7 家に帰れない……
私の話を聞いた悠介さんは盛大なため息を吐きだした。
「言いたいことはいろいろあるが……とりあえず、昨日は部屋に戻らなくてよかったな。だな」
「ええ、私もそう思いました」
そう答えたら悠介さんは「ちょっと待ってろ」と言って立ち上がり、サイドボードのところからファイルを取り出した。そのままページを捲り、携帯電話を操作した。
「夜分にすみません。私はヴィラビューネに住んでいる藤川といいます。……ああ、はい。それで電話をしましたのは……」
私が悠介さんの早わざに茫然としている間に、悠介さんは管理会社と話していく。事情を説明してくれて、鍵の交換をお願いしたいと言ってくれた。それから私へと携帯を渡してきたので、部屋の番号を伝えた。管理会社の人の話では、明日すぐの交換は無理かもしれないけど、なるべく早く手配すると言ってくれた。取り換えた鍵はコンシェルジュに預けてくれることになった。
◇
電話を終えてホッと息を吐きだした。時計を見て、そろそろお暇する時間だと思ったので、私はスーツケースを持つと悠介さんににこやかに挨拶をする。
「いろいろとありがとうございました。それでは私は帰りますね」
ペコリとお辞儀をしてコロコロとスーツケースを転がし玄関に向かおうと……したのだけど、悠介さんにスーツケースに手を置かれて止められてしまった。
「待て待て、樹里亜。何処に行くつもりなんだ」
「どこって、部屋に戻れないから、ホテルに泊まるつもりですけど」
「ホテルになんか行くことないだろう」
「え~、伊崎が来るかもしれないのに、安心できない部屋には戻りたくないです」
「だから、どうしてそう考えるんだよ。部屋に戻ることも、ホテルに泊まることもしなくていいだろ」
「えっ? それじゃあ悠介さんは、私に野宿しろとでも? それとも会社に泊まり込めとか?」
「だから、どうしてそうなるんだ。このままここに居ればいいだろう」
「ええ~?」
意外な言葉を聞いたと声をあげれば、悠介さんは不満そうな顔をした。
「なんで、『ええ~?』なんだよ。恋人なんだから、泊まるのは当たり前だろ」
「はっ? えっと、主任と私って恋人なんですか」
「おい!」
ジト目で睨みつけられても、怖くはないんですけど……。
「いや、さすがに昨日の今日で恋人って無理ないですか?」
「無理じゃない! 俺がどれだけ待ったと思っているんだよ」
「えっ?」
「あっ……」
気まずげに視線を逸らす悠介さんにピンときたものがあって、回り込んで視線が合うように顔を覗き込んだ。
「もしかして、私たちが別れるように何かしました?」
「してない。断じてそんなことはしてない!」
「じゃあ、あの発言の意味は?」
「その……だから、俺は樹里亜が新入社員として入ってきた時からいいなと思っていたから、フリーになるのを待っていたんだ」
「それにしては含みがある言い方でしたね」
反対側に顔を背ける悠介さんに、また回り込んで視界に入るようにする私。視線をそらし続けられなくなった悠介さんはフウと息を吐きだして、観念したように話し出した。
「その、磯貝がうちの課に来た時に、俺が課長と話しているところに来て言ったんだよ。『うちの課で一番の出世株って誰ですか』って。俺と課長は呆れたのだが、課長が名前を挙げた中に伊崎が入っていたんだ」
「まあ、そうですね。ですがそれだけじゃないですよね」
彼の名前を伝えたくらいで挙動不審になるわけないだろうと、目に力をいれて聞いてみる。一瞬目を逸らしかけた悠介さんは、再度息を吐きだして続きを話した。
「課長は『一番の出世株はこいつだ』と、俺のことを言ったんだ。磯貝はそれからしばらく俺の周りもうろちょろしたんだが、伊崎のほうが好みらしくて俺に見切りをつけて伊崎へと猛アタックを掛けるようになって……。その、すまん」
「すまんって、なんで悠介さんが謝るの。磯貝さんの好みがスポーツマン系の悠介さんじゃなくて、チャラ男系のあいつだっただけでしょ。だからって彼女が居るのがわかってて狙うなんてありえないんだけど」
「チャラ男って……いや、そうじゃなくて、だから、俺が磯貝からのアプローチを躱すために伊崎を勧めたと思わないのか」
私はぱちくりと瞬きをしてから、からからと声に出して笑った。
「何を言ってんですか。主任は磯貝さんの好みじゃないから、彼女は手を引いたんですよ。彼女が伊崎の前に粉をかけていた相手も今どきのチャラ男系でしたからね」
「樹里亜がなんで磯貝の前の彼のことを知っているんだ?」
「磯貝さんが自慢していたのを見せてもらいました」
私は携帯を取り出すとメッセージを開いて見せた。
「ねっ! 見事なチャラ男でしょ」
なのに、胡乱な視線を向けられた。
だけでなく……。
「やはりこういうやつが好みなのか……」
と呟いて肩を落とす悠介さん。
「はっ? なんでそうなんの?」
「伊崎もそうだけどこいつもカッコイイだろ」
思わずポカーンと口を大きく開けて悠介さんのことを見てしまった。