2 弟に隠した事
リベルトを乗せた馬が通りの向こうに去るまで見届けてから玄関扉を閉めると、ヴェロニカは溜息を吐いた。
「もう帰ったのか」
唐突に背後からかけられた声にヴェロニカはビクリと肩を揺らした。
思わず振り返って声の主を睨む。
「話が違うではありませんか。王太子殿下があんな走り書き1枚置いて出てくるなんて、何を考えているのです」
「私がいなくてもリベルトが何とかしているさ」
ジェレミアが飄々と言ってのけるので、ヴェロニカはさらに顔を顰めた。
「そういうことではありません」
ジェレミアがヴェロニカの家を突然訪れるのはいつものことだった。
しかし、3日前にやって来た彼が「しばらくここで世話になる」と宣言した時にはさすがにヴェロニカも驚いた。
だがジェレミアが「リベルトにきちんと頼んできたから大丈夫だ」と言うので、仕方なく彼の滞在を認めた。
だからヴェロニカは、リベルトがこの家にジェレミアを迎えに来てくれたのだと思っていたのに、彼は兄の行方を知らなかったのだ。
「そんなに怒るなら、ここにいるから連れて帰れとリベルトに言えばよかったのに」
もちろん、リベルトを前にしてヴェロニカはそうすることも考えたが。
「ジェレミアは何の理由もなく自分の責任を放り出したりしないでしょう」
ヴェロニカが顰め面のままそう言うと、ジェレミアは目を細めて笑った。
「でも、長くは許しませんよ。リベルト殿下をあまり困らせないうちに王宮にお帰りくださいね」
「最終的にはヴェロニカはリベルトの味方につくわけだな」
「誰の味方とかではなく、当然のことです」
「で、ヴェロニカ。リベルトに会ってどうだった?」
ジェレミアは相変わらず笑顔のままだが、目には真剣な色が浮かんでいた。
「どうと言われても……」
「嬉しくなかったのか?」
「それは……」
いくら想像してみても上手く思い浮かべることのできなかった17歳の弟王子の姿をこの目で見られたのだから、ヴェロニカが嬉しくなかったわけがない。
だが、自分がリベルトと直接会って話をする機会などあるべきではなかったのだと思うと、素直に肯くこともできなくて口籠った。
ヴェロニカの心中など見透かしているように、ジェレミアは笑みを深めた。
「我が弟ながら、なかなか良い男に育ったと思うのだがな」
ヴェロニカは先ほどまで向き合っていたリベルトの姿を思い出した。
お忍び用の簡素な服を纏った体はジェレミアより一回りほど小さく見えた。
もっとも、それはジェレミアが騎士にも見劣りしない体格をしているためで、ヴェロニカに比べれば身長も肩幅も手足もリベルトのほうがずっと大きかった。
顔立ちは兄弟で似ていて、特に夜明け前の空を思わせる紫色の瞳はそっくりだ。
しかし、髪はジェレミアが黄金色なのに対しリベルトは濃茶色で、それが日の光の下ではわずかに赤みがかって見えた。
王子らしく紅茶を飲む姿さえ気品がありながら、ヴェロニカに対しても傲った態度は見せず、会話からは兄にない素直さも感じられた。
「まだ婚約者はいないがその座を狙っている令嬢は多いようだから、父上がその気になればすぐに決まるだろうな」
「そうでしょうね」
「他人事だって言いたそうだな」
「いいえ。あなたと同じく、リベルト殿下が素晴らしい方と出会って幸せになることを心から願っています」
ヴェロニカの言葉を聞いて、ジェレミアはつまらなそうな顔をした。