二十話:三年間の成果
「どうなった」
「ロイド! 指示通り、皆をここまで案内したわ。今確認しているところだけど、たぶん皆無事よ」
「そうか、よくやった」
「それよりもロイド、それ……」
ロイドの家の周囲には所狭しとグランデ村の村民たちが集っていた。
そこに現れたロイドにアイラはホッと胸をなでおろす。
同時に、彼の背後から風の魔法によって移送されている五人の魔人を指さした。
「今は気を失っている。まだ魔人化して間もない。瘴素に完全に取り込まれたというわけではない。この状況なら助かるかもしれない」
「……! 本当に!?」
「ああ、とりあえず工房まで運んで治療を始める。アイラも来てくれ」
「わかったわ」
ロイドの指示に従い、アイラは動き始める。
そんな二人を見て村人たちが声を上げた。
「ロ、ロイド様……! どうか……ッ」
魔人化した自警団の面々の知り合いなのか。
救いを求める視線を向けてくる。
あれだけの破壊を生み出したというのに、それでも彼らの救いを求める村人の想い。
ロイドはその姿を美しいと思うと同時に、アイラを見て胸を痛めた。
「大丈夫だ、何も心配する必要はない。それよりも、周りに怪我人がいないか確認しておいてくれ。後で治療する」
「は、はい……!」
大丈夫ではない。
一度魔人と化した者を再び人に戻すなど、前例がない。
ロイドだって一度も試したことがないのだ。
少なくとも三年前の戦いの中では思いつきもなかった。
あの時代は、生きる誰もが敵を倒すことに必死だったのだから。
しかしロイドは確信をもって言葉を返した。
やれるかどうかではない。
(――絶対に助けてやる)
運んできた五人に視線を注ぎながらロイドは決意した。
◆ ◆
「それでロイド、私は何をしたらいいの……?」
工房へ場所を移し、石造りの床に五人を並べて寝かせる。
そして木製の古びた机に積まれた紙の束を手に取り、その中の何枚かを見つめるロイドにアイラは問いを投げた。
「……そうだな、入り口から誰も入ってこないか見張っておいてくれ。それだけでいい」
「? わかったわ」
ロイドの返答に、アイラは首を傾げながら頷く。
誰も入ってこないようにしたいのならわざわざ自分を工房にまで連れてこずとも、家の入口で待機させておけばいいのではないか。
そんな疑問を抱いたのだ。
その疑問は正しい。
ロイドは別に、見張りをさせるために工房まで呼んだのではない。
ただなんとなく、彼女にはこれからすることを見てほしいと思ったのだ。
「さて、やるか」
三年間の研究の成果。
魔人を人に戻す方法をロイドなりに調べ、それを記した紙をそっと机の上に戻してロイドは呟いた。
床に並べられた魔人のうちの一人の傍に片膝をつく。
そしてロイドは魔人に向けて手をかざした。
「――――――――」
目を瞑り、精神を集中させる。
するとそれに呼応するように、床に白い魔法陣が浮かび上がる。
それは天井から吊るされたランプのみが明かりとなるこの地下室で、妖しい光を放つ。
魔法陣から溢れ出た光は魔人の全身に纏わりつく。
一層その光は明るさを増す。
ロイドが治療にあたる光景を見つめているアイラは、彼が何をしているのか理解できず眉を寄せた。
今、目を瞑るロイドの視界には魔人の体内が視えている。
——正確には体内を巡る魔力と瘴素を、だが。
今ロイドが発動しているのは索敵のために使用する魔法、《探査》をこの治療のために改造したものだ。
本来《探査》は辺りに敵などがいないかを調べる魔法だ。
己の魔力を調査範囲一帯に巡らせることで辺りの魔力や瘴素を知覚できる。
もっともロイドほどともなれば、そんなものはわざわざ魔法を発動しなくとも感じ取れるため使う機会はほとんどない。
そして今発動している改造版は、調査対象をごくわずかに絞ることで本来曖昧にしか理解できない瘴素などの反応を事細かに理解できる。
瘴素の、粒子一つ一つの動きに至るまで。
無論、これは誰にでもできるというわけではない。
少なくともアイラにはとても扱えない代物だ。
だがこうして、ロイドの脳内には魔人の体内を巡る瘴素のすべてが映し出されている。
想定していた通り、魔人の体内には瘴素が満ち満ちている。
しかし、ごくわずかではあるが魔力も存在している。
ならばやはり、まだ救いようはある。
ロイドの周囲が淡く光り始める。
周囲を舞う魔素がロイドの意思に従って集い始める。
まるで発光する虫のように、魔素はゆらゆらと辺りを舞う。
その状態をしばし続けてから目を開けたロイドは、魔人の体を凝視した。
そして――
「……っぅ」
体内を巡る瘴素。その粒子一つ一つに、ロイドは大気を巡る魔素をぶつけ始める。
魔人と化した体は聖なる力を拒む。
だがその意思を無視して、ロイドは無理矢理に魔素を全身に注いでいく。
汗が滴り落ちる。
魔力と魔素、その最大の違いは粒子の密度にある。
魔力とはつまりは魔素の上位互換。
大気を舞う魔素を取り込み、体内で蓄積、圧縮させた超高密度エネルギー。
その力があるからこそ、賢者は世界を創りかえられる。
ゆえに、もしロイドの魔力が魔人の体に注がれたなら、その力に耐えられずに魔人は命を落とすだろう。
それは避けねばならない。
しかし、魔人と化した者を人に戻すためには体内を巡る瘴素のすべてを取り除かなければならない。
瘴素を反発によって消すために、その粒子一つ一つに魔力と準ずる力をぶつかなければならない。
だからこそ、ロイドは周囲に舞う魔素を操っている。
魔力ほどは力を持たない魔素を魔人の体に注ぎ込み、瘴素を取り除く。
これが、ロイドが三年間かけて編み出した治療方法だ。
「……くっ」
ロイドが一つ、苦悶の声を漏らした。
本来自分の体内に取り込んでいない魔素を操ることなどできない。
呼吸などによって取り込んだ魔素が魔力となって初めて意思に従って操ることができる。
そして今、ロイドは普通は操ることのできない魔素を操っている。
大気を舞う魔素を、ロイドは自分自身の魔力で覆い、疑似的にその動きを支配している。
魔素を魔力で潰してしまわないように調整しながら魔人の体の近くまで案内し、そして解放する。
瘴素と反発して出ていこうとする魔素を逃さないように魔力で出口を塞いで。
多くの労力と策を弄し、世界を誤魔化すようにロイドは魔人の中へ魔素を注ぎ込む。
瘴素によって魔獣と化した存在に魔素は反発し、相容れない。
そんな世界の法則を、ロイドは欺く。
目の前の人を救うためだけに、規定された概念を凌辱する。
「戻って、こい……ッ」
魔人の全身から放出される瘴素が薄れているのがわかる。
ロイドは思わず、自分のうちにある切実な願いを口に出す。
彼の必死な姿勢にたまらずアイラも胸の前で手を組み、祈る。
そして、遂に――
「――これで、終わりだ」
視界に映る瘴素のすべてが消滅したのを確認し、ロイドは大気を舞う魔素を解放した。
そして、大きく息を吐き出しながら魔人の変化を注視する。
瘴素によって黒化してしまった皮膚。
それらも、ロイドの理論が正しければ元に戻るはずだ。
すでに魔人を覆っていた瘴素は消え去っている。
「――! 成功だッ」
魔人の――いや、青年の皮膚が元の色を取り戻す。
歓喜の声を上げたロイドはすぐさま《探査》を発動し、青年の体内を巡る魔素を確認する。
――魔素は、正常な人と同じように体内で魔力へと変換されていた。
「…………」
思わずこみあげてきた何かを堪えるために、ロイドは天井を見上げた。
ランプの光がぼやけて見える。
魔人化した者を人に戻すことができた。
その事実は、青年のみならずロイド自身も救って見せた。
「ロイド、治療がうまくいったの……?」
期待と不安に揺れる声が工房の入り口近くからかけられる。
その声に反応し、ロイドは振り返ってアイラの姿を視界に収めた。
そして、
「ああ、成功したよ」
万感の重いを込めながらその事実を口にした。