四十一話:フィルの実力
「まだ、ですか?」
フィルからの決闘の申し出を受けたロイドは、早速彼女を連れてグランデ大森林へと向かっていた。
鬱蒼と生い茂る木々の間を進み始めてからもう随分と経った気がする。
ロイドの後を追っていたフィルが、少し苛立ちを孕んだ声で問うた。
「もう少しだ。そんなに焦らなくてもちゃんと相手はしてやるよ」
「…………」
ロイドの余裕な態度にフィルはむっとする。
その気配を背中に感じながら、ロイドは僅かに顔を上げた。
レティーシャを見送るために早く起きたためか、まだ陽は昇りきっていない。
木々の合間から覗く青空に視線をやる。
ロイドの胸中とは反して、憎らしいほどに澄んだ空。
(……さて、どうするか)
フィルは、自分に勝つ気でいるのだろう。
しかし万に一つも負けるはずがない。
大賢者と賢者見習いでは、その実力に残酷なまでの開きがある。
ロイドと同じ大賢者の一人であるレティーシャに師事し、彼女の傍で魔法を学び続けてきたとはいえ、その差は埋まらない。
だが、こと今回に至っては、勝敗は問題ではない。
一応、レティーシャが戻ってくるまでの期間限定とはいえ今のロイドはフィルの師匠でもある。
であれば、ただ単に勝利するだけではいけない。
彼女に力よりも大切なことがあることに気付かせ、そしてアイラと仲良くしてもらわなければ。
「て言ってもなぁ……」
うまい方法が思いつかず、ロイドは髪を掻き乱しながら呟いた。
◆ ◆
「着いたぞ、ここだ」
いつもアイラとの鍛錬に使っている、崖に面した開けた場所。
そこで立ち止まると、振り返りながらロイドは言った。
フィルは物珍しげに辺りを見回すと、すぐに表情を引き締める。
着いたばかりだというのに即座に臨戦態勢に入ったフィルに、むしろ感心しながらロイドは彼女から距離をとる。
「なあ、フィル」
「……なんですか?」
「流石に俺も、見習いに向かって本気を出すなんて大人げない真似をするつもりはない。お前だって、本気で俺に勝てるつもりじゃないだろ?」
「……ッ」
ロイドが言うと、フィルは悔しげに唇を噛んだ。
確かに勝つ気ではいる。だが、フィル自身勝てるとは思っていない。
それは、つい先刻。アイラとの諍いの場でロイドの魔力によって自分たちの魔力が消し飛ばされたという事実が裏付けている。
何よりフィルは師匠であるレティーシャの傍に居続けていたのだ。
大賢者の、その埒外の実力を目の当たりにしているだろう。
いくら魔王討伐以来、辺境の地で隠居生活を送る臆病者とはいえ、大賢者という事実は変わらない。
自分では、勝てない。
そのことがわかっているからこそ、悔しい。
フィルはロイドを睨むと、先を促す。
ロイドは指を立てながら言った。
「俺は今回、何も攻撃せずに防御に徹する。もしお前の魔法が少しでも俺に掠ったら、その時は大人しく負けを認めるよ。レティの奴にも、お前の力を認めるように説得してやる」
「――!」
戦いの条件を聞いて、そのあまりのハンデに険しい顔つきになったフィルだったが、その後の言葉で表情を一転させる。
ロイドのお墨付きを貰うことが出来れば、レティーシャも自分のことを認めて、今回みたいに自分一人を置いてどこかに行くことがなくなるかもしれない。
「ただし!」
大きな声にビクッと肩をふるわしながら、訝しげにフィルはロイドを見る。
ロイドはニヤリとした笑みと共に言った。
「俺が勝ったら、アイラの前で俺のことを悪く言うのをやめてもらう。いいな」
「そんな、こと……?」
「俺にとっては何よりも重要なことなんだよ」
一体どんな条件を課せられるのか警戒していたフィルは、その内容に拍子抜けした様子だ。
とはいえ、ロイドにとっては死活問題である。
また今日みたいに家の中で魔法による喧嘩をされてはたまったものではない。
……何より、自分のせいでアイラが泣くのは見ていて気分の良いものではない。
フィルが「わかりました」と同意を示したことで、いよいよ戦いが始まる。
およそ目の前の少女が発しているとは思えないほどの殺気に、ロイドは目を細める。
フィルは自身が放つ魔力の風に水色のツインテールを揺らしながらその青い瞳でキッとロイドを見据える。
「手加減をしなくても、いいんですよね」
「ああ。全力で来い」
「では……ッ」
手加減はしない。それこそ、殺す気で行くと。
決意の籠もった声が吐き出されるやいなや、フィルはそのしなやかな腕をロイドに向けて突き出した。
魔法の発動に際して自己に対する暗示を強化し、世界への影響力を高めるために必要な詠唱。
それが紡がれるよりも前に、フィルの口から短い言葉が放たれた。
「――《風刃》!」
「詠唱破棄……ッ!?」
肉体に染みついた感覚が、即座に防御魔法を展開させる。
突き出した杖の先。幾何学模様を描く魔法陣が淡い光を発しながら現出し、迫っていた風の刃を受け止める。
風の刃は魔法陣を直撃すると、ほぼ同時に霧散した。
完全に意表を突いた攻撃にもかかわらず防がれた事実にフィルは表情を歪める。
ロイドは《風刃》が消え去った杖の先を見つめながら、内心で驚いていた。
詠唱破棄によって発動した魔法は、そうでないものと比べて威力が格段に落ちてしまう。
にもかかわらず、今彼女が放った魔法には十分すぎる威力が籠められていた。
加えて、発動した魔法。
――《風刃》。
風による不可視の刃を放ち、相手を両断する魔法だが、アイラにはまだ早いと教えていない。
何より、これほどまでに相手を殺すことに特化した魔法を教えることに抵抗もあった。
それなりにコントロールが難しいこの魔法を、事も無げに放って見せたその技量。
(……なるほど、言うだけのことはある)
アイラよりも、遙かに強い。
自分が戦うための魔法を積極的に教えていないとはいえ、それこそ一端の賢者に匹敵するレベルの力量。
杖を握る右手に力を籠める。
賢者見習いに対峙するのではなく、それこそ賢者と相対するほどの警戒をもって。
フィルの魔力が再び迸る。
魔法を放ってくる予兆だ。
……確かに強い。
ロイドの予想よりも、ずっと。
だが、それだけだ。
彼女は本当の強さを知らない。
何かに急き立てられるような表情で魔法を構築するフィルに向けて、ロイドは言い放つ。
「――俺の弟子の方が、よっぽど強いな」