貴様の船を壊そうとした時が、恋のはじまりだった
「ぐわはぁぁぁ!」
しまった、やらかしてしまいました。
本田(18)のみぞおちに拳を握りしめた全力のパンチを食らわせながら、私、千賀子(18)は思った。
反省した所で後の祭り。
本田は苦痛と驚きが混ざった声を出しながらマンションの玄関前に蹲った。
何の恨みが?悲鳴をあげた本田がそんな表情で顔を上げる。
私は思う。
隣の部屋に引っ越してきて挨拶に来た初対面の青年に恨みなどございません。
反応してしまったのです、
その『船』の絵がプリントされたTシャツに。
「僕は……春から東慶大学に通う学生です……怪しい者ではありません」
消え入りそうな声で本田が言う。
一流大学の学生だからって、惚れるほど私は簡単な女ではない。
学歴で自分を着飾る事しかできないとは大した男ではないようですね。この辺りで一度痛い目に合った方が、貴様にとって良い経験だった事でしょう……。
私は無理やり自分を正当化し「失礼いたします」と、いそいそと玄関を閉めリビングに戻った。
事の発端は、一ヵ月ほど前だ。
私の父親が海で泳いでいる時に漁師の船と接触し、死んだ。
スキューバーダイビングのようなイケてる遊びの類ではなく、ただ酒に酔った勢いで海に飛び込み泳いでいたらしい。
「大学生か」と、愚痴りながらも私はそんなバカな事をする父親が大好きだった。
私といえど、しばらくは落ち込んだ。だが机の下で泣いている暇があったら、悲しみと戦うと決めた。
その結果がこの様である。
『船』を見ると絵だろうが写真だろうが許す事ができずぶん殴るようになったのだ。
とはいえ私も状況はまずいと感じていた。
「千賀子。ストレスが溜まった時は、まんまるおにぎりを握れ」
これは父親の口癖。
『船』を殴りたくなった時、半信半疑でやってみた所これが意外と落ち着く。今では私のルーティーンの一つになっている。
自分の部屋に戻り、まんまるおにぎりを握り終え冷静さを取り戻した私は謝罪の為、決然とした足取りで本田の部屋を訪ねた。
「ピンポーン」と、インターホンを鳴らす。
玄関のドアが開き本田が顔を出す。初対面でいきなり殴りかかってくる女がまた目の前にいる、警戒している。当然だ。
私はTシャツにプリントしてある『船』を見ないように顔を素早く天井に向けた。
同じ過ちは犯さない。
「先ほどは大変申し訳ございませんでした」
仏頂面で天井を見ながら謝罪する私。当然一ミリも反省なんてしねーし感が凄い事でしょう。
「いえ……だっ大丈夫です」
本田は私の事をヤバイ奴だと本能で察し、この場は早く切り上げようとしているように見えた。
異世界から来た訳ではない、安心してほしい。私は心からそう思った。
「これ先ほど渡そうと思ってたんですが……ご挨拶の粗品です。良かったらどうぞ」
と、クッキーの入った袋を差し出す。
「ありがとうございます」
私は素早く、クッキーの袋を受け取った。
「わぁ美味しそうですね」
このような模範的な台詞を言えるくらい今は冷静だ。そして私は袋を見た。
それは『船』の形に焼かれた可愛いクッキーだった。
脊髄反射とは、この事か。
私はクッキーを全力で床に「バンッ!」と叩きつけ、十五回連続で踏みつけた。
玄関の前で『船』の形のクッキーと私の右足との偶然の出会いなんて美しい訳はなく、クッキーは粉々に砕け散った。
「何の恨みがぁ、あるんですかぁー!」
思わず、私は叫んだ。
「こっちの台詞だよ!」
本田だって、流石にそりゃもう思わず叫ぶ。当然と言えば当然である。
「貴様にとって船とは何なんですかぁ!」
「実家が漁師だよ!」
「親の仇じゃないですかぁー!」
怒りに任せて私が再び本田のみぞおちを殴ろうとした……その時だ。
私は本田のリビングにあるテーブルに『まんまるおにぎり』がある事に気づく。
「おにぎり、まんまる派なんですか?」
「え?……はい。ストレスが溜まった時、まんまるおにぎり作っていると落ち着くもので」
「一緒ですね」声には出さなかったが私は激しく同意した。これは恋のはじまりっぽいぞ……。私は胸がキュンとなった事に気付いてしまった。
ただ本田のストレスの原因が私である事に気付くのは数日後の事であった。
終
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