二十九話:魔力水
ロイドたちが草原で魔人と対峙してから1週間。
グランデ村は落ち着きを取り戻し始めていた。
そこかしこに転がっていた家屋の残骸は撤去され、新しい家屋が建設され始めているといった感じだ。
「ロイドー、お客様よ、降りてきて」
階下から自分を呼ぶ声でロイドは目を開ける。
既に陽は傾き始めている。
眠気はなかったが、昼頃に一度起きてからロイドはベッドに横になっていたのだ。
アイラの声色は元通り、彼女の父親に関することを全て話したあの日から二人の関係は師弟のそれに戻っていた。
無論、何もかもが今までと同じという訳では無い。
時々あの時の会話を思い出し、気恥ずかしくなりもする。
だが、それぞれの内に溜まっていた不安や葛藤の一切が消え去った。
ロイドにとっては、三年間背負い続けた罪の意識から解放された。
だからだろうか、最近肩が軽いような気がする。
「もっと早くに話せばよかったのかもな……」
ベッドから降り、手近に置いてあったローブを羽織りながらロイドは小さく笑う。
何も、これで自分の過ちの全てがなくなるとは思っていない。
自分の未熟さが彼女の父親の命を奪ってしまったのだという事実からは目を背けるつもりは無い。
例え結果がすべてであったとしても、いや、そうであるからこそこの結果は受け入れなければならない。
「ロイドー?」
「もう少し待ってろ」
中々降りてこないロイドに痺れを切らしたのか、再びアイラの声が一階から聞こえてくる。
それに返事しながら、ロイドは杖を手に取り部屋を出た。
◆ ◆
「――って、なんだお前らか」
今度はどこの国のお偉いさんが訪れたのかと呆れ交じりに一階へ降り、応接間に顔を出したロイドは、そこにいた人物たちを見て拍子抜けといった様子でため息を吐いた。
ソファに座っていたのは先日ロイドが魔獣化から救った五人――グランデ村の自警団たちだ。
彼らはロイドが現れると弾かれたように立ち上がり、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ロイド様、先日はご迷惑をおかけしました」
「なんだ、そんなことをわざわざ言いに来たのか?」
一週間が経ち、ようやく外出の許可がおりたのだろう。
真っ先にロイドの家を訪れた五人にロイドは肩を竦めた。
自分たちの命を救ったその行動をそんなことと評され、五人は当然それに反論する。
「そんなことって、ロイド様がなした功績は人類にとっての希望なのですよ!?」
「それに、我々はあなた様がいなければ家族を、知人を、皆をこの手で殺していた。……その地獄のような未来を消し去ってくださったのは、他でもないロイド様なのです!」
だから、こうして感謝と謝罪をしに現れたのだと五人は主張する。
事実、ロイドの功績は彼らが言った通り人類にとっての希望となりうる。
魔人の手によって魔獣化してしまった人を元に戻した。
その事実は、これまで人類が辿ってきた歴史を覆す。
魔獣化してしまった人を救うことができるのだ。
そのことが持つ意味は計り知れない。
ロイドは五人の熱い眼差しに気圧されながらも頭を振る。
「俺がお前たちを治療したのは俺の理論が正しいと証明するためだ。感謝されるほどのことでもない。……それに俺以外の賢者が、同じように魔獣化した人間を元通りにできるわけじゃない。まだこの技術は汎用化するに至ってないんだから、お前たちのいう希望にはなりえない」
「だとしてもです! 今まで不可能だったことが可能になった、これが持つ意味は大きい!」
ロイドの言葉に男は興奮気味に反論する。
今まで諦めるしかなかった命を救うことができる。
そこに希望を見出す彼らの気持ちは、ロイドにも強く理解できた。
だから、これ以上反論はしなかった。
ロイドが反論をやめると、男たちは冷静になったのか一瞬の間をおいて表情を暗くする。
そして、ロイドに向けて深く頭を下げた。
「すみません、ロイド様。今回は、とんでもない失態を。……瘴素の混入した魔力水を飲んでしまうなど、あってはならないことです」
「お前たちが気に病むことじゃない。そもそも魔力を回復させるはずの魔力水に瘴素が入っているなんて普通は考えない。何より、例え警戒していたとしてもお前たちだとたぶん見抜けなかった」
「――ッ」
ロイドに辛辣な事実を突きつけられた、男たちは悔しそうに奥歯をかみしめる。
己の実力不足を彼らはロイドに言われずとも痛感していたのだろう。
「ま、これに懲りて今度からは安いからって怪しいものに手を出さないことだな。きちんと身分や立場が保証された行商人たちから買えばいい」
「……はい」
ロイドの言葉に男たちは頷き、そして再度頭を下げた。
彼らは本当に、ロイドに対して感謝と謝罪をするためだけに訪れたらしい。
それらを終えた五人はロイドの家を去った。
「……ま、自責の念に駆られるのも仕方がないか」
五人が出て行った後、ロイドは応接間のソファに寝転がり、天井を見上げながら呟く。
自警団に志願するほどだ、彼らの正義感は人一倍強いだろう。
にもかかわらず、自分たちの手でグランデ村が危険に陥らせてしまった。
魔人として暴れていた時の記憶も微かだろうが残っているだろう。
村人たちの悲鳴も当然聞こえていたはずだ。
今回のことを受けて、五人が今後どうするかはロイドのあずかり知らないところだ。
自警団を抜けるか、あるいはさらに己を磨き、強くなり、今度こそ守りたいものを守ろうと足掻くか。
後者であってほしいと、ロイドは思う。
「そういえば、気になったことがあるんだけど」
「ん? どうした、急に」
ぼんやりと考え事をしていたロイドの思考にアイラの声が割って入ってきた。
対面のソファに座る彼女に視線を向ける。
「ロイドが作った魔力水をあの人たちにあげればいいんじゃないの?」
「……いや、それはできないな」
「どうして? ロイドの魔力水ならそれこそ瘴素が混じっているなんて心配必要ないじゃない。あ、タダで上げるのが嫌なの?」
「俺はそんなに金にがめつくねえよ。たくっ、俺を何だと思ってんだ、守銭奴じゃねえんだぞ」
ロイドが文句を連ねるとアイラは苦笑いを浮かべる。
無論、彼女とてわかっている。
ロイドが目先の利益よりも他者の安全を優先することは。
しかし、だからこそわからない。
そんなロイドだからこそ五人に自分で作った魔力水を分け与えると思っていたのだ。
「……ま、俺にも色々事情があるんだよ、事情が」
「……?」
ロイドは視線を天井に向けながら呟く。
その意味が理解できず、アイラは首を傾げた。
「それにしても今回のことって凄い怖いわよね」
「なんだよ、今更」
「だってそうでしょ? 瘴素が混入した魔力水を飲み続けたら世界樹に守られているこのあたりでも魔獣化してしまうんだから」
「…………」
アイラの指摘に、ロイドは神妙な面持ちになる。
自警団の面々は皆ロイドの功績を褒めたたえていたが、事態に重きを置くべきはそこではない。
瘴素が混ぜられた魔力水を飲み続けた者が魔獣化した、その事実をこそ問題なのだ。
そして、これを為したのが魔人ということが一層今回の事態の深刻さを強める。
もし魔人が他の場所でも同様のことをしていたら、それこそ防ぎようがない。
その一帯は魔獣化した人たちに滅ぼされ、魔人によって支配されるだろう。
「魔力水、か……」
何か手を打たないといけない。
そう思いながら、ロイドは小さくつぶやいた。
――アイデル王国の使者がロイドの家を訪れたのは、この日の夜だった。