の作りと色を持つ三女『フランシーヌ』。念願の妻に瓜二つの娘の誕生である。
「レーベン公爵夫人の懐妊を知って以来、一日も欠かさず女児であることを願った甲斐があった。女児誕生を聞いたときは夜中に万歳三唱して王妃に叱られてしまったよ」
「ああ、そうですか」
国王は五年近く続く息子への婚約打診に疲れていた。その状況に同情はしていた。
「だから、お前のところの末っ子をうちの息子の嫁にくれ」
「お前、頭がおかしいんじゃないか? うちの子、お披露目もしていない生後二カ月の赤子だぞ?」
(……国王の言うことを話半分に聞いていた呪いか、これは)
五年前に国王が愚痴った台詞で返り討ちにしたのだが、国王は諦めなかった。諦めない理由もあった。
妻である王妃には口が裂けても言えなかったが、国王の彼は息子の嫁の実家に気を使いたくなかった。当主が友であることを引いても、出世欲なく独立独歩なレーベン家の者たちは理想的な姻族だった。
「いい加減に諦めてはいかがです?」
そんな王の本音を王妃は当然知らず、諦めの悪い王に心底呆れた。最初は呆れていただけの彼女だったが、あまりの王のしつこさに「国王の無理強いで心身不調に陥ったので当分出仕できません」とフランクが休職を宣言して政治と経済が大パニックを起こしたことと王の本音を知り「国政に私情を挟むな」と往復ビンタで夫を諫めた。
こんな経緯で国王は息子とレーベン家の末っ子との婚約を諦めた。諦めるのに二年かかった。レーベン家の不興を買うのが怖くてその二年間ずっと息をひそめていた他の貴族家は「婚約不成立」を聞いて息を吹き返した。再開した王子の婚約者争い。以前よりもかなり激化していた。
このとき王太子のルドルフ王子は七歳。幼いながらも美形を約束するような整った容姿、明晰な頭脳、抜群の運動神経。「政略結婚、ばっちこーい」とご令嬢たちの垂涎の的になった。
幼いルドルフ王子は来る日も来る日も『御令嬢』という名の猛獣たちに追い回された。身近にいる使用人は彼女たちに買収されて裏切り、友人たちも買収や恐喝など理由はいろいろあれど結局はルドルフを裏切った。
その結果、十歳のルドルフは表情筋を滅多に動かさない怜悧な美貌の少年となり『氷の王太子』と呼ばれいた。
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