三十四話:謁見(上)
「なんだ、緊張しているのか?」
王城で一夜を明かし、時刻は昼前。
少し遅めの朝食を摂ってからいつもの服に着替えたロイドは、すぐ傍でベッドに腰を下ろして表情を硬くするアイラに視線を送る。
彼女もまた、昨日の間に洗濯をしておいて綺麗になった白いワンピースを身に纏っている。
ロイドの問いに、アイラは顔を上げる。
「べ、別に緊張なんてしてないわよ」
「意地を張るな意地を。声が上擦ってるぞ」
「うぐっ」
指摘されて、アイラは口を噤む。
そんな彼女にロイドは笑いかけた。
「そう気負うことはねえよ。相手は少し偉いだけのただの人間だ」
「少し偉いって……相手はこの国の王様なのよ? 何か失礼があったら打ち首になるかもしれないじゃない!」
「打ち首って、……余程のことがない限り大丈夫だっての」
「それって余程のことがあったら打ち首になるってことじゃない!」
ロイドの言葉にアイラは顔を青くして頭を抱える。
そんなアイラにロイドは笑いながら歩み寄ると、彼女の頭の上にポンと手を乗せる。
「大丈夫だ、安心しろ。俺の弟子にそんな真似はさせねえよ」
「ロイド……」
師匠の言葉に、アイラは表情を弛緩させる。
一方、ロイドはため息を一つ。
「たくっ、そんなに不安なら残っとけばよかっただろ。そもそもお前を連れていくつもりなんてなかったんだから」
「だって、王都に来てみたかったんだもん」
恥ずかしそうに顔を赤くしながら唇を尖らせる。
元々王都に来るように言われたのはロイドだけだったのにもかかわらず無理やりについてきたのだから小言の一つも言いたくなる。
とはいえ、三年間全くグランデ村から遠出したことがなかったのも事実だ。
そのことは申し訳なかったとも思っているし、だからこれ以上は何も言わない。
部屋の扉がノックされ、侍女が現れる。
どうやら時間らしい。
ベッドから立ち上がったアイラをちらりと見ると、やはりまだどこか表情が硬い。
もっとも、国王と会うのだから緊張するのも無理はないが。
侍女の案内に従って廊下を進みながら、ロイドは横を歩くアイラに声をかける。
「アイラ、これが終わったら王都を観光するぞ」
「っ! 覚えてたの!?」
「当たり前だ。昨日のことをそうすぐに忘れるかよ」
昨日、王都に来るまでの道中馬車の中で交わした約束のことを口にしたロイドに、アイラは心底驚いた様子を見せる。
この面倒くさがりな師匠のことだ、きっと忘れていると思っていたのだ。
「だからまあ、少し我慢してろ。お前は俺の後ろで黙って立ってればいいから」
「わ、わかったわ」
アイラは大きく頷く。
そんな彼女を見届けるのと同時に、いわゆる王の間の荘厳な扉の前へとたどり着いた。
◆ ◆
「大賢者、ロイド・テルフォード様とそのお弟子、ご到着されました」
王の間。その最奥に座す者の権威を象徴する豪奢な扉の前に立つ鎧に身を包んだ衛兵が、携える剣を胸の前で立たせながら一帯に響き渡る威圧のある声でそう叫んだ。
同時に扉がゆっくりと開かれる。
扉の先にはだだっ広い空間が広がっていた。
壁面には扉と同じく豪奢かつ繊細な装飾が施され、床には質のいい絨毯が敷かれている。
中央は奥の玉座まで通路として開けられ、その両脇には扉前と同じ姿の衛兵が数十人整然と並んでいる。
そして彼らの後ろ、壁の際に立つのは恐らくは国に仕えている賢者たちだろう。
白いフードを被った彼らを一瞥しながら、ロイドは目を細めた。
(……妙な動きを少しでもしたら即ぶっ放すってわけか)
賢者たちが常時魔力を僅かに放出し、魔法を発現する備えをしていることに気付いて内心ぼやく。
国の超重要人物である国王陛下を守るという意味では正しいのかもしれない。
だが、今回ロイドたちは招かれて王城に赴いたいわば客人だ。
その客人に対して些か歓迎が過ぎる。
とはいえ、大賢者であるロイドでなければ周囲を漂う微弱な魔力を検知はできない。
事実、国王側も感知はできないだろうと思ったうえでこのような対応をさせている。
万が一、を想定して。
ロイドは僅かにアイラの前に立ち、彼女を庇う形で歩み出る。
慌ててアイラがそれに続いた。
周囲の鋭い視線を一身に浴びながら深紅の道を進む。
玉座のすぐ前まで突き進むと、ロイドはその場に止まる。
直立したまま玉座に座すアイデル王国現国王を見上げるロイドに、後ろに続いていたアイラはどうしたらいいのかおろおろと辺りを見る。
同時に、辺りを囲んでいた近衛兵や神官、賢者や大臣たちがざわめきだす。
国王陛下の御前で屈まないどころか頭を下げることすらしないなど、礼を失しているどころの話ではない。
驚きはやがて怒りへ。
周りを取り囲む者たちから自分へ鋭い眼差しが突きつけられるのを、ロイドは内心他人事のように受け止めていた。
別に、ロイドとて国王陛下の前での振る舞い方がわからないわけではない。
まして、周囲の反感を買いたいわけでもない。
だが、間違ってもここで臣下のような振る舞いをしてはいけない。
ロイドは今回、国王陛下直々に招かれたいわば国賓。
臣下でもないロイドが従うような姿勢をとれば都合のいいように解釈されてしまう。
一向に頭を下げようとする様子を見せないロイドに痺れを切らしたのか、玉座に座す国王のすぐ後ろ隣りに佇んでいた白いフードを被った青年が吠える。
「貴様ッ、国王陛下の御前であるぞ!」
怒りの形相でロイドを責める青年。
ロイドは面倒そうに青年の方を見る。
――と、ロイドはその青年に見覚えがあった。
確か彼は、アイデル王国が誇る賢者のみで構成された親衛隊の筆頭賢者。
若くして王国随一の賢者に上り詰めた男だ。
名前は、覚えていないが。
男の態度にカチンと来たロイドは反論しようと口を開きかけたが、その前にそれまで黙していた国王陛下が男を手で制する。
「よい。余は此度、ロイド殿に協力を求めている立場。頭を下げるべきなのは余たちの方だ」
「ッ、しかし!」
「よいと言っておる。それ以上申すのであればこの場から出て行ってもらおう」
「……失礼いたしました」
国王陛下に直接叱責され、男は悔し気に頭を下げる。
その光景を見ながらロイドは内心でため息を吐く。
今の一連の流れがあるいはロイドを引き込むための茶番であった可能性もあった。
そうでなくとも客人を前にして内輪もめを見せつけられては呆れるのも仕方がない。
とはいえ、
(茶番では、ないだろうな)
筆頭賢者の悔しそうな顔を見てそう判断する。
前もってロイド自身に良い心証を持たせるために仕組まれたものであったなら、国王のすぐ傍に控える男があれほどロイドに憎々し気な眼差しを向けたりしないだろう。
だが、どちらであってもロイドからすれば関係のないことではある。
これがただのポーズであっても、そうでないとしても、ロイドの心は揺らがない。
ロイドはどの国にも属さないと、そう決めている。
筆頭賢者が押し黙ったのを確認してから、アイデル王国国王がロイドに向けて口を開いた。