表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/3

朱色 下

 生温かい風が、木々の隙間を縫って吹き付ける。

 その不愉快な風によって、僕の意識は現実へと引き戻される。気が付くと、瑠美が背伸びをして僕の顔を覗き込んでいた。

 記憶にある姿と一緒の彼女がすぐそこにいる。

 もう、この世にはいないけれど、すぐそこに居るのだ。


「どうしたの?」


 瑠美が首を傾げ、そう言った。

 僕は驚き、身を後ろに引きながら答える。その際に右手に持っているビニール袋がカサカサと音を立てた。


「……いや、何でもないよ」

「ふーん……じゃあさ、その涙はなに?」

「え?」


 僕は慌てて頬を触ってみる。すると、確かに頬は濡れていて――――僕は泣いていた。

 それに気が付いた途端、瞼からより涙が溢れ出してくる。

 止め処なく。

 際限なく。

 絶え間なく。

 溢れ出してくる。


「な……んで……」


 僕はこの涙に理由が分からず瑠美を見た。

 何故だ、何故泣いている。

 

 うぐっ。


 喉の奥で変な音が鳴った。目の奥が熱くなり、鼻がつんっと痛くなる。


「あぁ、あぁ」


 涙が止まらない。

 瑠美は不思議そうに首を傾げ、眉をひそめて僕を見ていた。

 

 木々の梢の間から、陽の光が零れている。昔から変わらない白日の光が僕を照らす。いつまでも流れ続ける涙を隠すように蹲り、両手で顔を覆い隠した。


 うぐっうぐっ。

 僕の嗚咽だけが、蝉時雨と混ざり合い、木々の隙間を空転して響いていた。







 □□□□







「落ち着いた?」

 

 瑠美が、心配したような声音で声を掛けてくる。嗚咽が止まり、涙も乾き始めた頃、やっと僕は顔を上げた。「うん……」と頷きゆっくりと立ち上がる。

 

「どうしたの? 急に立ち止まってさ、時が止まったようにぼうっとしてたからどうしたんだろう? って思って近寄ったら、そしたらさ、いきなり泣き出すんだもん」


 瑠美が微苦笑を浮かべながらそう言った。「本当に大丈夫?」と聞いてくる。

 僕は泣き腫らした目で微笑んで言う。


「何でもないよ。ただ……ただ、そう。ゴミが目に入っただけだよ」


 僕は目元をゴシッと拭った。

 瑠美は手を後ろで組んで言う。


「ふーん。なんでもない、か。そっか。分かった。じゃあ、今度こそ私のお墓の前に行こ。あんまりお墓から離れていると体力使うんだよね。まあ、死んでいるっていうのに疲れるって変な話だけどさ」


 そう言って瑠美は今度こそ踵を返して、歩いて行く。

 僕はもう一度、腫れた目元を拭って、階段を上がりきる。そして、瑠美の五年前から変わらない、小さな背中を追って歩き出す。

 彼女の、墓石に向かって。






 □□□□






 ビニール袋から線香を取り出す。一緒に買ったライターも取り出して、火をつけ、左右に素早く振る。

 線香独特の匂いが、辺りに充満して僕の鼻腔をくすぐる。

 瑠美が僕の手もとを覗き込みながら、呟いた。


「別にそんなことしなくてもいいのに」

 

 そう呟いて、苦笑した。

 僕は線香の先端についている火を眺めながら言った。


「そんなわけにはいかないよ」


 線香を線香立てに寝かせて置き、手を合わせて目を閉じる。すると、瑠美が言った。


「……ねえ、ねえ、私はこっちだよ?」


 僕は目を開け、隣りの瑠美に視線を移す。


「……そうだね。なんか、黙祷をささげる相手が真横にいるのって不思議な気分だね」

「えへへ、そうだねー」


 瑠美は微笑む。その笑みに釣られて、僕の口角も持ち上がる。五年前までは普通のことだったのに、もうこうやって笑いあうことが出来ないんだ。

 







 □□□□







 暫く僕達は雑談を楽しんだ。

 多くは昔の思い出を脚色して語り、笑いあった。

 いつの間にか、背の高い梢の隙間から覗く空は、朱く染まっていた。もうじき、太陽は完全に西の空に沈み込んで、この世界に夜の帳を降ろすのだろう。

 心なしか、蝉たちの声も小さくなっているような気がした。

 

 会話が一段落した所で、僕は言った。


「……じゃあ、今日はそろそろ帰るよ」


 そう言うと、瑠美が腰かけていた自らの墓石から腰を上げる。


「ええーもう帰るの? もうちょっと、君と話していたいのに」


 瑠美は拗ねたように頬を膨らませる。そして、腐葉土の地面を見下ろした。

 僕は、目の前のセーラー服を着た女の子を見ながら言う。


「大丈夫。明日も僕は来るからさ。僕も……瑠美ともっと話がしたいしね」


 瑠美を諭しながら、周囲に視線を向ける。

 もう、梢の隙間から降り注ぐ陽光はその朱さを増していて、周りの木々を、そして数多の墓石を、朱く彩っていた。瑠美の姿も、その朱色の海に中に沈んでいた。

 瑠美は朱い自然の口紅の塗られた口を開いた。


「じゃあ、明日は朝から来てよね」

「ええ、僕だって、久しぶりの故郷だからやりたいことあるんだけど……」


 僕は頬を掻く。


「知らないよ。そんなことは。君は五年も私を待たせたんだよ? いいじゃん、少しぐらいの我が侭聞いてくれてもさ。久しぶりに帰って来たって言っても、自分から帰って来なかったんじゃんか」


 瑠美は頬を膨らませて、僕を詰ってくる。


「わ、分かったから。分かったからさ、落ち着いて。明日は朝から来るからさ」


 まあ、僕も瑠美と話すのは楽しいからいいけれど、そう心の中で付け加える。


「よろしい。じゃあさ、明日はお供え物も持って来てね? 私、甘いものが食べたいなあ。ケーキとかケーキとかね」

「ええー、図々しいな。……まあ、いいけどさ。麓のスーパーの奴でいいよね? ――あ、でも、あそこケーキと置いてるのかな。この村に若い人がほとんどいないから、置いてないかもね。牡丹餅なら今日見たんだけど……」


 それでもいい? と瑠美に聞く。


「ないなら仕方がないね。それでいいよ」


 瑠美はおーけーを出した。

 僕は言う。


「じゃあ、ね。帰るよ。また明日ね」

「うん、また明日ね……」


 僕は踵を返す。階段に差し掛かったところで足を止め、後ろを振り返った。

 そこには、セーラー服の少女が――――五年前から変わらない瑠美が、手を振っていた。僕も手を振り返す。そして、次に瞬きをした時には、彼女の姿は消えていた。

 ただ、そこには朱色の海が広がっているだけだ。

 僕は、再び踵を返す。

 これからは、もっと帰ってこよう。そう心の中で呟きながら、階段を降りていく。


 

 この美しい世界は廻り続ける。

 何が起ころうと、世界は廻り続けるのだ。

 その中で、僕は嫌でも前へと進み続けなければならない。五年前、その流れからはじき出された瑠美が、どれだけ僕を呼ぼうと、僕がその流れに逆らおうとしても、どうしたって時間の流れは止まらない。

 毎日訪れる朱色の夕焼けは、いつも同じに、それでいていつも新鮮に、この世界を彩り続けるのだ。

 僕を、

 瑠美を、

 彩るのだ。






 【おわり】

これにて、完結になります。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

これを書くにあたって、昔書いた「朱色」を読み返したんですが、罰ゲームのような気分でした(笑)。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ