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オープニングショー

「僕の人形ドールにならないかい?」

 どこまでも奇妙で美しい道化師“ジョーカー”の口癖をはじめて聞いたのは、出会ったあの日だった。


 あれからもう一年もたつのに、全て鮮明に思い出せる。

 私が彼に惹かれはじめ、サーカス(ここ)で働くことになった夏の日のこと――


――・――・――・――・――・――・――・――


 あれは、ちょうどいまから一年ほど前のことだ。

 私はいわれのない汚名を着せられて国を追放され、一人森をさ迷っていた。

 空には不気味な三日月が浮かび、あたりは闇に包まれて行く先は見えない。


 長かった髪も短く切り取られ、お気に入りのドレスも汗と泥にまみれ、ボロ雑巾のようになってしまっていた。



「アイツら、全員まとめて地獄に落ちればいいのに……ッ」

 ぎりと歯噛みして深い闇を睨み付ける。

 蹴られたせいでいまも痛む腕にうっかり爪を立ててしまい、思わず顔を歪めた。

 


 悪役令嬢。

 なんの因果か、病魔におかされて日本で生を終え、転生先の世界で割り当てられた役割がまさにそれだった。

 まさか、死後異世界で他人として生きることになるとは思わなかったけれど、ねたまれそねまれ、陥れられ……こんな続きなら、ないほうがよほどマシだ。



「本当に散々。折れた(こんな)ヒールじゃ、ダンスのひとつも踊れやしない」


 深いため息をついて、皮肉たっぷりに言い放つ。

 人の代わりに野犬たちが遠くから返事をしてくれて、苦々しく笑った。

 彼らは私をディナーにするつもりなのだろう。

 どうせ行くも地獄、引くも地獄。

 もはや逃げる気もおこりやしない。


 絶望から歩みを止めると、どこからか声が聞こえてきて、身体がぴくりと震える。

 耳を澄ますと今度ははっきりと聞こえた。

 甘く柔らかな男の声だ。


「お嬢さん、こっちにおいで。君を助けてあげよう」




 不審に思いながら声のほうへ進むと、急に視界が開けて広場が現れる。

 だだっ広いそこには、家のように巨大なテントがひとつだけたたずんでいた。


「なにかしら、これ?」

 知らないものなのに、どこかで見た気がしてならない。

 こういうものは大抵、転生前の世界に関係するものだ。

 微かに残る記憶を、必死に手繰り寄せていく。


 縦縞たてじま模様の巨大な紅白テント、ひるがえる三角の旗、これは……


「サーカス?」

 だけど、どうしてこんな森の奥に?


 そもそもこの国には大道芸や見世物小屋はあれど、サーカスなるものはなかったはずだ。



 立ち尽くしていると、私を招き入れようとするように自動でテントのカーテンがするすると開く。

 不安ではあったけれど、どうせ行くあてなどない。

 恐る恐る足を踏み入れ、暗い道を手探りで進んでいく。


 すると、突然ぱちんと指を鳴らす音が聞こえてきて、不思議なことにランプが一斉に灯されて明るくなった。


「愉快なサーカスへようこそ! 可愛いお嬢さん」

 芝居がかった高らかな声に、辺りを見渡す。


 放射状に配置された椅子と、円形ステージ。そして、空中ブランコ。

 やはりここはサーカスで間違いない。


 そして、ステージにいるのは、赤い鼻こそないものの道化師のような泣き化粧をし、派手な衣装を身にまとった奇妙な男。


 彼は、ごみのようにうず高く積まれた椅子のてっぺんにゆったりと腰かけていた。


「貴方は……?」

 呟くように問うと、男はにこりと微笑みかけてくる。


 立ちあがった男は重さがないように飛び降りてきて、客を前にした時のように一礼してきた。


「はじめまして。僕はジョーカー、よろしくね」


「それ、本名なの? 道化師ジョーカーなんて、見た目通りだけど」


「わかりやすくていいだろう? 名前なんて大して意味はないよ。人生で大切なのは、美しいか、否か。それだけだからね」


「はぁ……」

 どうやら私は第二王子に引き続き、またも変な男に出会ってしまったようだ。



 にこにこと微笑む奇妙な彼は、男にしては長い髪をしていて、その色も白雪のよう。

 瞳は琥珀こはくのごとく透き通り、色白の肌に鮮やかな化粧が映えている。

 見ようによっては女性にも見える美しい人なのに、おかしなセリフと趣味の悪い衣装とで台無しだ。



 ステージを降りて距離を詰めてきたジョーカーは、優しげに目元を細め、こちらに手を伸ばしてくる。

 ぼんやりとそれを見つめていると、その手は私の髪へと着地した。


 また痛めつけられる、と体が強張り、小刻みに震えてしまう。

 だが、彼はくしけずるように頭を撫でてきて、泥まみれの私の髪束にそっと口づけを落としてきた。



「美しい黒髪なのに、わざわざ染めていたのかい? しかも、ぼろぼろだ。可哀想に」


「え……?」

 ジョーカーの言葉に、私は思わず目を見開いた。


 この国で黒髪はめずらしく、不吉や不幸の象徴とされている。

 それなのに、髪に口づけをする者がいるとは思ってもみなかったのだ。



「あはは! いいねぇ、面白い顔」

 ジョーカーはからからと声をあげて笑ってくるが、私にはわけがわからない。


「この髪、嫌じゃないの?」


「どうして? 泥もいいスパイスになって、格別の味だったけどねぇ」

 美しい道化師は、唇の端についてしまった泥を親指でぬぐい、ニタニタとしている。


 本当におかしな男。

 ひょうひょうとしていて、全くと言っていいほどに心が読めないし、むしろ、どこかが狂ってしまっているようにも見えた。



「ええと、泥とかそういうあれじゃないんだけど……」


 本来の髪色がバレたせいで『アリス・ブランシェットは国を滅ぼす女だ』と吹聴されて、私はいまこんな目に遭っているというのに。



 日本では病院生活だった私も、アリスとして転生し、友や恋人もできた。走り回ることもできるようになった。

 第二の人生は、幸せになれる。そう思っていたのに。


 そう。この不吉な髪と、ジュリエッタさえいなければ……



 唇を噛み締めて床を睨み付けていると、ジョーカーのくすくす笑う声が聞こえてくる。

 

「ねぇ、提案があるんだ。君はどうやら他の子たちとは違うみたいだけど、一度死んでしまっているよね? だから僕が、君の心残りを無くしてあげる」


「私の、心残り?」

 確かめるように復唱すると、紅がひかれた彼の唇が三日月のように妖しく弧を描いた。


「その代わり、僕の人形ドールにならないかい?」

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