四十話:諍い
「やるんですか? フィルは別にいいですけど」
「! ――ッ」
顔を真っ赤にしてフィルを睨み付けるアイラと反して、その視線を受けるフィルの表情は涼やかなものだ。
相手にもならないといった様子のフィルの態度に、アイラは更に怒気を高めると、それに比例するように彼女の体から魔力が湧き上がる。
それを見て、フィルも同様に魔力を解放した。
そして、その口が開かれ、魔法を発動するための詠唱が紡がれ――、
「おいこら、待て! 喧嘩するなら外でしろ、外で!!」
玄関から現れたロイドがそう叫ぶと同時に、二人の周りを吹き荒れていた魔力が突如として消え去った。
彼女たちの意思ではない。
突然消え去った自分たちの魔力。そのことにアイラたちは戸惑いながら、ロイドの方を見る。
「っ、ロイド……」
そこには、二人に右手をかざして佇むロイドの姿があった。
「はぁ、間に合ったか。たくっ、何をやってるんだ。こんなところで魔法を撃ち合ったらどうなるか、少し考えたらわかることだろう」
「…………」
「? お、おい……!」
悪いことをしていたのが見つかった子どものような表情を浮かべて俯くアイラに対して、フィルは無言でベイルたちに背を向けると、そのまま奥へ向かい、階段を上がっていく。
そんな彼女にロイドは制止の声をかけるが、フィルは一切耳を傾けることなく二回へと姿を消した。
ロイドは大きなため息を零しながら疲れたように頭をガシガシと掻き乱し、それからいまだに俯いたまま言葉を発さない自分の弟子へ言葉を掛ける。
「なあ、アイラ。俺は人を傷つけるために魔法を教えているわけじゃないぞ」
「だって、だってぇ……」
その一言が刺さったのか、アイラは泣きそうな声で唇を噛む。
そんな彼女を見て、ロイドは小さくため息を零すと、先ほどの叱りつけるような声を一転、優しく、諭すように言葉を発する。
「取りあえず、ほら、いいから座れ。……で、何があったんだ。お前は誰かを傷つけるような奴じゃなかったはずだぞ」
「…………」
ロイドに促されて対面の椅子に腰を下ろしたアイラだったが、すぐにまた俯いた。
それを咎めることなくただ黙って待っていると、ポツリとアイラが呟いた。
「……だって、あの子がロイドのことを、バカにしたから」
「俺のことって、なんだ、お前そんなことで魔法を行使しようとしていたのか? 俺は別にそんなの気にしねえし、どうでもいいって――」
「どうでもよくない!」
「――――」
椅子に座って俯いていたアイラが突然顔を上げ、ロイドを睨みながら叫んだ。
そのことにロイドは一瞬虚を突かれて固まる。
「ロイドがバカにされるの……、私にとってはどうでもいいことじゃない……」
消え入りそうな声でアイラはそう付け加えた。
彼女の赤い瞳から涙がじわじわと滲み出し、そしてそれは一粒の雫となって頬を流れ落ちる。
それを隠すようにアイラは慌てて両手で拭うと、静かに立ち上がった。
「少し、外を歩いてくるわ……」
ロイドの脇をすり抜けて、アイラは玄関へと向かい、そのまま家を出る。
話はまだ終わっていなかったが、泣いた彼女を引き留めることはロイドにはできなかった。
深いため息を吐き出して、椅子の背に体を預ける。
「……あんなアイラ、初めて見たな」
今まで一緒に暮らしてきて、彼女が泣くことはそれこそ何度もあった。
しかし今回のように、静かに泣かれたことはなかった気がする。
アイラが泣くときは、感情の制御ができない子どものように、涙を滂沱と溢れさせる。
ロイドは天井をボーッと眺めながら、先ほどの自分の行動を振り返る。
悔しげに泣く彼女を前にして、自分は何か言葉をかけるべきだったのか。
師として彼女の愚行を叱りつけるべきだったか、あるいは彼女の言葉を受け止め、慰めるべきだったのか。
その選択すらできなかった自分の未熟さに、ロイドは思わず呆れた。
「結局、俺もまだまだってことか。……そう考えると、あんたはホントすごかったよ。なあ、師匠」
虚空に、今はもういない一人の偉大な大賢者の姿を思い浮かべる。
そうして暫くしてから、ロイドはゆっくりと椅子から立ち上がった。
話す相手は、アイラの他にもう一人いる。
今日何度目になるかわからないため息を零して、ロイドは二階へ通ずる階段へと向かった。
◆ ◆
「おい、入るぞ」
この家に滞在する間フィルにあてがわれた客間のドアをコンコンと叩いてから、ロイドはゆっくりとドアを開けて中に入る。
部屋の奥に置かれたベッドの上に、フィルはツインテールに纏めた水色の髪を揺らして座っていた。
ロイドが入ってきても彼女はまったく反応を示さずに、青い瞳は静かに床を見つめている。
そんな彼女にロイドは歩み寄りながら、手近にあった一人用のソファに腰掛けた。
そして、ベッドに座るフィルに向かって身を乗り出すようにして声をかける。
「なあ、お前が俺のことを嫌っている理由はなんとなくわかっているつもりだ。それに関しては仕方のないことだと思っているし、俺のことをバカにするのもかまわない。だが、アイラの前ではやめてくれないか。お前らが喧嘩するのは、俺も、そしてレティにとっても本意じゃないんだからよ」
「――先程の」
「ん?」
一応他人の弟子ということもあって努めて優しく話しかけたロイドだったが、その言葉を遮るように、フィルが顔を上げた。
「先程フィルたちの魔力が消し飛んだのは、あなたがやったんですか」
「そりゃあ、流石に家の中で魔法を撃ち合われたくはないからな。悪いが、あの辺りを漂う魔素の力でお前たちの魔力を相殺させてもらった」
ロイドは簡単に言うが、これはそれこそ大賢者にしかできないことだ。
大賢者が他の賢者とは違い、単騎で魔人を討伐、そして魔王を倒すことができたその理由の根源。
それは賢者と違い、大賢者は大気を漂う魔素そのものの力を使うことができるということだ。
一般的な賢者は大気を舞う魔素を呼吸と共に取り入れることで体内に蓄積、それを魔力へと凝縮し、魔法を放つ。
だが、大賢者は体内に蓄積された魔力のみならず、魔素自体も操ることができる。
これは、努力などでは到底至れない領域。
才能を超える才能を持たなければ不可能なのだ。
「……あなたは、師匠と同じことができるんですね」
「当たり前だろ? 俺はこれでも一応大賢者なんだから」
そう言って、ロイドはローブの胸元につけられている大賢者の証にそっと触れる。
そんなロイドの仕草を見て、フィルは再度俯いた。
そしてそのまま、ワナワナと両肩を震わせる。
「――です」
「へ?」
「認めないですッ」
勢いよく顔を上げてロイドを睨み付けるフィル。
そこには、強い怒りが込められている。
「それだけの力が、戦える力があるのに師匠と違って戦わずに逃げ続けているあなたを、フィルは絶対に認めないッッ!!」
「――――」
その怒気に、ロイドは思わず唖然とする。
アイラと歳の変わらない少女が、どうしてこれほどまでに強い憎しみを抱けるのか。
『――あの子は力を求めすぎている』
ロイドの脳裏に、レティーシャの言葉がよぎる。
彼女の心配を感じ取り、そして同世代の登場はアイラにとってもいい刺激になると思って、ロイドはフィルを暫くの間預かることにした。
だから、フィルがこの家で暮らしている間に彼女の問題を少しは治せればと思っているのだが――。
ロイドがそんなことを考えていると、フィルは勢いよく立ち上がった。
「臆病者のあなたなんかには負けないです! あなたに勝って、フィルの力を師匠に認めて貰います! だからフィルと戦ってくださいッ」
ビシッと指差しながら突き出されたなんの合理性もない申し出に、ロイドは思わず押し黙る。
目の前にいるのは、ただ強さのみを求め、そしてその欲している強さを持ちながらそれを使わずに戦場から逃げ出した臆病者に対して戦いを申し込む少女の姿。
その姿を見ると同時に、ロイドは先程のアイラの姿を思い出した。
師匠である自分のことをバカにされたことに憤り、そして涙した自分の弟子。
「……いいぜ。それでお前が納得するのならな。ただし、怪我をしても知らないぞ」
このまま戦うことを拒否しても、先程のような諍いが引き続き起きることになるだろう。
ならば彼女の望み通りに戦ってやろう。
それで彼女が納得するのならば。
ロイドはそう考えて、フィルの申し出を受け入れた。