四つの目
不意に名前を呼ばれて驚いた。金色の四つの目が私を真っ直ぐに見つめている。
「私を呼ばれましたか? 失礼ですが、あなたがたは」
「なにを言っておられるんです。さ、みんなが降りて来ます。危ないですからここを早く空けましょう。会場は下に用意します。さ、ご案内しますからどうぞ」
トキはそう言うと岩から無造作に飛び降りるて、下から私に呼びかけた。
「先生。急いで下さい」
なにかは分からないが、危ないという言葉が耳に入ったからとにかく私も飛び下りようとしたのだが、霧が籠めていて下がよく見えなくて下りられない。
「私はあいにくと少し病気をしまして、まだ体力に自信がないのです」
私はしないでもいい弁解をしてしまった。
「先生、体はもうすっかり治っています。お気持を強く持ってください。老けこむ年じゃありませんよ。カコさん、先生に手を貸して」
「先生」
カコと呼ばれた若い男は私の腕に自分の手をかけようとした。
「いや結構です」
私は少しむっとなり、少し邪険にその手を払いのけた。
見知らぬ男から老けこむ年ではないなどといわれる筋合いはない。私は長年野山を歩いて来ているから、こうみえても足腰にだけは自信があるのだ。
私は岩の端から思いきって遠くに飛んだ。そこにひと坪ほどの砂地が有るのが霧から透けて見えたからだ。足元からかなりの衝撃が伝わってきたが、砂地にめりこんだ分だけ衝撃が緩和されて、私は耐えることが出来た。ショックを吸収するために膝を深く折ってお尻をつけたのもわれながら上出来だった。
タイミングよく手が差し出されたので思わず掴むと、びっくりするほどの強い力で引きあげられた。驚いたことに、手はまだ岩の上にいるとばかり思っていたカコだった。
「先生。お見事でした。はい、鞄と帽子」
「あ、これは、どうも」
私は恐縮して礼を言い、鞄と帽子を受け取ると岩の上を振り返った。そこに異様な気配を感じたからである。
驚いたことに、岩の上にはいつの間にか他にも大勢の人が居て次から次へと下に飛び降りて来るところだった。トキとカコのふたりが私の知らないところから現れたように、他にも幾つか登り道が有るのにちがいない。岩の上の人たちは濃い霧を掻き分けるようにして次々と降りてくるのだが、みな目の錯覚かと思うほど軽やかに降りてくる。私はカコの腕を掴んでいった。
「もし、あなた。あれが見えますか。あの人たちの飛びおり方、変ですよ。羽根のように両手を広げて、まるで鳥みたいじゃないですか。ほらほら、今の人なんか」
「私もそうしましたよ。さ、行きましょう。みんなもう先にいってますから」
カコは振り向きもせずにそういうと、私を促した。私は岩の上から鳥みたいに飛び下りる人たちにまだ未練があったが、なんだかカコには逆らえない気がして、あきらめてその後をついていった。
10メートルも行かない内に霧の中から黒々とした集団が現れた。カコのいうとおりなら岩の上から飛び降りた人たちにちがいない。皆、立木のように身動きせずにじっとこちらを見ていた。
「お待たせしました。先生が尻餅をついたものですから、ちょいと手を貸してあげたのです」
カコがそういうと、何人かが、ほうという風に首を少し動かしたが、あとの影は無言のまま揃って河原を歩き始めた。一行はおよそ3、40人ほどだと思うのだが、霧の中から出たり消えたりするものだから正確な人数はわからない。
「カコさん。ここらでどう? あんまり道から遠くなっても」