堤防
郭公拝
伊藤むねお
これは、えらいな。
梅雨がいつ明けたとも聞かない7月の最後の週末だった。
宮城県北部のF市で新幹線を下りた私は、ホームに立つと炒るような熱で思わず足が止まってしまった。こういう空気を吸ったら治ったばかりの肺がおかしくなるのではないか。
ゆっくりと吸おう。ゆっくりと歩こう。そう、人生と同じだ。ここで立ち止まってもどうしようもない。ゆっくりとでも前に歩くのだ。
どのみち早くは歩けない。
60近くになっての療養生活がこんなに急に体を老けさせるとは思ってもみなかった。腰から下が自分のものでないようで困る。喪服は父の遺品を着ることだから手荷物といっては下着類を入れた軽い鞄がひとつなのだが、一緒に列車を降りた乗客たちは、私の持つもの倍はあるような重い荷物を二つ三つとぶら下げたまま次々と私を追い越してゆく。
ようよう階段に辿り着いた時、ホームに残っているのは私だけだった。
それでも葬儀の時には家の玄関を出る体力もなくて、弟に喪主を頼んだのだから、この四十何日かの間に随分回復はしたものだ。
階段を手すりに掴まりながら一歩一歩下って、ふたつだけの小さな改札口に着くと、中年の駅員がしきりに電卓を叩いていたが、私が近づいた気配を知って顔をあげた。しかし駅員はすぐにまた電卓に視線をもどした。意外でもなんでもないということなのだろう。
少なくても私が思うほどには、世の中には色々な事情を持つ人が居て、そういう人たちを毎日毎日見ている駅員にはどうということはないのにちがいない。
駅の西口に出て白々としたロータリーを見渡すと、学校が夏休みに入ってることもあってか人影は希だった。こうも暑くてはだれも外に出る気はしないのだろう。私はアスファルトにタイヤを溶かし込むようにして待っているタクシーの列に歩み寄った。
「K町へ頼みます。県道を真っ直ぐに行って鳴瀬川の堤防の手前を左に曲がってください」
しかし、堤防という言葉を口にしたとたんに気が変わり、「いや、堤防のところでいいです」と、いい直した。 堤防に登って河原を眺めてみたいと思ったのである。
とにかくもここまで来た。もうすぐ娘が待っている実家で横になれるという安堵感と車内の中の冷気が、私の残り火に酸素を送り込んでくれたのかもしれない。どうせ堤防から実家は近いのだ。そう、近いのだ。遠いなんて一度だって思ったことがなかった。