二十七話:約束
――――三年前
「――! あそこかッ」
ロイド・テルフォードはこの日も変わらず魔人討伐のため各地を回っていた。
全速力で走るロイドの視界の先には黒煙が立ち上る小さな村が見える。
魔王が君臨し、魔族が猛威を振るうこの時代ではこんな光景はもはや見慣れたものでしかない。
あの黒煙のもとではいつもと同じく魔人が村を蹂躙していることだろう。
それを止め、被害を最小限にとどめることが大賢者であるロイドに課された指名でもある。
これまで何百、何千の魔人を葬ってきたロイドだが、当然救えない命はあった。
この手で奪ってきた命もある。
その都度かけられた感謝の言葉の数だけ、怨嗟の声も聞いてきた。
まったく救われない役回りだと、戦いながら幾度となく思ったことがある。
だがそれでも、戦わずに誰かが死ぬ未来になるぐらいならばとロイドはその力をふるい続けている。
あるいはそれが、自分を育ててくれた師の生き方でもあるからか。
「ちっ、余計な事考えるんじゃねえ」
村が迫ってくる。
血の臭いがロイドの鼻腔をかすめ、家屋が燃える音が耳朶に触れる。
その中で、聞こえてくるはずの音が聞こえないことにロイドは顔を顰めた。
聞こえてくるはずの音――人々の悲鳴が一切聞こえてこない。
突然の災厄に苦しみ喘ぐ人々の悲鳴を聞くのはつらいが、それは裏を返せば声を上げている人は少なくとも生きているということだ。
生きていなければ、苦痛を叫ぶことすらできない。
だからこそ、ロイドは人々の悲鳴を聞いて安堵するのだ。
まだ助けられる、と。
けれど、今回はそれがない。
「――ッ」
歯ぎしりをしながらさらに足に力を籠める。
こんな時でさえ、魔法による身体能力の強化を体が耐えられるギリギリまでおさえられる自分の冷静さがいっそ恨めしかった。
◆ ◆
魔人に襲われた村――マルネ村は地獄と化していた。
燃え盛る炎は家屋のみならずこの村で暮らしていた人たちをも焼き尽くしていく。
だがロイドはもう助からない彼らには目を向けず、この地獄の中で動くものを探して村の中を駆けていた。
「! なんだ……?」
突然前方から爆音とともに瓦礫が空高く吹き飛んだ。
この村を襲った魔人の仕業かと警戒したが、感じる瘴素の濃度からそれはないと否定する。
前方から放たれる不安定な瘴素、この感覚は――
「うぁぁああああああああッッ!!!!」
一つの仮定にたどり着いたその瞬間、吹き飛んだ瓦礫によって生じた土煙の中から男の叫び声が放たれた。
「くそっ、やっぱりか……ッ」
最悪の、少なくともロイドにとっては一番望まない展開。
土煙が収まり、視界が晴れる。
そしてそこには――瘴素を体から放ちながら苦しみ喘ぐマルネ村の村人の姿があった。
「っぁ、ぁぁあああああッ!!!」
声にならない叫び声をあげ、内側から沸き上がるソレを抑え込もうとする村人。
だがその意思に反して瘴素は増し、そしてその影響で体が変化を始めた。
異音と共に肉体が巨大化し、肌が黒く染まり始める。
瘴素が遺伝子そのものを破壊し、強化しているのだ。
これまでも、ロイドはこの光景を目にしてきた。
魔人に襲われ、普段は浴びることのない量の瘴素を浴びた人間は稀に魔獣化してしまう。
今まさに目の前で起こっているのがそれだ。
体内の魔力を上回る瘴素によって体が支配され、理性が破壊され、人としての尊厳が失われる。
記憶は掻き消え、ただ破壊という衝動が残された化け物に変貌する。
一たび魔獣となってしまえば、救う術はない。
少なくとも今のロイドには。
「……っ、おい、あんた! 俺の声が聞こえるか!」
それでも魔獣化の一途をたどる男に向かって声をかけたのは、目の前の怪物がもう人間ではないと確認することで罪の意識から逃れるためか。
男は瘴素に意識を飲み込まれながらもロイドの声に反応する。
すでにその双眼には狂気を宿し、口角は歪んでいる。
そして――
「――ッ、《防護》!」
突然男が瓦礫の山から消える。
瘴素によって強化された膂力を生かしてロイドに向けて突進してきたのだ。
それを予測していたかのように、ロイドは突き出された右腕を防ぐべく迫りくる男に向けて右手を突き出し、魔法を発動する。
展開された魔法陣は男――否、魔獣の攻撃を容易くはじき返した。
今の攻防だけで両者の実力差は歴然だ。
それでも、撤退という考えを失ってしまった破壊の獣は再び突撃してくる。
「…………」
ロイドは悲痛な面持ちでそれを見つめる。
今度は防御の魔法を展開することはない。
その必要がない。
目の前の元村人が完全に魔獣と化してしまっていることが確認できた以上、守りに徹する理由などないのだから。
「――すぐ、楽にしてやる」
そう言いながら、ロイドは魔力を地面に巡らせる。
ロイドの立つ地面に巨大な魔法陣が浮かび上がると、次の瞬間には土の槍が地面から湧き出ていた。
数十本の土の槍はそのまま魔獣を貫く。
絶叫を上げながらその場に倒れ伏す魔獣。
それを見てロイドは魔法陣への魔力の供給をやめた。
すると、魔獣を貫いていた土の槍は崩れ去り、元の姿へと戻る。
その場に残ったのは全身に深い穴を残し倒れ伏した魔獣だけだ。
「――――」
ロイドはその魔獣に一瞥だけ残し、すぐさま立ち去ろうとする。
まだいるかもしれない生き残りを探さなければならないし、この災厄の元凶たる魔人を見つけ、倒さなければならない。
何より、いくら魔獣化したとはいえ人の命を奪ってしまった事実から逃げ出したかった。
そうして魔獣に背を向けたロイドに、声がかけられる。
「……賢者、様」
「――!?」
自分を呼び止めたのは、異形の怪物と化し、今まさにロイドの手によって葬られたはずの魔獣だった。
ロイドが振り返ると、魔獣が自分に手を伸ばしている。
「賢者様、どうか、私の頼みを……」
「おい、どうした! しっかりしろ……!」
魔獣が発する言葉は確かに理性を伴っている。
嫌な汗がロイドの全身から噴き出る。
今手にかけた魔獣は、もしかしたらまだ人であったのではないか。
慌ててロイドは魔獣――男の傍へ駆け寄る。
変質した体を抱き起こすと、男は口から粘度の高い血を噴き出した。
「賢者様、お願いが……私の、娘を……」
「娘……? 向こうにあんたの娘がいるのか?」
男が指さした方に視線を送りながら問うと、男は小さく頷いた。
「どうか、娘を……お願い、します」
「……ああ、わかった。必ず助けてやる。それよりも今はあんただ!」
「――ありがとう、ございます」
「! おい、大丈夫かッ!」
ロイドの返答に男は安堵したように口角を上げ、感謝の言葉を呟いて目を瞑る。
それ以降、ロイドの問いかけに対する返答が彼の口から発せられることはなかった。
「――っぅ! くそがぁッ!」
地面を強く叩き、暴言を叫ぶ。
この地獄を生み出した魔人と、何より自分自身への怒りが胸中から溢れ出る。
力を失った男の体がロイドの両腕に重くのしかかる。
動かなくなった男を見つめ、しかしすぐに彼が遺した言葉を思い出す。
ロイドはそっと男を地面に寝かせて立ち上がる。
そうして、すぐさま男と交わした約束を果たすべく走り出した。
本文中でも書きましたが、念のために捕捉を。
作中では瘴素によって理性を失う現象を魔獣化、またそうなった個体のことを魔獣としています。
そして魔獣の中でも瘴素を制御できるようになり、ある程度の理性を保てている個体を魔人としています。
今話の中で村人を魔獣としたのは、彼が瘴素によって魔獣化したばかりであり、瘴素を制御する段階になかったためです。