T-2 事件が起こって……過去の出来事が浮き彫りになった 前編
あいつ……名前も言いたくない奴は、海の家のバイト仲間の中でリーダーと目されていた。
バイトも三年目で慣れていることと、オーナーの姪の婚約者の再従兄弟ということで、オーナーからも目を掛けられているようだった。
一応バイトの女の子たちの安全を気に掛けているようで、男たちに指示を出して送ることをさせていた。
樹里亜が……尊敬している様子が見えなければ、排除するように動いたのに……。
あいつはお盆が過ぎて忙しさが落ち着いた辺りから、樹里亜に馴れ馴れしくなった。
このままではバイトが終わるまでに、二人の仲は進展するかもしれないと危惧した。
が、幸い……とは、言ってはいけないけど、不幸にも祖母が倒れ帰らぬ人となってしまったことで、二人の仲は進むことはなかった。
だけど、お葬式後のあれこれがひとまず落ち着いたところで、樹里亜は海の家へと行くと言い出した。
理由は、慌ただしく戻ってきたので、挨拶とバイト代を受け取りに行くと言ったのだ。
八月の最終日、僕もついて行きたかったけど、外せない(わけではないけど樹里亜に行きなさいと言われた)用事があったので護衛たちに任せて送り出した。
その一時間後、樹里亜が病院に運ばれたと連絡が来た。
病院に着いて詳細を聞かされて、怒りが湧いてきた。それと共に自分の不甲斐なさに嫌気がさした。やはり付き添えばよかったと思った。
樹里亜が病院に運ばれることになったのは高校で同級生だった男、岳田に会ったせいだった。この男、高校の時に樹里亜と親しくなろうと、周りをちょろちょろしていた奴だった。
どこがいいのかわからないが、女子に人気があるようだった。
もちろん『山谷』と他の生徒が樹里亜に近づけることはなかったようだけど。
その岳田に捨てられた女が樹里亜との仲を誤解して、樹里亜をナイフで刺したのだ。
チッ
どうせ刺すのなら自分を捨てた男を刺せよ。関係ない者を巻き込むな!
幸いにも樹里亜の手術は上手くいった。
岳田とその両親、樹里亜を刺した女の家族が、蒼い顔をして謝罪に訪れた。
樹里亜を刺した女は、もちろん警察に連れていかれたからここにはいない。
対処したのは義父ではなく、祖父だった。
あそこまで怒っている祖父を見たのは初めてかもしれない。
うちの影響力を判っているだろう彼らは、生きた心地もしなかっただろう。
あのあとどういうことがあったのかは知らないが、この街周辺から彼らが居なくなったことで、どう対処したのかは推して知るべしだった。
樹里亜を刺したあの女は、執行猶予がつかないで実刑を言い渡された……らしい。
なんでも、反省の色が見えなかっただけでなく法廷で暴言を吐いたことと、留置所……じゃなくて、裁判所だったかな? そこから逃亡をしようとしたらしい。それも一度や二度ではなかったとか。ああ、両方で逃亡しようとしたのだったか。
おかげで、いろいろ罪状が増えて刑期が長くなったらしい……。
まあ、いいんだけど。
退院した樹里亜はすぐに大学に行きたがったけど、義母の泣き落としにあいしばらく療養することになった。
あの事件から約ふた月、樹里亜が大学へ復帰することになった日。
僕は機嫌が悪かった。
出来ることなら樹里亜を大学へなど、行かせたくなかった。
大学内の様子の報告には樹里亜が行けなかった間に、あいつが樹里亜を探しに何度か来ていたとあったから。
そして樹里亜がこんな目に遭うことになった原因の『野口幸恵』と、会ったそうだ。
幸恵はあいつに良いようにいろいろ言っていたみたいだが、あいつはその言葉を信じてはいないようだった。
祖父にも同じような報告がいっているのだろう。
機嫌良く頷いて報告書に見入っている姿を何度か見かけた。
何も……言われてはいないけど、祖父の頭の中には……ということなのだろうと、察することが出来た。
だから……どうしても我慢できなくて、講義終わりの樹里亜を迎えに行った。
樹里亜があいつと会って……嬉しそうな顔であいつの元へといくのを見れば、諦めもつくだろうと、半分自棄を起こしていた。
樹里亜が友人たちと話しながら歩いているのを見つけて、近寄り声を掛けた。
樹里亜は驚いたように目を丸くした後、苦笑を浮かべていた。
迎えに来たと言ったら、「そこまでしなくていいのに」との言葉は、友人たちの歓声(?)にかき消された。
どうやら樹里亜の友人たちに、彼氏と勘違いされたようだ。
樹里亜が僕との関係を訂正している間に、強い視線を感じてそちらを窺うように見ると、あいつがいた。
あいつと目が合ったと思う。僕のことを睨んできたから。
立ち止まっていたあいつが動いたので、僕は身構えた。
が、
「えっ?」
あいつは樹里亜に声を掛けることなく踵を返し、離れていった。
「どうかしたの、融」
「えっ、あっ、いや」
樹里亜が訝しそうに聞いてきて、僕の視線を追って……軽く首をかしげた。
「樹里亜?」
「ああ、うん。校門のそばの人……後ろ姿なんだけど、知り合いに似ている気がしたのよ」
「そうなの? えっと、話しかけにいく?」
「ううん。この大学の人ではないから、似た別人だと思うわ」
そう言うと樹里亜は友人に別れを告げて、僕と共に歩き出したのだった。




