二十三話:黄昏の邂逅
「――っぅ!」
魔人の攻撃によって吹き飛ばされたアイラは草原を数メートル転がる。
地に打ち付けられた衝撃で全身に走る痛みをこらえながら、アイラはなんとか上体を起こした。
「《迅雷》!」
碌に狙いもつけずに放った紫電は、しかし偶然にも魔人の方へと飛んでいく。
だが、やはり瘴素の壁に阻まれる。
魔人は回避などせずともこちらの攻撃を防ぐことができ、逆に魔人の放った攻撃は回避すらできない。
この事実だけで、どちらが勝つかなど考えるべくもなかった。
魔人は体に纏う瘴素を自在に操りアイラへと放ってくる。
それが直撃するたびに、全身を襲う痛み以上に体内を巡る魔力が削られているような感覚がある。
魔人の攻撃を何度も食らってしまえば、それこそ魔力が尽きて戦うことすらできなくなってしまう。
「力の差は理解できたでしょう? さあ、あの村で何があったのかを話しなさい。君程度の実力で魔力水の仕掛けに気づけるとも思えない。一体誰に聞いたのですか」
「教えてあげるわけ、ないでしょう……!」
余裕綽々といった様子で自分を見下ろしてくる魔人に、せめてもの抵抗とばかりにそう返す。
だが魔人はアイラの挑発を鼻で笑う。
「そのような虚勢に意味などないと、君自身わかっているはずです。本来君程度の存在、刹那の時間もかけずに始末できるのです。君だってその歳で死にたくはないでしょう? 僕に情報をもたらすのならば、その見返りに命だけは見逃してあげようと言っているのです」
「ふん! あなたなんかの言葉を信じるわけがないでしょうが!」
噛みつきながらアイラはさらに魔法を練り上げる。
だが、アイラが魔法を放つよりも先に魔人が動いた。
面倒そうに魔人はアイラに向けて手をかざす。
その瞬間、魔人の体の周囲を漂っていた瘴素が突然円状に広がり始めた。
辺り一帯を黒い霧が覆う。
当然、瘴素はアイラのいる空間までもを飲み込んだ。
「嘘ッ、どうして……?」
アイラの手の先に浮かび上がった魔法陣が突然霧散する。
何かに阻害されるように砕け散ったのだ。
これこそが、魔王討伐の折にディアクトロ大陸に踏み込んだのが四人の大賢者だけだった理由だ。
大気を瘴素が覆う地では自然に魔力の回復が見込めないばかりか魔法の発動そのものが阻害されてしまう。
魔素だけでは何かを生み出せないにもかかわらず、瘴素はただそれだけで破壊の性質を持っている。
長年魔族が優位を築けてきた最大の要因でもある。
「――ッ」
すぐさま瘴素の影響下から逃れようとアイラは必死に魔人から距離を取ろうと試みる。
だがそれよりも先に魔人がアイラに詰め寄る方が早かった。
「――いいでしょう、何も話さないというのならばもはや用はない。あの世で後悔するがいい」
瘴素を手の近くに集わせる。
それは次第に剣を模り、魔人の手の中におさまる。
苛立ちを交えた宣言と共に、魔人はそれをアイラに向けて振り下ろそうとして――
「……ッ!」
突然、後ろへと跳躍した。
直後、魔人の立っていた場所に空から土の棘が幾本も降り注いでくる。
「確かに俺は、弟子は師匠に助けられるもんだって言ったが……さすがに頻度が高すぎやしないか、アイラ?」
「う、うるさいわね……」
空から黒いローブを翻し悠然と現れたロイドの放った言葉に、アイラはいつもの調子で返事をする。
だが言葉とは裏腹に彼女の声は涙ぐみ、安堵に満ちている。
そんなアイラのすぐ傍に降り立ったロイドは、こちらを見つめてくる魔人を睨みつけた。
「てめえが今回の黒幕か。悪いがここで死んでもらうぜ」
「君が彼女の師匠というわけですか。とすると魔力水の仕掛けに気付いたのも君ですね?」
「なんだその口調、気持ち悪いな。ま、その通りだがそれがどうかしたか?」
「いえ、これで憂いなくこの場を去れるというものです。――もちろん、君たちを始末した後にですが」
言いながら魔人は再びこの場全体に瘴素を放ち始める。
その光景に、アイラは思わずロイドに向かって叫んだ。
「ロイド、気を付けて!」
「わーってるよ。確かにこいつはお前には荷が重い相手だ」
「くくっ、もう遅いですよ」
魔人の放った瘴素がロイドのいる大気を埋め尽くす。
こうなれば普通の賢者では魔法の行使すらできなくなる。――普通の賢者であれば。
「なんだ、これだけでもう勝ったつもりでいるのか」
「くふふっ、弟子も弟子ならその師も師ですね。無駄な虚勢をはることだけは得意らしい。ですが、これで終わりですよ」
魔人は頭上へ手をかざす。
すると、そこに瘴素が集い幾本もの剣が出来上がる。
そして――一斉に放たれた。
「――――」
反射的に目を瞑るアイラをよそに、ロイドは魔人を見つめ続けながら小さく呟く。
「俺にこんなものが効くわけがないだろう」
なんでもないかのようにロイドはそう口にする。
それさえも魔人はただの虚勢と受け取ったらしい。
小さな笑いをこぼす。
だがその笑みは次の瞬間には驚愕へと変わっていた。
ロイドの体から眩い光が漏れだしたと思うと、その光が大気を舞う瘴素を吹き飛ばしたのだ。
瘴素の拘束から解放されたロイドは続けて《防護》を使い、魔人の攻撃を防ぐ。
その一連のロイドの行動を見て、魔人が抱いた驚きは別のものになっていく。
「……この魔力、そのいでだち。なるほど、竜を殺したのも、今回生まれた僕たちの同胞を抑え込んだもの全て君の仕業でしたか」
「竜? なんだ、そういうことか。あの魔竜はてめえが連れてきたんだな」
魔人の呟きにロイドは納得する。
あれほどの上位種が魔獣化することなど、それこそディアクトロ大陸でしかありえない。
目の前の魔人が何らかの目的で魔竜を引き連れ、グランデ大森林の奥地へその身を隠していたのだろう。
もっとも、何の目的でかは考えるべくもない。
今回グランデ村の村人たちを魔人化しようとしたのと、魔竜を引き連れてきたのは同じ目的。
――つまりは、この地を支配するためだ。
「瘴素の力が及ぶのは魔力が魔法へと変換されるその過程。魔力そのものを力とされては打ち消しようがないですね」
魔人は冷静に今起きたことを分析する。
ロイドは体内を巡る魔力を魔人と同じくそのまま力として大気へ放出し、瘴素を吹き飛ばした。
原理としてはなんてことはない。
誰もが一度は思いつくようなことだ。
しかしそれを実行に移すには、並みの賢者ではそもそも魔力量とその濃度が足りない。
ここでようやく魔人はロイドの評価を改めた。
「どうやらあなたは僕の目的の最大の障害になるようですね。いいでしょう、それならば僕もそれ相応の覚悟で臨むことにします」
「――!」
魔人から放たれる瘴素が一層その量を増していく。
そしてガキッ、ボキッ、ゴキッという異音が魔人から発せられる。
見ると、それまで細身だった魔人の体躯が徐々に変質し始め、次第に巨大な体へと変わっていく。
それまで意思によって抑え込んでいた瘴素の枷を解き、全身を瘴素によって強化しているのだ。
数秒後、そこには人も魔人もいなかった。
ただ一体の漆黒の化け物がロイドを睨み、低いうなり声をあげていた。




