四話:魔法の授業
「――魔法を教えてくれ?」
ある日の昼下がり。突然神妙な面持ちで自室に現れたアイラが口にした言葉をロイドは不思議そうに反芻した。
「どうした急に。魔法なら教えてるだろ?」
アイラが弟子入りしてから二年。
それまでの間にロイドは彼女にいくつかの魔法を伝授した。
にも関わらず魔法を教えてくれという彼女の頼みは、ロイドにとって不自然なものだった。
「そういう意味じゃなくて、……その、前に魔獣との修行の時、ロイド言ったでしょ? 《迅雷》の威力を調整できるようになれって」
「あぁ、言ったな」
「あれから色々と頑張ってるのに、全然できなくて……」
アイラの説明を受けて、ロイドはなるほどと納得する。
これまでもいくつかの魔法を教えてきたが、それらは全て基礎中の基礎。
いずれも込めることのできる魔力には限界のある本当に小規模の魔法ばかりだった。
だが今回の《迅雷》は違う。
紫電を放ち相手を攻撃するこの魔法は、いくらでも魔力を籠めることができ、その籠められた魔力に比例して威力は増す。
籠めることができる魔力に上限のない魔法を始めて扱い、その感覚に戸惑っているのだろう。
師匠として、弟子のこの悩みを解消する手助けをしてやるべきだろう。
だがロイドはわざとらしくそっぽを向いた。
「さぁ、俺はバカだからわっかんねー」
ロイドの不貞腐れた態度に、アイラは頬を引くつかせる。
「まさか、まだこの間のことを根に持ってるの……?」
ロイドがこんな態度を示すのに、アイラは一つ心当たりがあった。
それは先日、アイデル王国の宰相が訪れた際。
彼が叙爵の話を断った真の理由に納得がいかず、家中に響き渡る声で「バカ」と罵ったのだ。
だがもしそうならば、器が小さすぎやしないかとアイラは思う。
「別にー。まあでも、人に頼むときはそれ相応の態度ってのがあるだろ?」
「…………」
こちらをバカにするような表情が気に食わないが、ロイドの言っていることは正しい。
どれだけロイド・テルフォードという人間が堕落していようとも、彼が師匠であることに変わりはない。
本当に、心の底から不本意だが、ここは自分の誠意を見せるべきだろう。
「……魔法を、教えてください」
頭を下げる。
アイラの殊勝な態度が意外だったのか、ロイドは一瞬戸惑い、そしてすぎにニタリと悪巧みが思いついたような笑みを浮かべた。
ベッドに座っていたロイドは立ち上がると、ドア近くにいるアイラに近付く。
「ま、アイラがどうしてもっていうなら教えてあげないでもないけど? こう、もう少し誠意を見せてくれるならな」
「誠意……?」
「そうだ。いいか、アイラ。俺に土下座をするん「調子に乗るなぁ!!」ひでぶっ!」
◆ ◆
「――で、威力の調整の仕方がわかんないだっけ?」
場所をグランデ大森林に移す。
さすがに魔法の修行を村の中で行う訳にもいかず、森の中で数か所だけある開けた場所の内、奥に切り立った崖があるこの場所が二人のいつもの修行の場だ。
その場に辿り着いたロイド、赤くなった左頬を押さえながらアイラに問いを投げた。
「用いる魔力を減らせないってわけじゃないの。でも、減らし過ぎちゃうって言うか、思い通りの魔力量に調整できないのよ」
「言いたいことはわかるさ。……そうだな、具体的な助言をする前に、お前はきちんと魔法というものを理解しているのか? まずはそれが問題だ」
「魔法を教わり始めた時、耳にタコができるんじゃないかってぐらい聞かされたんだから、ちゃんと覚えてるわよ」
ロイドの疑念に不満そうに応じるアイラ。
そしてそのまま、弟子入りしたての頃何度も聞かされた魔法という力の説明を始めた。
人々の生存圏であるオルレアン大陸最西端には世界樹と呼ばれる一本の木が。
そしてテルミヌス海を挟んだ東側、人類の敵である魔族の生存圏であるディアクトロ大陸の最東端には魔界樹と呼ばれる木が、それぞれそびえ立っている。
魔族とは、魔界樹が放つ瘴素を体内に取り込み魔法とは異なる力を得た魔人や魔獣のことだ。
そして魔法とは、世界樹が大気中に放つ魔素を体内に取り込み、蓄積され魔力へと昇華した力を用いて世界に変革をもたらす力。
つまり、魔族と人類が使う力は根本的な違いがある。
魔王を倒した今でもディアクトロ大陸を支配できていないのは、偏に魔素と瘴素の存在によるものだ。
魔素の多い場所、つまりは世界樹が近い場所には瘴素が少なく、逆に瘴素が多い場所、魔界樹の近くは魔素が少ない。
二つの物質は互いの働きを妨げる効果があるため、ディアクトロ大陸では並みの賢者ではまともに魔法を扱えない。
――が、大賢者たちは例外だ。
体内に蓄積できる魔力の量が桁外れであるために、瘴素で満ちた魔族の生存圏でも魔法を行使でき、その力で魔王を討ち倒した。
――と、ここまでがアイラが理解している魔法に関する基本的な知識だ。
「その通りだ。そして魔法を扱う時には詠唱と名唱が必要だ。これは自己に対する暗示を強化し、世界への影響力を高めるためだが、これらをしなくとも脳内でその魔法をイメージするだけだ行使できる。だが――」
「――行使した魔法の威力は、詠唱などをした時よりも劣る、だったわよね?」
「そうだ。例えば――」
話しながら、ロイドは目の前の崖に手を向ける。
「《其は世界の理を示すもの、摂理を司り、万物を支配するもの。我は請う、理の内に在るものに、流動の理を。――迅雷》」
詠唱の後、ロイドの手の先に魔法陣が現れ、そこから紫電が放たれる。
それは崖に一瞬で到達し、崖を大きく削った。
「これが一番基本的な形だ。次に――《迅雷》」
再度、同じ魔法が放たれる。が、今度は崖に小さな穴をあける程度にとどまる。
「これが詠唱破棄だ。それで、最後に――」
ロイドは何も言葉を発することなく、紫電を放つ。
しかし一回目と二回目と比較してその威力は格段に落ち、崖を軽く削る程度にとどまった。
「今の三度の魔法行使はいずれも同程度の魔力しかこめてない。だが詠唱と名唱をするかしないかでこれだけ威力が落ちる。どれだけ熟練した賢者でも言葉にするのとしないのとではイメージに差が出るからな」
「つまり、私は詠唱破棄を覚えろっていいたいの?」
「そんなわけないだろ。確かに純粋に威力をある程度落としたいだけなら詠唱破棄で十分だが、それだと根本的な解決にはならない。俺がお前にだした課題は別に《迅雷》の威力を押さえろってものじゃない。魔力を自分の意思通り操れるようになれってことだ」
「だから、その方法を教えて欲しいんだけど」
ロイドの回りくどい物言いにアイラは唇を尖らせる。
「バカ、物事には順序ってものがあるんだよ。魔力を制御できなくても威力を落とせる。逆に詠唱をすれば威力を上げられるってのは意外と重要なことだ。詠唱破棄自体はそれほど難しいことじゃないしな」
とは言えあまり詠唱破棄を進んでする者はいない。
大賢者であるロイドの力量だからこそ詠唱を破棄してもある程度の威力は出るが、並みの賢者がしたところで威力は弱く、無駄に魔力を消費して自滅してしまうだけだ。
「さて、一通り話したところで本題だ。アイラが魔力の調整を上手くできない大きな問題は、内包する魔力が多過ぎるせいで体内の魔力の動きを正確に認識できていないことだ。だから――」
言いながら、手を宙にかざす。
直後――
「――ッ!?」
突然圧し掛かって来た重圧に、アイラは思わず表情を険しくする。
大気の重さが増したような、そんな感覚だ。
「一体、何を……?」
「アイラの周辺を漂う魔素を、俺の魔力で抑え込んだ。これでお前はいくら魔力を使っても魔素を取り込むことができない状態になったわけだ」
「そんな、ことが……!?」
できるのかと、アイラは愕然とした。
大気を舞う魔素。それらすべてを抑え込み続けられる技量と魔力量に畏怖を抱く。
「世界樹の近くはどうしても大気を舞う魔素が多いからな。魔法を使う傍から体内に魔素が取り込まれていってしまう。だがこれなら魔力を補充することができない。この状態で魔法を使い続ければ体内の魔力は減り、魔力の動きを細かく認識できるようになる」
「――!」
ロイドがアイラに魔法を使えと促す。
圧し掛かる重圧に必死に耐えながら、アイラは魔力を放出した。
◆ ◆
「やっとついたわ……」
夕方。修行を終えて家に戻って来たアイラは疲労に満ちた声で帰宅を喜ぶ。
誰の目から見てもヘトヘトな状態の彼女に、ロイドは労いの言葉をかける。
「よく頑張ったな。でも代わりになんとなく感覚を掴めてきただろ? 後はこれを何回か繰り返せば魔力量の調整位できるようになるさ」
「確かに今までは曖昧だった魔力の動きが掴めたような気がするわね」
苦労に見合うだけの手ごたえを掴み、アイラは僅かながら元気を取り戻す。
そんな彼女にロイドは声をかける。
「しっかし腹減ったな。アイラ、夕食は出来るだけ早くにしてくれ」
「…………」
「? アイラ……?」
返事をしないアイラに疑問の声をあげる。
すると、アイラは冷たい声色で言葉を発する。
「人に頼むときは、なんだったかしら」
「……あ、いや、あれはあの時限りの冗談だろ?」
「私、今日疲れたし一人分だけささっと作って食べようかしら」
「俺の夕食を作ってくださいお願いします――!!!!」
即座にロイドは夕食の存亡をかけた土下座を弟子の前で行った。