25 話にならない……から、部屋を後にする
悠介さんのあんまりな言葉に、絶句するしかない私。なのに、悠介さんはもっと冷たい視線を私へと向けてきた。
「何か言ったらどうなんだ」
「いや、ちょっと待ってください。偽名を名乗っていたのは確かですけど、それには事情があったんです。私は彼女……野口さんに頼まれて、海の家に行ったんですよ」
「事情~、ねえ~」
馬鹿にしたような言い方に、カッと頭に血が上った。それと共にフリーズしていた頭が回り出す。
冷ややかな視線と言葉に竦んでいた心を叱咤して、私も悠介さんをキッと睨むように見つめた。
「偽名を名乗っていたからって、それが悪行になるわけないでしょう」
「はっ! 偽名を使ってやりたい放題してたんだろ! ちゃんと調べたんだからな」
「調べたですって。本当に私が偽名を使って、やりたい放題したって証拠があったんですか」
「ああ。それに本人からも聞いたからな」
「本人から……聞いた?」
「ああ、そうだとも。俺は大学まで行って……」
悠介さんがしゃべっている言葉が頭に入ってこない。耳の奥でワンワンと音が鳴っていて、それ越しに言葉が聞こえてくる。けど、それは意味のある言葉として入ってこないのだ。
回らない頭で考えていたのは……
悠介さんは……約ひと月、一緒に働いた私のことじゃなくて、嘘つき女の言い分を信じたんだ。
ということ。
その事実が、じわじわと、心に落ちてきた。
それを理解すると同時に、私は椅子から立ちあがった。そのまま歩き出そうとしたけど、手首を掴まれて動けなくなる。
「どこに行くんだ」
「部屋に戻るんですけど」
それが何か? という目で悠介さんを見たら、彼は怯んだように軽く体を仰け反らせた。手を離してもらおうと腕を引こうとしたら、彼ははっとした顔をして私の手首をつかみ直した。
「離してくれませんか」
「まだ話は終わってないだろう」
話が終わってない?
何を言っているのだろう。
こんな状態で話が出来ると、思っているの?
そう思いながら悠介さんの目をジッと見続けた。私の反応が彼の思い描いたものと違ったのか、悠介さんは目に見えて狼狽えた。
「混乱しているので、部屋に戻って考えたいんです」
そう言って背を向けて歩き出す。それと共に手首から彼の手が離れていった。
リビングの扉の取っ手に手を掛けたところで、再度引き止めるように肩を掴まれた。その力の強さに不快感が込み上げてくる。
「待ってくれ。その……誤解があるようだが……」
悠介さんが言いかけた言葉は、私の冷たい視線にすべてを言えずに口の中で消えたようだ。
誤解……
その言葉に不快感が増していく。
「このまま居たって、話し合いにならないと思うので。というか、一緒に居たくないです」
端的に事実だけ告げれば、悠介さんの顔色が悪くなっていく。
「す、すまない。そんなつもりじゃなかったんだ」
そんなつもりって、どんなつもりだったんだろう?
まあ、いいか。今はとにかく一緒に居たくないもの。
何も言わずに踵を返して、リビングから出た。が、またも手首を掴まれて止められた。
「話し合おう。そうすれば誤解も解けるだろうし」
「話し合い以前の問題です! というか、混乱しているから自宅に帰って考えたいって、言ってるんですけど!」
イライラしながら言葉を叩きつけた。悠介さんはぐっ、と呻くような声を出して、私の手を離した。私は悠介さんのことを見ないようにそのまま玄関まで行って、靴を履いた。
取っ手に手を置いて……どうしても何か一言言いたくなり、振り返った。リビングの入口で立ちすくむ悠介さんの姿が目に入った。
「偽名のことですけど、海の家のオーナーの深見さんが事情を知っていますから」
「深見さん?」
「ええ。私が名乗った名前は深見さんの姪の名前でしたから」
「えっ? あっ?」
混乱して視線をさ迷わせる悠介さん。私はその様子を半目で見てから、外に出た。
重い足取りでエレベーターの前に立ちボタンを押す。
「はあ~」
ため息を吐きながら、込み上げてくる思いに涙が出そうになる。
まだ、駄目だ。部屋に戻ってからなら……。
ポン
軽い音がしてエレベーターが来たことが分かった。下げていた目線をあげて、エレベーターの中へと入ろうして、人がいることに気がついた。
「どうして……」
「心配だったから」
驚きに立ちすくむ私に柔らかい笑みを浮かべた顔で見てくる。
「でも……その……」
「うん。何が言いたいかわかるけど、その前に部屋に戻らない?」
優しい口調で言ってくれる。視線にも労わりの色が見える。
それでも動けずに立ちすくむ私。
「樹里亜!」
聞こえた声にビクリと大きく体が動いた。それと同時に手を引っ張られてエレベーターへと乗り込んだ。
直ぐに扉が閉まり動き出した。
が、すぐに次の階で止まった。
「融!」
「大丈夫! カモフラージュだよ」
直ぐに閉まり動き出した。そして、二つ下の階でまた止まった。
またも彼が閉じるボタンを押して直ぐに動き出す。
このマンションは十五階建てで、最上階に悠介さんの部屋があって……。
十四階で止まってその次が十二階、また九階で止まって……。
「ねえ、こんなことしなくても、私が五階に住んでいることは話してあるのよ」
「ああ、そう言えば話しちゃったんだっけ。それなら尚更意味があるかな」
続けて八階で止まったところで、腕を引かれてエレベーターを降りた。そして、融は当たり前のように鍵を取り出して、エレベーターのすぐそばの扉に差し込んだ。私は促されるままに中へと入った。




