二十八話:師弟
「――それで、私を見つけたの?」
「ああ。アイラは覚えているかわからないが、ちょうど魔人がお前を殺そうとしていたその瞬間に俺は間に合った。魔人を倒した俺はマルネ村で唯一の生き残りであったお前を孤児院に預け、レティたちと共に再び世界を回り、魔王討伐を行った」
暗い夜空で星々が冷たい輝きを放つ。
月明りの下、ロイドはアイラの父親と邂逅した経緯を話し終え、大きく息を吐き出す。
「魔人を葬るために世界を回り、戦い続ける俺の傍にいるよりも、同じ境遇で同じ年代の者が多くいる孤児院に預けた方がアイラにとっても幸せだと思った。……まさか、その一年後に俺の家を訪ねてくるなんて予想だにしてなかったよ」
呆れたようにロイドは苦笑する。
それからさらに笑みを深めた。
「最初は適当に追い返すつもりだった。俺の傍で魔法を学ぶよりも孤児院にいるほうが幸せになるはずだと思っていたからな。……なのに、まさか賢者としての適性まであるなんてな。この時ばかりは運命ってやつの存在を信じたよ」
賢者としての適性。
誰もが魔法を扱う賢者になれるわけではない。
そこには先天的な資質――すなわち、魔素を認識する力が必要である。
幸か不幸かアイラにはそれが備わっていた。
「まあそれでも、何かと理由をつけて追い返すことはできたかもしれない。だけど、俺にはそれができなかった」
「……どうして?」
アイラが震える声で聞いてくる。
それに対する答えはロイドの中で決まり切っていた。
だが彼女の問いに答えることなく、ロイドは小さく微笑みながら真摯な眼差しを向ける。
「――アイラ、この魔人が言った通り俺はお前の父親を殺した」
「――――」
「もしかすればまだ救えたかもしれなかった。でも俺は、戦いの中で身を投じ続ける中で切り捨てることを選ぶことに慣れてしまった。その結果が聞いての通りだ。僅かでも理性を宿していたお前の父親を、……俺はこの手で殺した」
ロイドが告げる真実を、アイラは息をのんで聞く。
彼女の顔から眼をそらさずにロイドは言葉を続ける。
「お前が俺を恨んでも仕方のないことだと思っている。アイラには、その権利がある。……お前が俺を殺したいというのなら、俺は何も抵抗しない。……今まで黙っていて悪かった」
ロイドがそこまで言うと、アイラは肩を震わせながら俯く。
ロイドからは彼女の表情をうかがい知ることができない。
だが、彼女の顔から月明りを反射しながら一滴の涙が流れ落ちたのだけは確認できた。
しばらく黙ったまま口を開かないアイラを、ロイドは急かすことなく黙って見つめる。
今口にしたことは嘘ではない。
命への執着などない。
それこそ、彼女に殺されるのならばそれはそれで構わない。
あるいはそれが自分にとっての救いになるやもしれない。
(……なんてのは、結局自分勝手な考えだよな)
一度アイラから夜空へと視線を移す。
満天の星が広がっている。
耳を澄ませば虫の鳴き声が鼓膜を震わせる。
状況が状況であれば心地よいと感じるそれらも、今は空虚なものでしかない。
この場にあるものすべてがロイドの中に寂しさを持ち込んでくる。
「……一つ、聞いてもいい?」
そうして意識を周囲に向けていると、突然アイラがその口を開いた。
声はやはり震えている。
その奥に抱かれたものは怒りか悲しさか、少なくとも彼女の表情が見れないロイドにはわからない。
「なんだ?」
「今のロイドが三年前のあの時、あの場所にいたら、私のお父さんを助けることができた?」
「――ッ」
顔を上げてこちらを見上げるアイラの瞳は涙に揺れている。
気を抜けば泣き出してしまいそうな表情で、アイラはロイドを見つめてそう問うてきた。
彼女がどういう答えを求めているのか、ロイドには読めない。
しかし彼女の意図がどうあれ、ロイドには関係ない。
今の彼に要求されていることはアイラの意図を読み、都合のいい返答をすることではない。
ありのままの真実を、誠実に答えることだけだ。
もし、今の自分が三年前マルネ村にいたなら――。
先ほど、魔人の陰謀により魔獣化してしまった村人たちを治療した時のことを思い出す。
アイラの父親を殺してしまったことを悔やみ、そしてその他諸々の理由から始めた研究の成果。
それが成功という結果に終わった以上、ロイドの答えは一つだ。
「――ああ、助けることができた。もしお前の父親が完全に魔獣化していたとしても、今の俺ならそれさえも救うことができた自信がある」
何に悪びれるでもなく、ロイドは毅然と言い放つ。
そこにはアイラへの気遣いなど一切ない。
残酷かもしれない事実を突きつける。
アイラはロイドの返事を受けて再度俯く。
そして両手で目を拭うと、笑顔を浮かべながら言い放つ。
「よかった。ロイドが三年前と変わらないでいたなら、それこそお父さんの死が無駄になっちゃうもの。ロイドはロイドなりに、この三年間戦い続けてきたんでしょ?」
「――、俺を許してくれるのか?」
「許すも何も、私がロイドを恨む理由なんてないわ。ロイドは私の命の恩人なんだから。それに、お父さんのことだって、ロイドは魔獣化したお父さんを助けてくれた。お父さんだって、ロイドにありがとうって言ったんでしょ?」
「それは、そうだが……だが俺は、助けられたかもしれない選択を早々に切り捨てた」
「もしかしたらの話は意味がないって、ロイドいっつも言ってるじゃない。魔法も何もかも、結果が全てだって。もしロイドがあの時お父さんを助けようとしていたら私は魔人に殺されていたかもしれない。そうでしょ?」
「――――」
アイラの言葉に、ロイドは今度こそ言葉を失った。
確かに彼女の言うとおりだ。
もしあの時、今の自分の技術があったとして魔獣化してしまったアイラの父親を助けようと治療を試みていたなら、その間にアイラは魔人の手によって殺されていた。
そうして残された父親は、あるいはロイドのことを恨んだかもしれない。
――結果がすべて。
魔法によって世界の事象に介入し、結果を改変する賢者にとってそれは何よりも重要な考え方だ。
自分の弟子であるアイラに魔法を教える際にもロイドは確かに何度もそのことを言い聞かせた。
「それに、ロイドは私の味方なんでしょ?」
「……ああ、そうだ。俺はお前の師匠だからな」
その答えに満足げに微笑むアイラの表情にはやはり無理が感じられた。
当然だ。今の話を聞いてそうすぐに気持ちの整理ができるはずがない。
「――アイラ、さっきの質問の答えだけどな」
先ほどの質問。なぜロイドはアイラを追い返さなかったのか。その理由。
「お前の父親に頼まれたからな。娘をお願いしますって」
「……っ」
ロイドの言葉にアイラは零れ落ちそうになった何かを必死に押し殺し、歪む視界でロイドを見つめる。
少し悩んでからロイドはアイラに歩み寄り、彼女の頭に手をのせる。
「俺はお前のことを弟子、師匠以前に家族のように思っている。俺が死ぬその時まで、お前の面倒は責任をもって見続ける。それだけは誓って本当だ」
「……ずるい、そんなこと言われたら恨むに恨めないじゃない……」
瞬間、滂沱の涙を流しながらその場に崩れ落ちるアイラ。
やはり彼女の中にもロイドを僅かでも恨む心はあったらしい。
しかしそれは、今のロイドの言葉で完全に消え去る。
静かにその場に跪いたロイドに視線を送りながらアイラは言葉を放つ。
「ロイド、やっぱり私にはロイドを恨めない。……何より、ロイドから教わったこの魔法で人を傷つけることなんてしたくないっ。私は、誰かを助けるために魔法を学ぶって決めたから……!」
「……ああ、そうだな」
「だから、ロイドッ。私はロイドを恨まない。だからロイドも自分を責めたりしないで……ッ」
アイラの言葉にロイドは固まる。
恨まれても、罵声を浴びせられても仕方がないと思っていた。
あるいはそれが当然だとも。
なのにアイラはこの期に及んでも自分が魔法を学ぶと決めたときのことを忘れず、その信条を歪めなかった。
どころか、自分のことを許してきた。
「……これじゃ、どっちが弟子かわからねえな」
ロイドの呟きはアイラの泣きじゃくる声にかき消される。
生意気で、ただ交わした約束を果たすためだけに引き取った弟子。
だが、彼女は賢者になるに相応しいのではないかとロイドは思った。
今一度アイラの頭の上に手を添えて、ロイドは泣きじゃくる彼女を正面から見つめて言い放った。
「――絶対に、お前の面倒は最期まで見続ける。絶対に」