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三十二話:真夜中の来訪者

「は〜、ごくらくごくらく〜」


 ロイドの陽気な声が浴場に響き渡る。


 アイラの理不尽な攻撃を受けた後、ロイドは部屋に入る前に侍女に言われたとおり室内に備え付けられている机の上に置かれていた鈴を鳴らし、浴場まで案内してもらった。


 一日中馬車に揺られていたのだ。

 湯に浸かったことで体の汚れはもとより、疲れもとれていく気がする。


 魔王が大賢者たちの手によって滅ぼされてから――つまりは最近になって、入浴という文化が市井の中で広まり始めていた。

 それまではせいぜいが近くの川などで水浴びをする程度のものだったので、衛生面での進歩は相当なものだろう。


 とはいえ、一家に一つの浴場があるというレベルには達していない。

 近くにある共同浴場に通う程度だ。


 ロイドは隠居するにあたって自宅に浴室を設けた。

 共同浴場に通うのも億劫だというのもあったし、何よりあまり人目に付きたくなかった。

 大衆に体を晒すことに羞恥があるというわけではない。

 ただ隠したいことがあるだけだ。


 さて、さすがは王城の浴場といったところか。

 共同浴場よりも広い浴場には幾本もの立派な大理石の柱が立っている。

 床も磨き上げられた大理石で造られていて、天井から放たれる照明の光を反射している。


「民衆の血税で贅沢な暮らしとは羨ましい限りだ」


 言葉とは裏腹にその語調に不満や怒りはない。

 この国が善政を敷いていることは知っているし、それを知ったうえでこの国で暮らしているのだから。


 鼻歌を歌いながら暫くの間至極のひと時に身をゆだねる。

 そうして体の芯から温まり、頭が少しボーッとしてきた頃合いでロイドは閉じていた目を開けた。


「――っと、遅くなるとアイラにどやされる。そろそろあがるとするか」


 さすがに王城であっても同程度の浴場が二つとはいかない。

 使用人用の小さな浴室はあるが、一応国賓であるロイドたちをそんなところに案内するわけにはいかない。

 必然的にロイドとアイラは時間を分けて湯船に浸かることとなったのだ。


 侍女からそのことを聞いたときロイドは「一緒に入るか?」とおどけた調子で提案したが、帰ってきたのは強烈な右こぶし。

 湯船から上がり更衣所に向かいながら、ロイドは僅かに痛む左頬に手を添えて愚痴るように呟く。


「たくっ、そういうところだけは大人になりやがって」


 思春期の子供を持つ親はこんな気持ちなのかと、用意されていたタオルで体を拭きながらロイドは思う。

 世の中の両親に深い敬意を抱きながら、ロイドは用意された寝間着に袖を通し、そのまま更衣所を出たところで待機していた侍女の背中についていく。


 夜の涼しい空気を気持ちよく感じながら歩いていると、少ししてロイドたちにあてがわれた部屋の前まで辿り着いた。

 そこには食事が並べられたサービスワゴンを携えた別の侍女もいて、ロイドを認識すると静かに頭を下げてきた。


(ずっとここで待ってたのか……?)


 確かにロイドは風呂へ案内される前に、この後食事をとりたいと言った。

 その言動を受けて、侍女はロイドが戻ってくるまでドアの前で食事をもって待機していたのだろう。


 随分と甲斐甲斐しい世話をしてくれるものだ。


 だがそのことを好意的に思ったりはしない。

 むしろ明らかにこちらを好待遇してくるアイデル王国に、ロイドは警戒心を抱いた。


 何度断ろうとも使いの者を出し、遂には国のナンバーツーである宰相までもを交渉人として送ってくる国王のことだ。大方今回もロイドの機嫌を損ねないように精いっぱいのもてなしをするよう厳命しているに違いない。


 それならそれでかまわないかと、ロイドは内心嘆息しながら思う。


 どのようなもてなしを受けようとも自分の気持ちが揺るがないことに確固とした自信があった。


 ロイドが部屋を開けると、ベッドに寝ころんでいたアイラがガバッと顔を上げた。

 彼女もまた用意された桃色のネグリジェに身を包んでいた。


 肩口から細く白い両肩が、おまけに風呂に入ったせいか蒸気した頬や赤みを帯びた肌がいやに扇情的に見える。

 一瞬過った感情をロイドは首を一度激しく左右に振ることで振り払いながらアイラの下へ歩み寄る。


「なんだ、寝てたのか?」


「ね、寝てないわよ。ただ少しだけ横になっていただけ」


「別に眠たいなら寝てもいいぞ。飯は俺一人で食べるからよ」


 そう言いながら、ドア近くに立つサービスワゴンを率いた侍女を視線で示す。

 ワゴンの上に並べられたサンドウィッチなどを視界にとらえたアイラは身を乗り出すようにしてまくしたてるように言葉を返す。


「私も食べるわよ!」


「いいのか? 時間が時間だ、太るぞ?」


「……今日は特別」


 痛いところを突かれたと勢いを失しながらも、アイラは唇を尖らしてそう言う。


 その現金なところに苦笑しながらロイドは侍女に合図をして部屋の中へ迎え入れた。

 すると、流れるような動作で次々と食事がテーブルの上に並べられていく。


 サービスワゴンの上に載っていた料理がすべて並べられると、侍女は一礼をして部屋から出て行った。


「さて、食うか」


 それを見計らって、茫然とその光景を眺めていたアイラに声をかける。

 するとアイラは弾かれたようにテーブルの前に向かう。


 並べられている料理はサンドウィッチを主とした軽食ばかり。

 時間を配慮してのことだろうが、そのあたりの気遣いはさすがといったところだ。


 互いにテーブルの前のイスに腰掛け、料理に手を伸ばす。

 そうして用意された食事に舌鼓を打っているとアイラが突然言葉をこぼす。


「なんだか、不思議ね……」


「ん?」


「だって、ロイドはともかくとして私なんかが王城に来てこうしてご飯を食べるなんて普通あり得ないことでしょ? なのに、全然緊張していないもの」


「あー、まーそうかもな」


 ロイドは大賢者になる前から師に連れられて王城やそれに類する場所に顔を出していたから彼女の言われるまでその認識を失っていたが、そもそもからして平民が王城に足を踏み入れるなどあり得ない。

 特に幼少期、ロイドの弟子になるまで普通の平民として暮らしていたアイラがそう思うのも無理はない。


「ロイドがいるだけでなんだかここがいつもの家みたいに感じる。来るまでは緊張していたのに」


「なんだそれ。変なこと言ってねえでさっさと食って寝るぞ。明日はお待ちかねの国王陛下様とのご対面だ」


「うぐっ、そういわれるとなんだか緊張してきた……」


 ロイドの言葉で明日自分が一国の王と顔を合わせることを思い出し、そしてそれを忘れるべくアイラはサンドウィッチを口に放り込んだ。


 ◆ ◆


「……ロイド、寝た?」


 食事をとり終えたロイドたちは少しの休憩を挟んでからベッドに入った。

 すでに日は跨いでいる。

 明日――もとい、今日のことを思うと早めに休みたい。


 ベッドは一つしかないとはいえ、大人三人は寝れるほどの大きさだ。

 さすがのアイラもロイドがともに寝ることを拒みはしなかった。


 とはいえ同じベッドで眠っているという事実は彼女の胸を高鳴らせ、眠りから遠ざける。

 恐る恐るアイラは隣で横になるロイドに声をかけた。


「なんだぁ、俺ふぁ眠いんだが……」


 欠伸交じりの間抜けな声が返ってきて、自分が緊張しているのがバカバカしく思えてくる。

 なんだか不公平な気がして、アイラは意地を張るように固く目を瞑った。


「……やっと寝たか」


 横から一定の呼吸音が聞こえ始め、ロイドはため息交じりに小さく呟く。

 一応アイラの見張り役でもあるため、彼女が寝るまではロイドも起きておいたのだ。


 これでようやく眠れると安堵しながら目を瞑ったその時――ロイドは閉じた瞼を即座にあげ、鋭い眼光を窓にぶつけた。


「誰だ」


 アイラを起こさないようにゆっくりとベッドから降りながらロイドは窓の近くへと歩み寄る。


 人一人分の大きさの窓には薄いカーテンがかかっているが、そこには人影が映っていた。


 警戒しながらロイドはゆっくりとカーテンを開ける。

 すると、そこには――


「やあ、ロイド。こんばんは、いい夜だね」


 ――ロイドの妹弟子、レティーシャ・メイシーが亜麻色の髪で月光を反射しながら闇夜に紛れて夜空の中に佇んでいた。

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