試合終了まで放送します
うちのテレビ局には、何十年も守り続けてきたルールがある。
――地元チームの野球の試合は、必ず最後まで放送すること。
試合開始から終了までは当たり前、ヒーローインタビューまで、欠かさずに放送するのだ。
たとえ他の番組にしわ寄せがいこうとも、それは「小さな犠牲」と割り切るべし。
このルールのおかげで、地元球団のファンの皆様からは、熱い支持をいただいている。
しかし、テレビ局の人間として、疑問に思うことがある。必ず最後までといっても、さすがにどうしようもない、そんな状況もあるのでは・・・・・・。
たとえば、まさに今がそうだ。
「怪獣、なおも接近中!」
局内は大混乱に陥っていた。
こんな状況、誰も想定していなかった。このテレビ局の百キロ先に、巨大怪獣が出現したのである。
怪獣は街中を移動中だ。その予想進路上には、このテレビ局もある。
周辺の道路では、怪獣とは反対の方向へと移動する車列で、激しい渋滞が起きていた。このままでは逃げきれないと、車を捨てる者もいて、それがさらなる渋滞の原因をつくり出している。
今回の怪獣接近に対して、うちのテレビ局は、どう対応すればいいのか。現在、役員会議で話し合われている。
ただし、局内の会議室ではない。すでに屋上のヘリポートから、役員全員が脱出している。その避難先でだ。まだ役員会議の結論は出ていないらしい。
そういうわけで、局内に残されている者たちの心境は共通していた。上は頼りにならない。自分の身は自分で守るしかない。
今すぐにでも逃げ出したいところだが、あのルールが、自分たちの足を引き止めていた。
野球の試合は、必ず最後まで放送すること。
よりにもよって、野球の中継と巨大怪獣の出現が重なるなんて。
なお、試合が行われている野球場は、怪獣の予想進路からは、大きくはずれている。
現地に派遣しているスタッフによると、試合が中断される様子は、まったくないらしい。
あっちは安全でも、こっちは違う。局内のスタッフは頭を抱えていた。
野球中継をお茶の間に届けるためには、野球場からテレビ局を経由する必要がある。その際、専用の機器を操作しなければならず、自分たちが逃げ出せば、中継はストップしてしまう。
「ぎりぎりまで粘ろう」
番組責任者の伊達、その言葉は震えていた。
「ほら、怪獣の進路が変わる可能性もあるし」
ところが、スタッフの一人から、悲報がもたらされる。
「怪獣なおも接近中! 一番街地区を通過、二番街地区に入った模様!」
誤報を期待してみたが、駄目だった。
他のテレビ局の臨時ニュース、インターネットの情報、知人からの連絡、どれもが同じ内容を伝えている。
伊達はテーブルの上に地図を広げて、怪獣の位置を確認した。これまでの進路を、赤い線で記入していく。その延長線上には、このテレビ局も含まれていた。
さらに、各地区における「怪獣の予想到達時間」も記入していく。このままなら、あと三十分前後で、ここに怪獣がやって来るだろう。
逃げた方がいいのでは? 全員の顔がそう言っていた。
なのに、誰も口には出さない。最終決定を委ねる視線が、自然と伊達に集まっていく。
そこに突然、スタジオに女性が飛び込んできた。
「視聴者からの電話が鳴りやみません!」
彼女は電話オペレーターだ。お客さまのご意見・ご質問の電話に対応するのが仕事で、まだ局内に残っていたらしい。
「野球の試合を、最後まで放送するのかを、聞いてきています。できれば、最後までやって欲しいと」
彼女が早口で告げてきた内容に、伊達は黙り込んだ。口のすぐそばまで、「逃げよう」という言葉が出かかっていた。
しかし、うちのテレビ局には、何十年も守り続けてきたルールがある。
野球の試合は、必ず最後まで放送すること。試合開始から終了までは当たり前、ヒーローインタビューまで、欠かさずに放送するのだ。
伊達は覚悟を決める。お客さまが望んでいるのなら、限界までやろうじゃないか。怪獣の進路が変わる可能性もあるし・・・・・・。
気持ちを奮い立たせると、次々と指示を飛ばす。
まずはテロップだ。『この試合は、最後まで中継する覚悟です』と文字を打たせた。
電話オペレーターには、局内からの退避を指示する。責任は自分がとるから、あとのことは気にせずに、ここから逃げてくれ。
そして確認だ。試合を最後まで中継するのに、最低限必要なのは何人か。そうか、二人か。では、希望者を募る。あと一人、俺と一緒に残ってくれ。
スタッフの中から、二人の若者が手を挙げた。彼らは独身で、扶養する家族もいない。
それに、この場に残る者は、誰でもいいわけではなかった。中継機器の操作に慣れた人間でなければならない。二人の若者は、その条件を満たしていた。
「すまない」
「気にしないでください。怪獣を間近で見られるチャンスなんて、めったにないですから」
伊達が機器の操作に不慣れということもあって、若者は二人とも残ることになった。
他のスタッフが退避を始める。
「無事を祈っていますから」
「また明日会いましょうね」
彼らは口々に言いながら、スタジオを出ていく。
三人だけになって、伊達はつぶやいた。
「急に広くなったな」
怪獣の進路を確認すると、あいかわらず直進を続けている。
さすがにテレビ局がペシャンコになれば、試合を最後まで中継できなくても、視聴者も納得してくれるはず。
ただし、その時には自分たちも・・・・・・。
伊達は不吉な予想を、急いでかき消した。怪獣が進路を変更してくれることを、ひたすら祈るしかない。
試合の方は、逆転に次ぐ逆転で、一点を争う好勝負だ。
おっと、またしても逆転した。六回裏に地元チームが、勝ち越しに成功。
今年引退予定のベテラン選手、彼のホームランで二点を加えた。ここでの大きな一発に、地元チームのファンは、ものすごく盛り上がっているだろう。
伊達は試合展開を見ながら、その一方で確認を怠らなかった。怪獣の進路はどうか、現在の位置は。
ここにはいないスタッフの声が、頭の中で再生される。
――怪獣なおも接近中! 六番街地区を通過、七番街地区に入った模様!
このテレビ局があるのは、九番街地区だ。
伊達は二人の若者に目をやる。この試合を最後まで中継しようと、機器を操作していた。彼ら二人で、何人分もの働きをしている。
その姿を見ていて、伊達は自問自答をする。こんなところで、彼らのような勇敢な若者を失っていいものだろうか。
いや、駄目だ。怪獣が来る前に、ここから彼らを逃がさなければならない。それが年長者の務めだ。
スタジオの奥にある窓に近づくと、伊達はカーテンを開けた。
この窓からなら、怪獣が八番街地区に入れば、その姿を目視できるだろう。その時点で、二人を退避させよう。犠牲になるのは、自分一人で十分だ。
――怪獣なおも接近中! 七番街地区を通過、八番街地区に侵入!
伊達は自らの目で、ついに怪獣の姿をとらえた。
黒い怪物の頭部が、ビルの向こう側にそびえている。特撮の怪獣のような愛嬌は、微塵もなかった。ただ巨大な暴力が突き進んでくるだけ。
恐怖と絶望とで、一瞬声が出なくなった。
その直後、空から銀色の人影が降りてきた。
伊達は驚きで目を見開く。巨大ヒーローだ。
ニュースで何度か見たことがある。これまで多くの怪獣と戦い、多くの街を救ってきたヒーロー。
それが、ここにも来てくれたのだ。
伊達は体の中に、力強いものが芽生えてくるのを感じた。これで助かったかもしれない。野球の試合も、最後まで放送することができるだろう。
銀色のヒーローが、黒い怪獣へと向かっていく。
戦いが始まった。洗練された格闘技で戦うヒーローに対して、怪獣の武器は単純な力だ。
その戦いを見ていて、伊達は顔を曇らせる。
怪獣の方が強い気がする。ヒーローが徐々に押され始めていた。
たまらず必殺の光線技を使うが、怪獣には通用していないようだ。
すかさず、反撃の突進が来た。まともに喰らったヒーローは地べたに倒されて、呆然と天を仰いでいる。
怪獣との力の差は明らかだった。通常攻撃も駄目、必殺技も駄目。
伊達は再び言葉を失った。せっかく芽生えた希望が、恐怖と絶望とに塗りつぶされていく。
あの巨大ヒーローが負ければ、怪獣の侵攻は続く。このテレビ局はつぶされ、野球の試合もそこで中継終了になる。
悪い想像しか浮かんでこない中、巨大ヒーローが立ち上がった。
でも、期待できそうにない。足元がふらついている。
そんな状態で怪獣に向かっていくのだが、またもや突進を喰らった。
再び地に倒れるヒーロー。その姿はもはや、敗者のそれだった。
怪獣がヒーローへと接近していく。とどめを刺すつもりらしい。
伊達の脳内で、少し先の未来予想が始まる。
怪獣に頭を踏みつぶされて、飛び散る血しぶき、散らばる肉片。息絶えるヒーロー・・・・・・。
ああ、この世界に希望は存在していないのか。
伊達は天を仰いだ。こういう時、あの巨大ヒーローの仲間が、助けに来てくれてもいいのに。
しかし、空は無言だった。新たなヒーローがやって来るような兆候はない。
だが、希望はすぐそこまで迫っていたのだ。
ただし、空からではなく地上から。
正体不明の爆発音が立て続けに起きたので、伊達は急いで視線を移動させる。
怪獣に向かって次々と飛んでいく・・・・・・あれはロケット花火?
たかが花火とはいえ、ものすごい数があった。千発以上はあると思う。その一斉攻撃が、怪獣の頭部に集中していた。
八番街地区のまだ無事なビルに、何十人もの人影が見える。その数はどんどん増えていく。
彼らの多くが、レプリカユニフォームを着ていた。地元球団のものだ。
花火の他に、バッティングマシーンでも攻撃している。
どこから運んできたのか、ビルの屋上に複数の機械を固定して、怪獣の頭部目がけて、野球のボールを高速連射している。
モーターでも改造しているのか、ものすごい豪速球だ。焦げ臭そうな煙が上がっていてもお構いなしに、怪獣を攻撃し続けている。
とはいえ、ロケット花火や野球のボールで、巨大怪獣を倒せるはずもない。
なのに、彼らは攻撃をやめなかった。
そして堂々と歌い出す。地元球団の応援歌を。
その時、一筋の光線が、怪獣の胴体に命中した。
倒れていたヒーローが立ち上がり、必殺技で攻撃したのだ。
反撃に出ようとする怪獣だったが、花火やボールの目潰しが、徹底的に邪魔をする。
そこに、再び炸裂する光線。
怪獣が嫌がっている。今回は効いているようだ。
地元球団の応援歌が、一段と大きくなる。
伊達は思った。この歌を通して、彼らが告げているような気がする。
――ここは俺たちに任せろ。
――だから、野球の試合は、必ず最後まで放送してくれ。
――ただし、今日のヒーローインタビューは、俺たちになりそうだな。
伊達も自然と、応援歌を口ずさんでいた。これまで野球の試合を最後まで放送してきたことは、決して無駄ではなかった。