T-10 弟からのお願い 前編
さて、もろもろのことが片づき、ぎこちなかった佐野家も家族としてまとまってきた六月に入った頃、弟の望から話があると言われた。
集められたのは結城家と佐野家の面々。この中には樹里亜はいなかった。
この時、樹里亜は大学二年、僕は高校三年、望は高校一年になっていた。
集まった人たちを見回して望はにこりと笑った。
「若輩者の僕の呼びかけに集まっていただきありがとうございます」
そう言った後、望の雰囲気が一変した。口許から笑みは消え、鋭い眼差しで僕ら……特に結城の祖父を睨むようにみた。
「でさー、お爺様は本気で姉さんを兄さんのお嫁さんにする気があるの?」
「何を言うておる。あるに決まっているだろう」
「へえ~。でもさあ~、このままじゃ、姉さんは兄さんどころかあの人とも、仲は進展しないんだけど?」
望の言葉に虚を突かれた顔をする爺様と結城の義父。
「それはどういうことだい、望」
「あー、やっぱり気がついてなかったんだ」
そう言って望はため息を吐いた。
「あのねえ、姉さんって真面目じゃん。今までだって、結城家の娘として自分を律してきたでしょ。そんな姉さんだよ。美沙緒おばさんたちと家族として、ただ過ごすわけないでしょ」
言葉を止めて大人たちを見回す望。僕だけでなく祖父たちも当たり前のことを言われて、無表情で望のことを見つめ返した。
「美沙緒おばさんたちと姉さんが佐野家に入る理由としての説明に、『佐野家の後継』としてと言ったでしょ。そうなると、姉さんは自分が佐野家の後継者として、いずれ婿を迎えるんだと思ったとしてもおかしくないでしょ」
望の言葉に祖父たちは眉根を寄せた。僕もちょっと考えて、望の言うことが正しいと思った。
「というわけで、問題が解ってもらえたところで、提案があるんだけど……」
そう言った後、躊躇っているのか、次の言葉が出てこない望。
「提案とはなにかな」
義父の優しい声音に望はちらりと義父を見てから視線を落とし、話し出した。
「その、僕なりに考えたんだけど、佐野家は将来僕が継ぐのがいいと思うんだ。もともと佐野家は結城家の分家だし、親戚の人たちも反対はしないと思う。けど……僕が養子に入って継ぐのは悪手だと思う……ううん、悪手だってわかるんだ。今回のことで、周りも美沙緒夫妻が佐野家に入ったことと、姉さんが正統の佐野家の後継者だと知らされたでしょ。なのに、姉さんが兄さんと結婚するからって、僕が佐野家を継ぐことになるのはいろいろ勘繰られることになると思うんだ」
そこでいったん言葉を切ると望は大きく息を吸い、吐きだした。それと共に肩も大きく上下させて力を抜くような動作をした。
「だからさ、他にも佐野家の血を引く後継者が居ればいいと思ったんだ。そうしたら、偶然にも居たんだよ。名前は九重椿姫さんと云って、僕の同級生で……」
そこまで話した望はなぜか言葉を止めると、視線をさ迷わせてから、へにゃっと表情を崩した。
「あの……あの……九重さんを……椿姫を助けて。急がないと、椿姫が酷い目に遭うんだ。そうなる前に助けて!」
涙目で必死な表情で訴える望。しばらく支離滅裂な望の言葉が続いた。
要約すると、九重椿姫という子の置かれた立場というのがかなり悪い状態らしく、その家から連れ出したい……ということのようだ。
辛抱強く望の言葉を聞いていた大人たちは目を見交わしあった後、咲良が代表で口を開いた。
「望ちゃん、ちょっと落ち着きなさい。ほら、これを飲んで喉を潤してから、私の質問に答えて頂戴ね」
咲良から渡されたお茶を飲んで、望は少し落ち着いたようだ。咲良はにこりと望へと笑いかけた。
「それではいいかしら。望ちゃんはえらいわ。樹里亜ちゃんと融ちゃんのことを、ちゃんと考えてくれたのね。そうして問題点に気がついたのね」
「そう! そうなんだ。姉さんは自分が佐野家を継ぐものだと思い込んでいると思うんだ。だから、あの人のことも縁が無かったものとして、普通に忘れていくだろうと言われたんだよ」
ん? さっきは自分で考えたと望は言ったはずだけど……。もしかして望が考え付いたのではなくて、誰かの入れ知恵なのか?
「あらあら、樹里亜ちゃんのことをよーくわかっているのね。ええ、真面目な樹里亜ちゃんのことですもの、佐野家のために自分の心を押し殺すことぐらい、するでしょうねえ。もちろんあちらだけでなく、こちらとの縁もないことになってしまうわねぇ。そうしないために、望ちゃんは佐野家の後継者を探してくれたのね」
「う、うん!」
ニコニコ笑顔の咲良に褒められて、望は頬を赤くしながら嬉しそうに頷いた。
「それじゃあ、その九重椿姫さんのことを教えてくれないかしら。望ちゃんが確信を持てるくらいの血筋なのよね」
「うん。椿姫は咲良おばあ様の従姉妹の茉季さんの孫なんだって!」
「あら~、まあまあまあまあ~」
咲良は驚きに目を丸くして、望のことを見つめた。それから微かに目を細めると、口元に笑みを浮かべた。
その様子を何の気なしに見ていた僕は、ゾクリと背筋を抜けていったものに目を瞠った。
こっわ~。
僕の心の声が聞こえたかのように、咲良の目が僕へと向いた。
何を言われたわけでもないけど……僕は慌てて首を横に振ったのだった。




